If-帝光編(二年)


崩壊への序曲


始業式を終えた午後、三年生の先輩達の引退式が行われた。
花束を抱えた彼等は、全てやり切った表情で体育館を後にした。

全て終えた後、私は一旦廊下に出たが、ジャージを置き忘れたのに気付いて慌てて取りに戻った。
皆と別れて再び体育館に足を踏み入れた私は、一人立ち尽す人影を認めて足を止めた。

「よお」
『…虹村先輩』

私は隅の椅子に引っ掛けていたジャージを回収し、彼に向き直った。

「お世話になりました。今まで、ありがとうございました」

彼はこれが見納め、とでも言う様な感慨深げな表情で、体育館の中を眺め回していた。

「…明日から、もう部活に出る事が無くなるのか。何か変な気分だ」
『私も虹村先輩達がいない部活って、今一ピンと来ないです』
「ははw でも今年の全中は、二年生の活躍で優勝出来たよーなもんだ。赤司も俺より主将が板に付いてんだろ。
おめーらはもう最高学年なんだぜ。この中ではな」

前世でも最上級生になった時は、美術部の会計をやった。
色々と大変だったけど、いい経験にはなったと思えるようになった。

だから、こう言うのは初めてじゃない筈なのに…何故、言い知れぬ不安が湧き上って来るのだろう?

彼は私の髪を、やや乱暴な手付きで撫で混ぜた。

「そんな心細いみてーな面すんな。おめーもマネージャーが板に付いてきて、俺達も随分助かってた。
奴等は最強のメンバーだが、妙に不安定になる時もあるからな。そん時はおめーが支えてやれよ」

『…頑張ります』

そうだ。気弱になっていてはいけない。
私は、その為に一軍入りを決心したんだ。

「さてと、じゃ俺はもう行くわ」
『あの…っ、先輩は、どこかバスケ強豪校の推薦を受けられるのですよね?」

虹村先輩は、んー…と唸った。

「苗字は俺の親父の話は知ってたよな?」
『はい』
「今はまだ親父の病状も一進一退でさ、でもアメリカの病院で治療を受けられるって話が出てんだ。
だから俺もアメリカに行く。中学まではここにいるけどな」

『アメリカ…のどこですか?』
「ロサンゼルス。じゃな、苗字」

私は去り行く彼の後ろ姿に、深々と頭を下げた。

※※※

次の日は朝練が無いと言うのに、早く起きてしまったので、少し早く家を出た。

途中で緑間君に出会った。
告られた時以来二人きりになると、どうしても緊張してしまう。

『おはよう。緑間君も早いね。朝練無いのに』
「おはよう。俺は昨夜コーチに呼び出されたのだよ。…ところで名前、今は二人きりなのだが?」
『えっ?』

二人きりって…殊更強調されると、否応無く意識してしまう。
それに今の名前呼び…名前…あっ!

「……」

彼は、何か言いた気に眼鏡のブリッジを上げた。

『…う。し、真太郎君…』

何で名前で呼び合ってるだけで、顔が熱くなってくるんだよ!?
私は思わず俯いてしまったが、羞恥を跳ねのけ顔を上げたら、切れ長の翡翠色の目と合った。

彼は満足気に口元を軽く綻ばせた。

「全中前は練習が忙しくて、それどころでは無かったが、また折を見てピアノの連弾でもしないか?
そろそろ名前の弾く曲が聴きたくなってきたのだよ」
『…私もみ…真太郎君の曲が聴きたいな。もっと練習しておくよ』
「楽しみにしてるのだよ」

私に幸せをくれる緑間君に、私からも幸せを返してあげられたらいいのに。
…本当に、これが正しい道筋なのかも分からない。
あの漫画の先をもっと読めば出ているかもしれない。
そうしたら、この先何が起るか、どうすれば良いのかもっと分かるかもしれないのに。

