愛と葛藤
「好き…だ。俺はお前の事が…好き、なのだよ…!」
夏の神社の境内で、私は緑間君に抱き締められて告白された。
私は一瞬頭が真っ白になり、彼の言葉を心の中で反芻する。
彼は熱の籠った瞳で私を捉えた。
緑間君が私の事を…?
彼の言葉が頭を回るに連れ、私の全身がかっと熱くなる。
彼の好意は以前から感じていたが、はっきりと言葉で伝えられると心が震えた。
緑間君と私は至近距離で互いの目を見交わした。
私は心の底から湧き上がる衝動のままに、彼の背中に腕を回し抱き返した。
「苗字…」
『緑間君…』
幸せな気持ちで私も、と告げようとしてハッとする。
今…このまま彼を受け入れて良いの?
私は、これから彼等に良くない事が起こる事を知っている。
既に青峰君には、その兆候が出ている。
緑間君と特別な関係になったら、皆との関係も変化するだろう。
今のまま皆と等距離で付き合えなくなったら、この先対処し難くなるのではないか?
『……っ』
私は腕の包囲を解き、彼から身を引いた。
「…苗字?」
彼は勇気を振り絞って告白してくれたのに、私は嬉しいと思っても応える事が出来ない。
申し訳ないと思いつつ、私は彼を見上げた。
『緑間君、気持ちはとても嬉しい。でも…真剣に気持ちを伝えてくれた緑間君に、こんな言い方するのは卑怯だと分かってる。
今は…誰ともお付き合いは出来ません。ごめんなさい』
彼は目を見開き、失望の色を浮かべた。
「今は…? とは、どう言う事だ?」
『訳は…今は話せない。もう少し…時間をください』
「他に好きな男がいるのか?」
私は黙って頭を横に振った。
緑間君は深く溜息を吐いた。
「正直に言ってほしい。もしお前に好きな男がいるなら、俺は…っ」
『違う…!』
私が好きなのは…っ!!
叫びたい言葉を飲み込み、私は痛い程唇を噛み締めた。
緑間君の翡翠色の瞳は、真っ直ぐに私を映し出してる。
私も彼を求めているのに、思いを伝えられないのが酷く苦しい。
覚悟はしていた筈だった。
今は大局を見るべきで、個人的な感情に囚われてはいけないと。
未来を知っているのは私だけ。
だから彼等の為に、出来るだけの事はしたいと思っていた。
でもそれを胸に秘め続けるのは、恐ろしい程の孤独をもたらした。
誰にも言う事も出来ず、警告すら出来ない。
そして今は、好きな人の思いに応える事も出来ず、ただ傷付けるだけ。
『…ごめんなさい』
今、私が泣くのは卑怯だ。私はぎこちない微笑みを浮かべた。
でも、私は既に後悔している。
全て投げ出して彼の思いに応えたいと、私の決心が揺らいでいる。
暫く重い沈黙が続いた。それは酷く長く思えたが、彼のゆっくりとした口調が沈黙を破った。
「苗字は他に好きな男がいる訳ではないが、今は俺…とも誰でも付き合えないと…言う事か? それは…お前以外の都合か?」
『え…?』
「お前の親が絡んでいるのか?」
『家の事情じゃないよ。これは私が決めた事なの!』
「なら、何故だ?」
『…ごめん。今は…言えない』
彼は溜息を吐いた。
「…俺の事が嫌いなのか? それとも男として見れないと?」
『違う…! 緑間君は、魅力的だし優しいし尊敬すらしている。嫌いになれる訳なんてないよ…!』
「そう…か。それが本当に断る方便でないのなら…俺は待つのだよ」
『…え?』
「俺は気持ちを伝えた。苗字が今受け入れられないのなら、受け入れられるまで、な」
『でもそれは…』
「今、苗字の心が誰の物でもないのならば、俺は他の男に取られぬ様に最善を尽くすまでなのだよ。では行くぞ」
彼は私の手を取った。触れられた所が熱い。
私は甘く高鳴る気持ちを押し殺し、俯いた。
『…行くってどこへ?』
「俺の家だ。お前の手の傷を手当せねばなるまい。このままだと感染症になりかねん」
彼に手を引かれて歩き出す。
こんないい加減な返事しか出来ない私なのに、緑間君は優しい。
「………」
暫く歩きながら、彼は何度も何かを言いかけては止めていた。
『どうしたの?』
彼は顔を真っ赤にし、グッと私の手を強く握った。
「苗字…いや、名前…っ」
『…っ!? 緑間君?』
「真太郎、だ」
『あの…?』
「二人きりの時だけでも俺を呼ぶ時は名前で呼べ。俺もお前を名前で呼ぶ事にするのだよ…名前」
『…うん。真太郎、ね?』
