目覚めの兆候
私は会場を走り出て、最寄りの駅まで行ったが、バッグを置き忘れたのに気が付いて愕然とする。
バッグの中にはお財布も入っていた筈だ。
私は携帯しか持っていなかった。
私は途方に暮れたが、今更戻ったら、それこそ捕まってしまい、学校になど戻れなくなる。
『…どうしよう? 交番でお金借りる、とか?
でも見当たらないな。もう仕方ない! 探しながらでも走って行こう!!』
ここから学校までの距離は、かなりあるが無茶は承知だ。
でも今は、これしか思いつかなかった。
しかし今履いている靴は、走るのには適してはいない。
すぐに小指が擦れて血が滲み出す。
『…い、痛っ…!』
刺す様に足が痛んだが、それよりも今は二人の事が心配だった。
桃井さんが、わざわざ私に連絡を寄越した。
それは残っているメンバーだけでは、どうにもならないから。
私に収拾出来るかは分からないが、きっと事態は急を要する。
私で出来る事なら何でもしたい。
今は、それしか考えられなかった。
『きゃっ…!?』
足が路上の石畳に引っかかり、私は転んでしまった。
『…ったぁ…』
私は足を擦り、起き上がる。
ストッキングが破れて軽く擦り剥き血が滲んでいたが、動かしてみて捻挫や骨折は大丈夫と確認する。
その時、傍に来た乗用車が軽くクラクションを鳴らし、ライトを点滅させた。
その車の後部座席に乗っていた赤司君が、私のバッグを掲げて見せた。
「苗字、折角の格好が台無しだな。忘れ物だよ」
『…っ赤司君…!!? 私、会場に戻らないからね!?』
私が慌てて言い募ると、赤司君は可笑しそうに口の端を緩めた。
「部活で起きた事なら、部長の俺が行かなきゃならないだろう?
まさか君、そのまま学校まで走るつもりじゃないだろうね? 一緒に来たいのなら乗るといい」
※※※
私は車の後部座席で赤司君に手当して貰った。
「全く君は…冷静かと思えば無茶をする。靴とストッキングを脱いで。向こうを向いているから」
『…すみません。ありがとうございます』
私は運転席からも見えない様に、破れたストッキングを脱ぎ、スカートを膝まで捲った。
足を見せるのは恥ずかしいけど、このままでは反ってみっともないし、歩くのにも支障が出るからやむを得ない。
『救急箱、常備しているの?』
「簡単なキットだけどね。念の為に。傷の消毒と止血くらいなら出来る」
赤司君は手早く傷を拭い、膝に滅菌ガーゼを当てテープで留めた。
「靴擦れも起こしているね。ほら足を上げて」
『…はい』
赤司君の指が赤く皮を剥け血が滲んだ小指に触れた。
一瞬走ったチリッとした痛みに思わず顔を顰める。
「…よくも、こんなになるまで走ったものだね。…そんなに緑間が大事?」
『え…? あの』
「妬けるね」
『…は!?』
い、今…何て言った? 彼…!?
きっと、からかわれたんだ。そうに違いない。
でも赤司君に言われると、心臓に悪い…!
私は騒ぐ心臓を宥める様に胸に手を当て目を逸らした。
※※※
間もなく帝光中学校の校門に着いた。
私は赤司君の肩を借り、支えられながら第一体育館に向かう。
ちらほらと下校する生徒達が私達を見てギョッとする。
制服姿の生徒の中で、スーツとドレス姿の私達は明らかに浮きまくっていた。
赤司君は体育館の扉をガラリと開けた。
その時、私の目に飛び込んで来たのは、緑間君と青峰君の激しく睨み合っていた光景だった。
『緑間君、青峰君っ!!』
私は彼等の中に飛び込んで制止しようとしたが、赤司君に肩を掴んで止められた。
『…え!?』
「落ち着け苗字。1on1だ」
確かに良く見ると、彼等はバスケボールを突きながら対峙していた。
喧嘩じゃなかったのか…?