少なくとも今分かっているのは、この先何か良くない事が起こると言う事。

皆を、緑間君達を守りたい。
今の私の願いはただ、それだけだ。


学校に着いてから緑間君は職員室に、私は教室に行くので途中まで一緒に廊下を歩いた。
別れる場所で向きを互いに変えた時、赤司君に声をかけられる。
彼の後ろには血相を変えた黒子君と桃井さんがいた。

只事ではない気配に、私は思わず足を止めた。

「緑間、苗字。白金監督が倒れた」
「なっ…!?」

私の記憶がフラッシュバックする。
監督が持っていた薬…あの時薬名を見た。…あれは風邪薬ではなかった。

ああ神様、これ以上彼等に悪い事が降りかかりません様に。

※※※

即日、監督は真田コーチに引き継がれ、練習は以前と変わりなく行われた。

『あ、ねぇ真太郎君、今日の昼休みは音楽室行かない?』
「残念だが、今日の昼は月バスの取材が来るから開けておけと赤司に言われている」
『…そっか』

内心の落胆を押し殺して微笑んだ私の気持ちを汲んだかの様に、彼は私の頭に手を置いた。

「…すまないな、名前」
『ううん。取材なら仕方ないよね。ならまた今度にしよう?』

黒子君を除いた一軍のレギュラーメンバー達は、最近テレビや雑誌等の取材が引きも切らなかった。
学校側も真田監督も、寧ろ積極的に受け入れしていた。

彼等が大人達に囲まれているのを見る度に、何だか遠く離れて行く気がしてしまう。
彼等はもう、"キセキ"と言う名のスター選手達だ。


次の部活が休みの日、皆で白金監督の見舞いに行く事になった。
三年生は倒れた次の日に既に見舞っていた。
近い内に遠い設備の整っている病院に転院するらしい。

次々と櫛の歯が抜けた様に人がいなくなっていくな…
あの時…赤司君にも監督の病気の事は告げなかったのは、今となっては良かったのだろうか? 分からない。


白金監督の病室は個室だった。
彼は固い表情のメンバーを穏やかに迎えた。

今は病状も小康状態で安定しているらしい。

「私も、もう少し君達を見ていたかったが…残念だ。更に成長する君達を、私の代わりに真田君が導くだろう。
私は遠くに行っても君達を見守っている。驕る事無く、常に意識を研ぎ澄ませながら精進を続けなさい」
「はいっ!」

見舞いが終わり、私もメンバーの後に続いて部屋を出ようとした。

「…苗字」

微かだがはっきりした声が私の耳朶を打ち、私は振り返った。

『監督?』
「あの時…口止めさせてすまなかった。私は、もう少し彼等を守ってやれると思っていたが…
こんな事をマネージャーの君に言うのは、お門違いなのは分かっている。
だが…君には何かを感じるのだ。ずっと…三軍の頃から、君には何かがあるのではないかと思っていた」
『私に…?』

三軍の頃から私の事まで知っていたのか…?

「不思議な事だが、君は彼等の中にいても、時折大人びて見える…」

監督は呟いた。

「今の私はもう、彼等の盾になってやる事は出来ない。
彼等の力は大き過ぎる。私は彼等の行く末を心配している。
彼等を纏めるには真田君が力を尽くすだろうが、どうか君も力になってやって欲しい」
『あの…?』

彼は軽く咳き込むと手を上げた。

「ああ…すまない。君は彼等と同学年なのに、私とした事が君に過ぎた負担を強いるとは。…忘れてくれ」

未来の一部を知ってる私は、それ故に安請け合いは出来ない。…でも。
私は彼に向き直り、姿勢を正す。

『…これから例え何が起ったとしても、私に出来るのは彼等を信じて寄り添う事だけです』

彼は弱々しく微笑んだ。

「それでも十分だ。苗字、よろしく頼む」
『お大事に』

私は監督に一礼して病室を出た。
廊下に出てドアを閉めて正面を向き、ギクリとして立ち竦む。

赤司君が壁に凭れ、腕を組んで立っていた。
その時、赤司君の左目が一瞬オレンジ色に揺らめいた様に見えた。

光の加減のせいだろうか? …それとも?