「ああ」
彼は柔らかく口の端を緩めた。
※※※
今日は夏休み最後の日、所謂青峰君の誕生日だ。
本当は、キセキ達とマネージャー達とで誕生会を開くつもりだったが、青峰君に断られていた。
最近ずっと青峰君の元気がなくなっている。
誕生日会とか、以前はとても喜びそうだったのに。
もしかしたら今は騒ぐ気持ちになれないのかもしれない。
私は以前彼に誕生日を祝って貰ったから、プレゼントだけでも渡そうと思ってクッキーとフィナンシェを焼き上げた。
そしてラッピングして彼の家に向かう事にした。
彼にメールを送信し、返信を貰ってから家を出た。彼は家にいるらしい。
青峰家に着き、青峰君にリビングに案内された。他の家族は留守だった。
暑い外から入った身には、エアコンの涼しい風が心地良い。
『あ、青峰君、誕生日おめでとー。はい、これプレゼント!』
「わざわざ悪ぃな。おー美味そうだな!」
彼は私に冷たい麦茶を出してくれたが、彼は鼻をひくひくさせ顔を顰めた。
「何か焦げ臭くねーか?」
『…言われてみれば…』
「お邪魔しまーす! 大ちゃんいるー?」
陽気な声と同時に入口の方から白い煙が流れ込んで来た。
私と青峰君は慌てて立ち上がる。
「さつき!?」
火の付いた何かを持った桃井さんが入って来た。
「大ちゃん…あれ? 名前ちゃんもいたの?」
『さつきちゃん、それ…何?』
「カップケーキだよ! 誕生日おめでとー、大ちゃん!」
カップケーキ…だったんだ?
彼女が出した大きなカップケーキの天辺が、まるで蝋燭の様に火が付いて燃えていた。
「大ちゃん誕生会しないって言うから、ケーキだけでもって焼いてみたんだー♪」
『…ざ、斬新なケーキだね…』
蝋燭と一体型なんて初めて見たよ。
「何でケーキが燃えてんだよっ!? つか火を消せっ!! そんな危険物、他人ん家に持ち込むんじゃねーー!!」
「大丈夫だよ、すぐに消えるから!」
彼女は息を吹きかけ、手でパタパタと仰いで火を消した。
外見は上が焦げたドーム状の白っぽい塊だ。
「さぁどうぞ☆」
「俺は食わねーぞ!」
「何よ、折角作ったのに!!」
「誰も作ってくれとは頼んでねぇ! つか火ぃ噴いたケーキ食わす気か!? てめー!」
「酷いっ!! 火つっても消したし燃えたの外だけじゃん!」
二人は大喧嘩を始めた。
「何よ、ガングロクロスケ!! もう作ってあげないんだから!」
「そっちの方が助かるぜ」
「もう知らないっ!!」
彼女は捨て台詞を吐くと、ケーキを置いて走り出て行った。
『さつきちゃん!』
「あー、もうほっとけ!」
私が彼女を追いかけて行こうとしたら、青峰君に腕を捉まれリビングのソファに座らされた。
「丁度良い。名前に聞きてえ事があんだよ」
『青峰君?』
「おめーと緑間とはどうなってるんだ?」
『…え?』
緑間君…
先日の事を思い出すと、頬が熱く火照ってくる。
『…告られた』
「っ!! …そうかよ。へっ、やっと奴もやる気を出したって所か。で? 名前は付き合うのか奴と」
『今はまだ…』
「あ? 何だそりゃ? 好きなら付き合えば良いだろ」
私の沈黙に彼は怪訝な顔をした。
「おめーは緑間の事が好きかと思ってたんだけどな。違うのか?」
『今は…誰とも付き合う気にはなれない』
「…おめー、何気にしてんのか知んねーけど、グズグズしてっと…」
『!!?』
肩に手が置かれ、不意に視界が一回転した。
私の視界をいっぱいに占めたのは、青峰君の鋭い表情。
私は全身をソファに沈み込ませたまま茫然と彼を見上げた。
「俺が襲うぞ?」
『…あ、青峰君っ!?』
青峰君が覆い被さって来て、みしり、とソファが軋んだ音を立てた。
彼の力で押さえ込まれると、身体がぴくりとも動かせない。
彼は私の耳元に口を寄せ囁いた。
「…名前…」
『は、離して…!』
私が涙目になりながら抵抗すると、彼はやっと身体を離した。
青峰君は私の顔に手を近付けた。
私は瞬間、びくりと身体を強張らせた。
「バーカ! 一々きょどってんじゃねーよ!」
『わっ!?』
彼の手は、私の髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。
「もし、おめーが俺の事を心配とかしてんなら、余計なお世話だっつーてんだ!