「やるじゃねーか、緑間っ!」
「ふん、青峰もバスケだけは大したものなのだよ!」
「だけは余計だ!」
…意外と楽しそうなんですけど。
つか緑間君、怪我とかはしてないみたいね。…良かった。
私はそっと安堵の息を吐いた。
体育館に入って来た私達に、気が付いた黒子君は目を瞠った。
「赤司君と苗字さん…その恰好は…!?」
『た、偶々出先で会って!』
私は慌ててパタパタと手を振った。
デートとかじゃないからね!? との意を込めたつもりだけど。
「その様な恰好で寄り添っているのを見ると、どう見てもデートですよね」って言われてしまった。
しかし赤司君の方は、構わず冷静に質した。
「一体、何があった? 黒子」
「見ての通りです。青峰君と緑間君が何やら…言い合いを始めて、1on1で決着つけようと言う事になって」
『どんな言い合い?』
「それは…その、ええと…男同士の決着、みたいな?」
黒子君の目が泳いだ。
「…っ、僕に聞かないでくださいっ!!」
『ええっ!?』
何でそこで逃げるのー!?
私は辺りを見回した。
他の部員達も何やら私と目が合うと、慌てて目を逸らしてしまう。何故だ?
私にメールをくれた桃井さんは、今は彼等二人のジャッジで目が離せない。
『なら紫原君は知ってる?…どんな言い合いしてこうなってるの?』
紫原君は大きな手を上に向けて差し出した。
「綽名ちん、お腹空いたー」
『えー…今日はお菓子とか持ってないよー』
「なら教えなーい」
『ちょ、もうっ!! いいよ、さつきちゃんに訊くから!』
「えーケチー」
謂れの無い非難を受けてしまった…
こんの年中Trick or Treatなお菓子巨人がっ!!
その時、横から解説してくれたのは黄瀬君だ。
「先に5点先取した方の勝ちで、ずっと勝負しているっス。
あれだけ激しい練習した後っスよ。二人共どんな身体してるんスかねー」
『…で、何故こんな事に?』
「それは俺には言えないっス。特に綽名っちにはw」
『何でよ!?』
「どうしても知りたかったら、あの二人に訊けばいいっスよ」
黄瀬君までも教えてくれる気はないらしい…
赤司君が割り込んだ。
「…で、試合の結果は?」
「8回目までは4対4っス。拮抗しているっスね」
なら次の勝負で決着が付くのか。
私は固唾を飲んで彼等を見つめた。
青峰君がゆっくりとドリブルしている。
緑間君が少し腰を落として構えた。
ゆっくりと…青峰君がドリブルする手を変えると突如、スピードを上げて緑間君に肉迫した。
「…っ!!」
青峰君は対応が僅かに遅れた緑間君を抜き去っていた。
緑間君は、すぐに体勢を整えて追いかける。
青峰君はゴールにボールを投げ上げた―
「行かせん!!」
瞬間、緑間君は青峰君のボールを叩き落とし奪った。
素早くドリブルを突いて反対側のゴールに向かうが、青峰君が緑間君を抜き去り立ち塞がる。
「甘めーよ、緑間っ!!」
センターライン近くで止まった緑間君は、ジャンプすると同時に高くボールを投げ上げた。
「な…っ!?」
そのボールは狙い過たず、ゴールリングを綺麗に潜った。
「…先取5回。俺の勝ちなのだよ!」
緑間君は眼鏡のブリッジを押さえて呟いた。
「…今、の…は?」
私の横で赤司君が驚愕に目を見開いていた。
『…赤司君? どうしたの?』
「君も…見ただろう? 今の…緑間のシュート…!」
今…の?
「うっわー! 緑間っち、今のシュートマジやべーっス!! 確かセンターラインから撃ってたっスよね!?」
『あぁ…っ!?』
そうだ…! 私の中では、彼が当たり前の様に撃っていた記憶があるから、今のがそれだと認識していなかった!
