If-帝光編(二年)


予兆


結局、私は緑間君に連れられて帰宅した。

母は赤司君から連絡を受けていたらしい。
ドアを開けるなり飛び出して来た。

「名前!! いきなり出て行ったきり電話にも出ないで…!!?」

怒鳴りかけた母は、傍らに佇む緑間君に目を止め固まった。

「…あ、お見苦しい所をすみません。……どなた?」
「緑間真太郎です。名前さんとはクラスメイトで部も同じです」
「どこかでお会いした事があるかしら?」
「昔ピアノコンクールで彼女にリボンを借りました。…その時に。」
「あの時の…!? 大きくなったわねー! …で、何故貴方はフライパンを抱えているの?」
「ラッキーアイテムです。赤司の家のを借りました」
「あ、赤司様の…フライパン…??? ラッキーアイテムって…??」

母は困惑した様に首を傾げた。
私は、"赤司様"と"フライパン"の組み合わせに、思わず状況も忘れて吹き出してしまった。

緑間君はムッとして顔を顰めた。

「笑っている場合ではないのだよ! 苗字も、ちゃんとフライパンを借りて行くべきだったのだよ!」

二つもフライパンを持ち出される赤司家って。
シェフ困らないのかな? 沢山ありそうだから、どうって事はないのかもしれないけど。

『フライパン持って家出してゲーセンに行くとか…まぁ乱闘時の武器位にはなりそうだけど』
「乱闘!? 名前、何やってたの!!??」

しまった! 藪蛇だった。

『や、事情があってちょっと巻き込まれたけど、相田さんに助けて貰ったから! 』
「相田さんって…」

母は呆れて開いた口が塞がらない様だった。
流石に灰崎君の事は言わない方が良いかな。

緑間君は気遣わし気に目を伏せ、私の肩に手を置いた。
私も彼を意識してしまうと、目を合わせるのか恥ずかしい。
私は彼に触れられて顔が熱くなり、思わず俯いてしまった。

「苗字。困った事になったら相談するのだよ。くれぐれも一人で無理をするな」
『うん。緑間君、送ってくれてありがとう』
「…ああ。怪我…養生するのだよ」

彼は母にも一礼すると去って行った。

「名前、貴女あの子が原因でピアノ教室辞めたんでしょ?」
『それ、本当は緑間君が原因じゃないよ。私が弱かったからで。
それに私、一応また人前で少し弾ける様になったから。…彼のお陰でね』
「……そう。あの子と随分仲良くなったのね」

母はまだ不機嫌だったが、渋々ながらもある程度の自由を許してくれた。

「…赤司様にお礼を言わなきゃね。名前も、ちゃんと心配させたお詫びとお礼を言いなさい!!」

赤司君と電話していた母の口調からすると、まだ婚活の事を諦めてはいないらしい。
私は憂鬱な溜息を吐いた。


※※※


今日はテストの期間中で部活が無いので、私は早めに下校する事が出来た。
乗り換えの為ターミナル駅で降り、プラットホームからコンコースへと足を速める。

パサッ

私の足下に白い袋が落ちて来た。
上りエスカレーターの前方に乗った男性からだ。

私はその袋を拾い上げた。

『…薬袋?』

その男性はエスカレーターを降り、私は慌てて後を追う。
彼は突然、ふらりとよろめいて膝を突いてしまった。

『あの…! 大丈夫ですか!?』

混雑した駅の喧噪の中で、周りの人々が驚いて視線を寄越す。
その人は苦しそうに胸の辺りを押え咳き込んだ
私は走り寄って屈み込む。

『これ…落としましたよね?』

その口髭の紳士は薄眼を開けて私を見、驚いた様に目を見開いた。

「ゴホッ…!! 君は…!?」
『あの、これ…』
「水を…! その薬を飲ませてくれ…」

私は待合所の椅子に彼を腰掛けさせ、水を貰って差し出した。
私は袋から何種類かの薬を取り出し、薬の種類と袋に記載されている用法を確認し、彼の指した白い錠剤を手渡す。

彼は薬を飲むと、徐々に落ち着きを取り戻した。

「…ありがとう。苗字さん」
『……へ!?』

折しもその時、駅員が来て、彼は救護室に連れて行かれた。
私は彼を見送りながら首を傾げた。

……あの人、何で私の名前を知ってるの…?