『…赤司君』
「遅かったね名前。話は済んだのかい?」

赤司君が私を名前で呼んだ…?

『は、はい。お待たせしてすみません』
「で、監督は何だって?」
『…私を三軍の時から見ていたと』
「それだけ?」

彼は曖昧に頷き通り過ぎようとした私の手首を素早く掴み、軽く力を入れた。
私は手首に走った痛みに顔を顰めた。

「以前もこんな事があったが、また僕に秘密にするのかい?」
『痛っ! 放して!』

私は抵抗したが、彼の縛めはびくとも揺るがなかった。
だがその時、彼の動きが一瞬止まった。

「…ぐ、邪魔…する、な…っ」

彼は私を掴んだ反対の手で顔の左半分を覆った。
整った顔が苦悶に歪む。

不意に腕の締め付けが緩んで、私は彼から腕を振り解き、離れて一歩下がった。
彼は力尽きたかの様に目を閉じ、頭がぐらりと前に傾ぐ。

『赤司君っ!!?』

私は腕を差し出し彼を支えた。
私は正面から彼を抱き抱える形になり、のしかかる重みで身動きが取れなくなってしまった。

『…大丈夫?』

赤司君は薄っすらと目を開いた。
その時は、彼の瞳は両目とも普段の紅色に戻っていた。

「……君は…お人好しが過ぎる…な」

彼は小さく私の耳元で囁き、私からゆっくりと身体を離した。

「苗字。手首は…大丈夫か?」

彼は私の手首を再び掴もうと手を伸ばしたが、私はびくりと身を竦ませた。
私のそんな反応に、彼は微かに自嘲の笑みを漏らす。

「…そうだな。すまなかった。今はただ…俺の付けた傷痕を診るだけのつもりだったが」

さっきの彼と今の彼は全くの別人の様だ。
こんなに早い切り替えが出来るとは。…まるで他人事みたいに。

『……赤司君って一体…?』
「それは…」

赤司君は、いつもの彼らしくなく一瞬言い淀んだ。

「赤司、ここにいたのか。苗字も。皆待っているのだよ」

赤司君の話を突然断ち切ったのは、様子を見に来た緑間君だった。
緑間君は私を見ると、一瞬視線を伏せた。

「ああ、すまない緑間。すぐに行くよ」

赤司君は穏やかに応えると、私を促して歩き出した。

※※※

私達は、一旦学校に戻ってから解散し、其々帰宅する事にした。
私は緑間君に誘われるままに、彼と一緒に学校を出た。

彼は私に手を繋いでも良いか? と聞き、私は頷き手を繋いで歩いた。

彼の大きな手は私の手をすっぽりと包み、伝わる体温は心地良く私をときめかせた。
だが彼は途中で足を止め、私の手を離した。

「…名前。俺が告白した時、他に好きな男はいないと言ったが、お前は実は赤司が好きなのではないか?」
『えっ!?』
「……俺は見たのだよ。病院の廊下で、お前と赤司が抱き合っているのを」

『真太郎…く』

あれ…見られていたんだ…!

私は一瞬血の気が引いたが、気力を振り立たせて緑間君を見返した。

『私は赤司君にそんな気持ちは無いよ。あれは…彼が眩暈を起こしたみたいで倒れそうになったのを支えたの』
「眩暈? 赤司がか!?」
『…うん』
「どこか…悪いのか?」
『どこと言う事はないみたいだけど…凄くストレスがかっているのかな? 彼も少し疲れているみたいだから』
「………」

緑間君は、顎に手を当てて暫し考え込んでいたが、小さく頷いた。
あの赤司君の変化の事を言って良いのか、まだ私は確信が持てないでいる。

「…確かにそれは有り得るかもしれん。俺も気を付けておくのだよ」

緑間君は私に手を差し出し、私は彼の手を再び握った。
強く握った彼の手は、彼自身の不安を伝えて来てる。
私は安心させる様に握り返した手に力を込めた。


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