いくら天才でも、緑間君は始めから超高弾道スリーが撃てた訳じゃない。
今までは彼は外れない正確な3Pを撃つ選手だった。…でも今のは…
『キセキ…の技…だ』
もしかして…目覚めた?
緑間君は立ち尽くして、自分の左手をじっと見つめていた。
「よ、名前。来てたのか? つか何だ? その恰好w」
「赤司君とデートしてたそうです」
「げっ! マジかよ…!?」
青峰君は顔を顰めてドン引きしている。
『違いますっ!! …で、緑間君と言い合いしてたって?』
「…あー、まーな…」
青峰君も目を泳がせ、指先で頬を掻いた。
『皆その話、教えてくれないんだよねぇ。何話してたの?』
「…その事については決着したからな。緑間に訊けよ」
『はぁ…!?』
「じゃ、俺ぁ帰るぜ!」
青峰君は私の髪をグシャグシャと乱暴に撫で、クルリと後ろを向き手を上げた。
「お手並み拝見ってな。緑間! 言っとくが、てめーがしくじったら今のは無しにすっからな!」
「…分かっているのだよ!」
…何だか大喧嘩している風でも無い様な…?
私が首を傾げていると、緑間君が私をじっと見ていたのに気が付いた。
『…今のシュート、凄かったね!』
「あ、ああ…まだ…紛れだがな」
彼も戸惑っている様だが、拒絶はされないらしい。
幾分安心した私は、ふっと笑みを零した。
『無事で…良かった!』
「何の事なのだよ? それよりも苗字、その恰好は…?」
「では苗字、帰ろうか。俺に掴まるといい」
「赤司?」
赤司君は私に優雅に手を差し出していた。
緑間君は一瞬ポカンとし、途端に眉間に縦皺を寄せる。
『あ、ありがと…』
私は足を引き摺りながら、赤司君の手を取ろうとした。が、その手は緑間君に掴まれた。
「苗字は俺が送るのだよ…!」
赤司君はクスクスと笑い出し踵を返した。
「彼女は足を痛めている。気を付けてやってくれ、緑間」
「足を…? そうか」
緑間君は着替えて戻って来た。
「苗字、帰るのだよ!」
彼は、布カバンの様な物の紐の部分をパンと伸ばした。
イヤな予感に、私は顔を引き攣らせた。
『…何? それ…??』
「おんぶ紐なのだよ!」
何で持ってるの…? って、聞くだけ愚問か…
私は彼がどうするつもりなのかを悟り、遠い目をした。
※※※
帰り道、私は緑間君に背負われていた。
この程度の怪我なら歩けるって主張したんだけど、彼は悪化するからと聞かなかった。
私達を見た黒子君に「それで本を開いて持てば、まるで二宮金次郎像みたいですね」と評され、『私は薪か!』と、つい突っ込んでしまった。
「…苗字は赤司と一緒にいたのだな」
『うん。桃井さんからのメールに驚いて、会場抜けて来ちゃった。きっと帰ったら大目玉だね』
私からは緑間君の表情が見えない。
彼は、ぽつりぽつりと話し出した。
「…青峰に抜かされた時、一瞬苗字の姿が見えたのだよ。
あれは絶対に負ける訳にはいかない勝負だった。
あの青峰の裏をかくには、3Pラインの遥か手前でシュートをする必要があった。
俺は追い詰められていたが、あの時は…何故か出来ると思ったのだよ」
『…緑間、君…?』
その時、緑間君がフッと笑った気配がした。
「きっと、お前が―いてくれたからだろうな」
『…え?』
それって…
私はドキリとしながらも、それ以上は聞けなかった。
『青峰君と言い合いしてたんだって?』
「ああ。元はあの1on1は青峰のヤツが持ちかけて来たのだよ」
『…で、どんな言い合いだったの?』
「それは―…」
緑間君は一瞬、言い澱む。
「俺の望みが成就したら教えてやるのだよ」
『えー!? それって、何時になるの…?』
「それは…お前次第、だな」
『…!?』
意味が分からず首を傾げた私に、彼は「その内に分からせてやるのだよ」と囁いたのだった。