雨に閉じ込められて
秀徳が負けた。
誠凛の選手は信じられない勝利に沸き、対照的に秀徳の選手達は茫然としている。
悔しそうな表情をしている選手もいる。
その中で緑間君は、何かに耐える様に固く目を閉じて動かなかった。
私は茫然と、狸の信楽焼きを抱えて座っていた。
隣から、黄瀬君が声をかけてくれていたみたいだが、耳に入っていなかった。
そうだ。
なんで私は失念していたんだ?
[黒子のバスケ]を読んだのは、前世での事。
それから、15年以上は経っている。
細部までは記憶が薄れていたものの、この話は[黒子]の中でも、ハイライトの一つだったはずだ。
私は一つの事に思い至る。
以前読んだのは、主人公・黒子…誠凛側からの視点で見てた。
誠凛側からは、苦労して掴んだ勝利…でも。
私の、今の立場は秀徳側だ。
「名前ちゃん…泣いているんスか?」
『…え…?』
頬に触れると、涙が指を伝った。
私…泣いてる…?
私は席を立った。
『ごめんね、黄瀬君、笠松さん。私帰る』
私は黄瀬君の制止も聞かずに走り出した。
どこへ向かっているのか、どうしたいのか、自分でも分からない。
頭の中では、黙々とシュート練習している緑間君の姿が去来する。
「人事を尽くして天命を待つ」
その言葉を旨として。
人智の及ばない所まで気を配って努力している彼は、時には変人の烙印まで押された。
それでも、努力する事に何の躊躇いも無い彼。
王者秀徳の獲得したキセキの世代。
勝利以外の結果はあり得ない、そんな立場が当たり前の彼。
私は部外者で、本来のこの世界の者ですらなくて。
そんな私が、この状況でどうしたら良いのか分からなかった。
会いたいのか? …それとも逃げたいのか?
私自身も渦巻く感情に混乱していた。
※※※
気が付いたら、秀徳の控室の近くまで来ていた。
廊下で高尾君に呼び止められる。
「名前ちゃん!」
『和成君…』
どうしよう…と躊躇いながら近付く。
『お疲れ様』
「…うん…泣いてた?」
高尾君も、いつもの陽気さは影を潜めている。
『…ごめん、酷い顔だね』私は俯いた。
高尾君は、私を抱きしめた。
「…今ちょっとだけ、こうさせといて?」
『和成君…?』
温かな腕が私の背中に回されて、ふわりと包み込む。
ささくれ立った気持ちが和らいでいく。
「名前ちゃん、俺…今度は絶対に負けないから!」
暫くしてから、私を離して目を見つめながら、静かに高尾君は宣言した。
『緑間君は…?』
「真ちゃんは外だよ、行ってやんな。真ちゃんは負けたのは初めてだから、俺よりきついっしょ」
『外…って…雨が降っているのに…?』
言いながらも私は理解した。
雨は、全てを洗い流す。……きっと、涙も。
※※※
私は、傘とタオルを持って外へ出た。
緑間君は、裏門の近くにひっそりと佇んでいた。
傘もささず、全身を雨に打たせて。
『緑間君、濡れたままだと風邪ひくよ?』
私は、傘をさしかけた。
小さい身長の私が、195cmある彼に傘をさしかけるのは、背伸びしてもきつい。
「…名前…」
私は、タオルと傘を渡したら、すぐに退散するつもりだった。
プライドの高い彼は、きっと泣いている事を他人に覚られたくないだろうから。
しかし緑間君は、傘を差し出した私の手を掴んで引き寄せた。
私は一瞬、何が起きたのか分からなかった。
気が付いたら、緑間君の大きな身体に抱きしめられていた。
彼の腕はしっかりと私の背中に回され、屈んだ彼の頭は、私の肩に埋められた。
そして僅かに震えていた。
声を出さずに嗚咽を堪えている様だった。
私は彼の頭にタオルをかけて、空いている方の左手で、ゆっくりと彼の背中をあやすように優しく叩いた。
お互いに無言だった。
雨の音と、お互いの心音だけが響いている。
まるで、雨によって隔絶された世界に、二人きりでいる様な錯覚に陥る。
その中での
呼び起される甘やかな感覚に、いつまでもこうしていたいと思ってしまう。
緑間君は、ゆっくりと顔を上げると、私の目を覗き込んだ。
私は緑間君の、切れ長の長い睫毛に縁取られた、翡翠色の眼を真直ぐに見返した。
…綺麗な瞳…
私は、魅入られたように動けなくなる。
緑間君は私の頬に両手を添えると、ゆっくり顔を近付けてくる。
え……?
もう、お互いの吐息がかかるくらいに顔が近い。
私は、顔に熱が集まっていくのを感じた。鼓動が早まっていく。
そして、そんな甘やかな緊張は突然破られた。
※※※
RRRRR…
緑間君の携帯の音。
私達は、弾かれた様に身体を離した。
なに今の。心臓が早鐘を打っている。
「…はい」
「あーミドリン!久しぶりー!!どうだった試合? 勝ったー!?負けたー!? ねえ、どうだったの?教えてよー!!!」
あまりにも場違いなキャピキャピした声が耳を打った。
「…(怒)!!」
緑間君は、携帯を切った。
その直後にすぐにまたかかって来る。
緑間君は、ため息を一つ吐いて電話に出た。
「…何なのだ、いい加減に…!?」
今度は男性の低い声。
「おーい何だよ、冷てえなぁ。さてはアレっしょ?負けちゃった?」
「…青峰か。そうだ。お前もせいぜい決勝リーグでは気を付けるのだよ」
「はーいー!?何言ってんだよ!?キモイって!俺を倒せる奴なんか、俺しかいねーよ」
「相変わらずだな、青峰。分かっているのか? つまり、決勝リーグで黒子と戦うと言う事なのだよ」
「何か勘違いしてるぜ?昔がどうでも関係ないだろ。…今は敵だ」
「………」
「…じゃあ、切るぜ」
「…ああ…」
「ミドリン、落ち込んでいる時にごめんねー!!元気出し…」「うるせーよ!!」
今のは帝光時代の…
私がぼうっとしていると、緑間君は私に傘をさしかけた。
「…名前、戻るのだよ。このままでは風邪をひく」
『ああ…うん、そうだね』
緑間君を見上げると、彼の耳が赤くなってた。
私は今までの展開が衝撃過ぎて、緑間君が私を呼ぶ時に、名前の方で呼んだことは気が付かなかった。
私は、まだ身体に残っている温もりが愛おしくて、自分の身体を抱きしめた。