※※※


放課後の部活の始まる前、灰崎君の退部が知らされた。
私は廊下で、緑間君と一緒にいた赤司君を呼び止めた。

「何だい?」
『あの、灰崎君が退部したって』
「ああ…その事か」

赤司君は足を止め、私に向き直った。

「ヤツの素行の悪さは目に余る。君もつい最近、見ただろう?」
『あれは…私が!』
「止めるのだよ、苗字!」
『緑間君も知ってるでしょ? あれは私のせいだって!』

食い下がる私に緑間君は困惑し、赤司君は冷ややかな瞳を向ける。

「選手が問題を起こしたら、下手したら我々が出場停止になる。先日だけじゃない。以前も散々他校の生徒と喧嘩していた。これ以上は部にとってのデメリットしかない。
しかし灰崎は選手として勝利に貢献してくれた。だから俺が勧告してやったんだ。今更、君がどんなにとりなしても覆らないよ」
『……っ!!』

私は身を翻して駆け出した。

体育館の裏手には焼却炉がある。
私は灰崎君と黒子君が話している所を見付けた。

「世の中、いい奴ばっかじゃねーんだよ」

灰崎君はバッシュを焼却炉に放り込んだ。ゴムの焼ける匂いが辺りに漂う。

「本当に悪い奴や怖ぇ奴だっているんだぜ」
『灰崎君』

「じゃーな。同情なんてズレた事思ってんじゃねーよ。残ったお前等の方が可哀想な目に遭わねーとは限らねーんだぜ。…名前ちゃんも」
『え…?』
「赤司に言ったんだろ。ゲーセンの喧嘩の事で」
『あれは…私が巻き込んだし』
「俺は単に気に喰わないから殴った。余計な事言うんじゃねーよ。俺もウザい連中と別れられてせいせいしてんだ。
ま、名前ちゃんなら特別に遊んでやっても良いけどな!」
『……』

私は、それ以上言葉が見付からなかった。
もう私が何を言おうと彼は戻らないし、赤司君も許さないだろう。

「またプリクラ撮ろーぜ名前ちゃんw」
『セクハラしなければね!』
「俺様に無茶言うなよw 俺は息をする様におっぱいを揉んじゃうぜ?」
『揉むなっ!! 今度は金髪の立て巻きロールにしてやる!!』
「おめーも懲りねー女だな!www」

シリアスを台無しにしたやり取りに黒子君は呆然とし、それを見た灰崎君は口の端で笑い、軽く手を振って去って行った。

灰崎君が辞めた事について、黒子君は割り切れていない様だったが、チームメイト達は其々受け入れていた。


厳しい練習が一段落着いた頃、集合がかかった。
真田コーチから直接監督が指揮を執る事になると知らされ、選手達はざわついた。
レギュラー達の表情は引き攣っている。

監督って…どんな人なんだろう?

黒子君も私と同じ疑問を持ったらしく、青峰君と小声で会話を交わしている。

「そうだな…じゃあ挨拶しておかねばな」

不意に後ろで声が聞こえて、私はビクリと肩を震わせた。
監督は黒子君の肩に手を置き、白金耕造と名乗った。

『…あっ…?』
私は小さく息を飲んだ。

あの…駅で介抱した人だ!!

赤司君の説明によると、白金監督はよく練習を見に来ていたらしい。
二階で何も言わずに見ていただけだったので、全然気が付かなかった。

他レギュラーの話を聞くに、穏やかそうな風貌とは裏腹に厳しい人らしい。
確かにあのハードな練習を"のどか"と表現したり、"若いうちは何をやっても死なん"とか鬼の様な台詞をサラリと吐いた時には、私の背中にまで戦慄が駆け抜けた。

……黒子、死ぬなよ。

私は心の中でこっそりエールを送った。

続けての連絡事項で、赤司君が虹村君に代わり、正式に主将になった。
私はチラリと虹村先輩を見る。

彼はまだ三年になったばかりなのに、覚悟していたのか平然と受け入れてる。
そう言えば、彼のお父さん入院しているって以前聞いたっけ……大丈夫なのかな?

