If-帝光編(二年)


風の音


休み時間に、緑間君に声をかけられた。
彼はやけにそわそわしている。

「苗字、次の日曜日の予定はあるか?」
『ううん。別に無いよ』
「…なら、クラシックコンサートに行かないか?」

彼はコンサートのチケットを見せた。

『これってお高いんじゃなくて? 奥様』
「誰が奥様なのだよ!? 親が優待で貰った招待券だから心配ないのだよ。で、行くのか行かないのか?」
『うん、行くよ! 楽しみにしてるね!』
「…そ、そうか。それは何よりなのだよ」

彼は薄らと赤くなった頬を隠す様に、眼鏡のブリッジに指をかけた。

※※※

部活中、緑間君は先程の機嫌の良さとは打って変わって、不機嫌だった。
原因は、相変わらず青峰君と紫原君が部活に出て来なかった事だ。

チームワークなど必要ない。

そんな言葉を象徴するかの様に、部活中は皆、殆ど私語を発せず、掛け声のみで黙々と練習を続けていた。
全体的に雰囲気が重苦しく何だか…息が詰まる様な気がする…

私も、そっと溜息を吐いて作業を続けた。

部活が終わり、私は緑間君に声をかけようとしたが、彼の苛立ち混じりの舌打ちを聞いて思わず躊躇してしまった。
そして彼はそんな私に気付かず、先に更衣室に向かってしまった。

…なんだか声をかける雰囲気じゃないな…まぁいいか。
週末にはデート出来るし?

私は一人で帰る事にした。

校舎を出ようとした所で、偶然黄瀬君と出くわした。

「綽名っち! 一緒に帰らないっスか?」
『うん。いいよー』

黄瀬君はバスケ部に入ってからは、女子とはあまり一緒に行動せず、他のキセキ達とつるむ事が多くなっていた。
しかし最近は、そのキセキ達も個別に帰る様になっていて、あまり皆一緒にいる所は見なくなっていた。

『黄瀬君、この前の交流試合、凄かったね! ほら…あのターンアラウンド? 凄く綺麗に決まってた』
「でも俺は得点数が最下位だったっス…おかげでアイス奢らされる破目になったっス…」

『一位の青峰君が凄過ぎたんだよ! あんな適当そうに投げたボールが全部入るとか』
「マジあり得ないっス。練習には最近全然出て来ないっスけどね。俺も青峰っちと1on1出来なくなって、つまんないっス。…それに」
『それに?』
「最近また耳につくようになったんスよ、風の音」
『風…? まぁ、吹いているけどね、普通に?』

黄瀬君の瞳は陰った。
彼は目を細め、小さく呟く。

「…一時期は風が吹いても気にならなくなってたんスけどね…」

不意に彼のポケットから携帯が鳴った。

「…え? モデルの仕事っスか? 今度の土曜日……? いやあその日は練習があるんで…」

言いかけた彼は一旦言葉を切った。

「やっぱちょっと…考えさせて貰っていいっスか」

彼が携帯を切った後、私は聞かずにはいられなかった。

『仕事の電話?』
「そうっス」
『練習の日に被る時は断ってるんじゃ…?』

その時の―黄瀬君の冷めた瞳に私は息を飲んだ。

「…赤司っちが言ってたじゃないっスか。練習したくないならしなくていいって。俺達は練習しなくても勝てるんだし、別にいいっしょ?」

彼は私にいつもの様に笑いかけたが、私にはその笑顔が造り物めいて見えた。
確実に絶望の未来へと道筋が繋がって来ているのか?

私が顔を曇らせた事に頓着せず、彼は更ににこにこと笑いかけた。

「それより次の日曜、パーッとどっか遊びに行かないっスか? カラオケとか」
『…私、その日は予定があるから無理』
「予定? デートでもするんスか?」
『や、そんなんじゃないから! …ただ緑間君からコンサート誘われてて』

「緑間っちっスか…普通はそれをデートって言うんじゃないっスか?」
『異性の友達と一緒に遊びに行くのまでデートって言うの?』
「…緑間っちは友達っスか。なら俺がこんな事やっても別に問題は無いっスよね?」

黄瀬君が私の腕をいきなり掴み、塀に私を押し付けた。

『黄瀬君っ!?』

彼は屈み込み、私に綺麗な顔を近付けた。
その彼はいつもの様な軽い雰囲気はなく、瞳は冷ややかな光を湛えている。

「緑間っちは綽名っちに告ったのに、綽名っちは聞くとフッた訳でもないし、かと言って付き合ってる訳でもない。
緑間っちは詮索するなとか言ってたけど、傍から見たら、とんでもなく中途半端でいい加減な状態にしか見えないんスよ。
いくら本人が許したからって、純粋で真面目な緑間っちを振り回すのは、もうやめた方がいいんじゃないんスか?」

黄瀬君は恋愛感情に敏く、痛い面を突いてくる。
どんな言い訳も彼には通用しないだろう。
私は唇を痛い程噛み締めた。

もう、こんな事態になってしまったら、私に何が出来ると言うのか?
幾つかの要因が絡み合った結果の今分かる事は、私は無力で…いつか黒子君達が彼らを倒し、彼らが元に戻る未来が来る事を願うしか出来ないと言う事。