緑間より俺が良いなら、いつでも相手してやっけどよ、その気がねーなら帰れよ」
『…青峰君、ごめん』
「謝んな」
『うん…』
「あー、
俺は名前が帰る姿を二階から見送りながら、貰ったクッキーを一口齧った。
甘い筈のクッキーの味は何故かほろ苦く、俺の舌の上で砕け散る。
「…うめーな、これ。やっぱ、ちっと勿体ねー事したかな…?」
俺の独り言は夏の日差しの中に溶け消えた。
※※※
新学期が始まった。
始業式が終わり教室に戻る途中で、私は黄瀬君に捕まった。
「綽名っち! 夏休みぶりっス!」
『ああ黄瀬君、おはよー』
「あの時はデートの邪魔して悪かったっス。…で、あの後、どーなったんスか?」
『えーっと…』
私は曖昧に笑って誤魔化そうとした。
「緑間君に告られたのですよね?」
『何で知って…!? あっ!』
いつの間にか会話に加わった黒子君と黄瀬君が目を丸くして私を見ていた。
「…マジ…っスか?」
「マジ…なんですよね?」
『あああ…』
さらりとしたカマかけに見事に引っかかってしまった…
「緑間君、やっと告れたのですね。おめでとうごさいます!」
「二人共 あまりにもやきもきさせるから、面白…いや、心配したんスよ?」
黒子君は兎も角、黄瀬君…今のは何だ!?
「じゃ、二人は付き合う事にしたんスよね?」
『……うっ』
これで付き合っていないなんて言ったら、どう受け取られるか…
「残念だが苗字は、まだ誰とも付き合ってはいないのだよ」
突然、緑間君が乱入して来た。
「じゃ、緑間っちがフラれたって事っスか!?」
「まだフラれ…てはいないのだよ!! 多分!!」
「多分って何スか!? 何で付き合わないんスか!? 他にもっと良い男がいるからっスか!? 俺みたいな!」
「どさくさに紛れて厚かましい事言わないでください!」
「図々しいにも程があるのだよ!!」
「ダブルで酷っ!!」
…ど、どうしよう? 本当の事、言える筈無いし。
緑間君は、こほんと咳払いをした。
「兎に角この件に関しては、俺と苗字の間では話が着いている。これ以上の詮索は無用なのだよ。…苗字」
『はい?』
「手の怪我はどうだ? 診せてみろ」
私は彼に手を差し出した。
『緑間君の手当が良かったから、かなり良くなって来てるよ。ありがとう』
彼は「そうか」と軽く微笑むと、そのまま私の手を取り歩き出した。
私は手を覆う温かな感触にドキドキして顔を俯け、彼に歩調を合わせる。
「…あれ、本当に付き合ってないんスかねー? 初々しく二人で顔赤くしちゃって、世界作ってラブラブじゃないっスか?」
「僕に訊かないでください」
背後から、呆れた口調の会話が聞こえた。