この年で身内、それも一家の大黒柱である父親の長期入院が、どれだけの負担になるのか。
彼はそれでも重い事情を背負いながら、常勝の帝光のキャプテンを続けていた。

虹村先輩って、精神力が凄く強靭なんだな。

三年生達に、監督は「勝つ為の決定だ。認めろ」と残酷に言い放つ。
…これが帝光バスケ部。

勝つ為の決定が全てに優先される。常勝の名は伊達ではない。

でも、常勝の目的の為に切り捨てたものを考えると、得体の知れない不安を感じる。
まるで―危うい均衡の上でギリギリ保たれている様な。
それとも、私が未来の一部を知っているから、そう思うのだろうか?

しかし私は、所詮一マネージャーで選手ではないので、鬼監督の弊害は関係無い。
いつもの様に私は雑用をこなしていた。

そして部活が終わる時間になり、私も女子更衣室に向おうとした時、真田コーチが私を呼び止めた。

「苗字。着替えたら職員室に来なさい」
『……? はい』

私は意味も分からず頷いた。
真田コーチから一人だけ私が指名されるのは珍しい。
職員室に行ったら、真田コーチだけではなく白金監督も一緒だったので、私は内心でたじろいだ。

……え!? 私、何かやらかした!??

白金監督が、身構える私を穏やかな表情で見やり、口を開いた。

「苗字さん。昨日駅で会ったね。あの時は見苦しい所を見せて済まなかった」
『あの、お身体はもう大丈夫なのですか?』
「……ああ。ちょっと風邪をひいていてね。助かったから礼を言わせてもらうよ。ありがとう」

私は拍子抜けをし、頷きを返したが違和感が拭えなかった。
わざわざ呼び出して言う程の事なのか…?

「それでその事は他言無用にして欲しい。たかが風邪で部員達に心配をさせる訳にはいかないからね」

…え?

私は、ますます違和感が強くなった。"たかが風邪"で口止めまでする…!?
私は首を傾げたが、彼等の無言の圧力に抗しきれず頷いた。

何だったんだ…? 一体…

私は職員室を出た後、記憶に残っていた薬の名を携帯で検索した。

携帯の画面に映し出された文字を目で追い、私は凍り付いた。


※※※


私は、ぼんやりと下駄箱で靴を履き替えていた。

「苗字」

突然かけられた声に驚いて振り向くと、赤司君が歩いて来た。

『赤司君』
「君、コーチに呼ばれてたね。…一体どんな用件だったんだい?」

私はごくりと喉を鳴らした。
彼は主将だ。いくら口止めされても、彼だけには言っておいた方が良いのかもしれない。
でも先程の大人二人の有無を言わせぬ迫力を思い出し、私は躊躇った。

『えっと…以前偶然に白金監督の落し物を拾った事があって…お礼を言われたの』

嘘は言ってないが、肝心の所も言ってない。
私は悩んだ末、先生方に確認を取った後でも訂正出来るだろうと曖昧に答えた。

突然、赤司君の様子が変わった。

「…名前。僕がそれを信じるとでも?」
『赤司君!?』

突然、赤司君の様子が変り、左の瞳が金色に輝いた。
突然彼は私の肩を掴み、柱に強く押し付けた。

『……っ!!』

私は痛みに顔を顰める。
彼は私に顔を近付け覗き込んだ。
私は彼の底冷えのする瞳を呆然と見返した。

『……貴方は…誰?』

図らずも思わず口から零れた言葉に、赤司君はビクリと肩を震わせた。

「…僕は」

「何をしている?赤司」

緑間君の声だ。彼は鋭く赤司君を睨んだ。

「真太郎」
「苗字を離すのだよ!」

赤司君の手が緩んだ。彼は苦し気に眉を寄せ目を瞑る。
次に彼が瞼を上げた時には、左目は紅に戻っていた。

「…苗字、すまない。些か乱暴が過ぎたみたいだ」

赤司君は私から手を離すと、踵を返して歩み去った。


page / index

|



ALICE+