緑間君の気持ちに応えたいと思う反面、この状態で自分の恋愛を優先する事に罪悪感がある。
結局…私だって、自分の事しか考えてない、と言われても反論出来ない。

黄瀬君は私を離した。

「俺、綽名っちは緑間っちを好きだと思ってたんスよねー。だから意外と言うか。
ま、今更余計な事ぐちゃぐちゃ考えても仕方ねーし、好きな事すればいいと思うんス。俺もこれから好きにさせてもらうし。じゃ」

去る彼の後ろ姿を見送っていると、空虚な風の音がやけに耳についた。


※※※


帰宅して、自分の部屋に飾られたアイスフラワーを眺め、私は溜息を吐いた。

好きな事をすればいい…か。
私はただ…こんな事になるのを回避したかった。
それが出来なかった今、何をすればいいのだろう…?
そのまま特に何もせずに彼らの傍にいるだけでいいのか…?

そして…これ以上何も起こらず、そのままに事態が進行するだけなのか?

黒子君は一応、そのまま部活に出ている。
使われ方は変わったけど、レギュラーを下ろされた訳ではない。
辛いだろうけど、これ以上…バスケを止めたいと思うまでの程とは思えない。
これから更に何か起こるのか?

キセキ達に起こった事のあらましは分かったけど…私はこれから先はどうしたらいいのだろう?

先程の黄瀬君の言葉が頭に木霊する。

好きに―か。
私は何をどう好きにしたいのだろうか?

緑間君の顔が脳裏に浮かんだ。

緑間君―…

緑間君からの告白を受けて、私はその返事を保留したままだ。
確かに黄瀬君の言う通り、私は中途半端でずるい女だ。

私は―緑間君と付き合いたいのか…?
彼の事は男性として意識している。それは間違いなく恋愛感情だと思う。

『…付き合って…いいのかな?』

未来の事なんて、断片的にしか分からない。
なら、彼の申し出を受けようか…?

私は揺れる気持ちを抱えながら、アイスフラワーを見つめた。


※※※


緑間君と約束した日の前日夜、私はいきなり母から言い渡された。

「名前、明日はお父様の仕事先の方と会食があるから、時間を空けておきなさい」

時間を聞いたら、もろに被っていた。
私は既に友人と約束があるからと断ったが、母は聞いてくれなかった。

私は渋々緑間君に電話して事情を話し、謝りつつデートをキャンセルせざるを得なかった。

『…と言うわけで、行けなくなってしまったの。ごめんなさい』
「外せない家の用事なら仕方がないのだよ。残念だが、また機会があったら誘っていいか?」
『ありがとう。そうしてくれたら嬉しい。…今回の事は私も残念。ごめんね』
「何度も謝らなくていい。その言葉だけで十分なのだよ。では、またな」

緑間君、本当に良い人だ。


当日、私は憂鬱な気分で支度をしていた。

…緑間君とコンサートに行きたかったな…

親の仕事に私が同伴する事は珍しい。
以前、同伴した事はあったが、それは相手が赤司家だった時だ。

会食って、家族全員だと思っていたら、兄は同伴する事はなく私だけだった。
私は用事を潰されてまで同伴を強制されていたのに釈然としない。

事情が飲み込めたのは会場に着いてからだった。
場所は、大きなコンサートホールも入っている会館の中にある高級レストラン。少人数用の一室を借り切ったらしい。

「これは赤司様。ご招待、ありがとうございます」
「よろしくお願いします。今回は息子も同伴させてます。そちらのお嬢さんは息子と同学年でしたな」

うわー…
微妙にもしかしたらと思っていたら、やっぱり赤司様一家だー!

中は少し広めの個室で、こじんまりとしているが、瀟洒な装飾がそこかしこに設えてある。

会食は和やかに始まった。
ぶっちゃけ、私はただのオマケでしかないので、大人しく大人達の会話を聞き流しながら食事を続けていた。
それは赤司君も同様だった。

大人の中だから当然だとは思うが、この席での彼の貼り付いた様な微笑みは陶器の人形めいて見えた。
それでも訳が分からず参加した私とは違い、時折問われた事には落ち着いて適切な返しをしていた。

彼はきっと、この様な席には慣れているのだろう。
私とは違い、後継ぎとして同席しているのだから。

とても中学生とは思えないや。…凄いなぁ。
二度目の中学生の私よりずっと大人びている。

「息子と同じバスケ部だそうですな。お嬢さんはマネージャーをされているそうで」
「ええ。この子ったら、一軍のマネージャーになった事を私達に言わなくて。赤司様から連絡が入って初めて知りましたから、ご挨拶が遅れてしまいました」

ええ…そんな事言ってるよ。

その場の全員の視線が私に集まった。
私は黙っている事が出来なくなり、渋々口を開いた。

『…一軍になったと言っても、私はまだまだ半人前ですので、あまり周りに知らせるのは憚られたのです。今でもそうですが』
「だからって名前」
「お嬢さんは謙虚な方ですな。征十郎はお嬢さんから見て、どうですかな?」

赤司君のオッドアイが微かに細められた。
私は息を整え、確かめる様にゆっくりと話す。

『赤司君は…私と同学年とは思えない位しっかりしてて、とても頼もしい主将です。皆に気を配ってくれますし、皆に信頼されています』
「征十郎はゆくゆくは私の跡を継がなければならない。上に立つ者として、当たり前の事ですな」
「娘から聞きました。優勝されたそうですね。優秀なご子息で羨ましいです」
「赤司家の者として、当然の事です」

…うわ。
何だかこのお父さん、息が詰まるな。

以前、赤司君がこぼしていた話を思い出す。
どんなに優秀でも、まだ彼も子供だ。
日常がこれでは、私ならストレスで身体壊すわ。

彼は必死で努力している。
どんなに努力しても、トップに立てるのは並大抵ではない。
それでも、当然の事としか言われない。

それはあくまでも外向け…ならいいけど、家の中でもこんな状態なんだろうか。

今の赤司君がこうなったのは、彼の防衛本能のなせる業なのかな。

赤司君をそっと伺い見ると、彼は能面の様に無表情だった。

オッドアイの彼は恐ろしいばかりと思っていたが、今では彼が痛々しく見えてきてしまった。
彼に同情なんて傲慢でしかないけど、あの以前の赤司君の表情を取り戻して欲しいと願ってしまう。
それは私の感傷でしかないのだろうか?

「人の上に立つには、それなりの能力を示す必要がありますからな。跡取りとして優秀でなければ人はついて来ますまい」
「仰る通りです。厳しい教育に裏打ちされた優秀なご子息…末も安泰ですね」

それにしても赤司君の事、跡取りとしか見てないのかな?
対外的にしても、もうちょっと親子の情みたいなものがあっても良いんじゃ…
他人様の家庭の事に口を出す筋合いはないけど、これだけが本心ならあんまりだ。

父親は気付いているのだろうか? 息子の変異を。

『赤司君…以前とかなり変わったよね?』

私が投げたさり気無い爆弾に、赤司君の手は止まった。

「何が変わっているんだい?」

その彼の瞳は無関心だった先程とは異なり、鋭く光っていた。

名前、それ以上父に余計な事言うな。

そう語っている眼光だ。
私は彼の父に視線を向けた。

『そう思いませんか?』
「さて…お嬢さんから見たらそうなのかもしれませんな。征十郎は成長期ですから、変わる事もあるでしょう」
「僕は自分では分からないな。苗字さん、デザートはどれが良いかい?」

彼は私にメニューを開いて見せた。
そのメニューをこちらに寄越してはくれなかったので、私は少しテーブルに身を乗り出した。

彼も同じ様に乗り出し、そのメニューで親達の視線を遮り、私の耳元に小声で言葉を落とす。

「これ以上、僕の事で余計な事言うのは許さない」

そのまま彼は変わらぬ笑みで「ここはマスカルポーネチーズとベリーのタルトがお勧めだよ」と続けた。


※※※


食事会は終わり、私達はレストランの外に出た。
あの後はまた親達の仕事の話に戻って、私達は特に会話はしなかった。

会館のホールに出ると、大勢の人達がいた。

『何かあるのかな?』
「コンサートがあったらしいね。ショパンコンクールで優勝したピアニストの」
『へぇ…』

あれ?
そのコンサート、どこかで聞いた様な…

私は首を傾げた。

ってそれってもしかして…!
その後すぐ思い出し、どっと冷や汗が出て来た。

お、同じホールかよ。
緑間君は、あれから誰かと行ったのだろうか?
ドタキャンだったからなぁ。

「赤司? …と苗字…」
「やぁ真太郎、奇遇だね」

緑間君が呆然と鍋抱えて立っていた。
コンサートに鍋…おは朝は鬼畜だ。

しかし…拙い。何か分からないけど、兎に角拙い…ような気がするっ!

緑間君は驚きに目を見開き、私と赤司君を交互に見た。

『あ、緑間君、これは』
「家の用事、とはこれの事なのか?」
『相手が赤司君ん家とは知らなかったのよ』

今の短いやり取りで、明敏な赤司君は事態を把握したらしい。
それは良いけど、何故赤司君が私の肩を抱いて引き寄せているのか、解せないのですが。

あからさまに緑間君はムッとして赤司君を睨んでいるが、赤司君は涼しい顔をしているし。
私は一体、どうしたら良いの?

「赤司…っ!」
「どうかしたのかい? 真太郎。彼女とは一緒に食事をしただけだよ」
「なら、その手は何なのだよ…!!」

一触即発の空気の中、私達の後ろから親達が現れ、赤司君は私から手を離した。

「じゃあ真太郎、また学校で。名前、行こうか」
『緑間君…』
「……っ!」

私はその時の緑間君の視線が忘れられない。
悔しさと悲しさに曇らせた瞳を。

足が縫い留められた様に動けなかった私は、赤司君に促されて渋々歩き出した。


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