修学旅行(後篇)
「ちっ、走りにくいぜ!」
青峰君は素早く裾をからげ、また走り出す。
やっぱり私はくノ一の装束にして正解だった。
全速力で走っている私達の前にバラバラと男達が立ち塞がった。
私達は横道に飛び込むが、その先にも追手が立ち塞がっている。このままでは袋の鼠だ。
「おい緑間、手を貸せ! 名前はどいてろ!」
青峰君は脇に置いてあった俵を積んだ大八車を、前の男に向かって渾身の力で押し出した。
瞬時に意図を覚った緑間君が、すぐさま並んで一緒に押す。
始めはゆっくりと動き出した大八車が次第に勢いを付けて走り出すと、青峰君は俵の上に飛び乗る。
勝ち誇った笑みを浮かべていた男は驚愕に引き攣り、慌てて逃げ出した。
青峰君が「とうっ!」と掛け声と同時に飛び降りざまに鮮やかな蹴りを放つ。
蹴りは見事にヒットし、男は吹っ飛んだ。
しかし一人倒しても次から次へとまた追手達が湧いて出る。
囲まれる事だけは避けなくてはならない。
私達はぐるぐると園内を逃げ回った。
撮影中でなくて良かったが、他の観光客からそんな私達が胡乱気に見られてしまうのは辛い。
そして緑間君と青峰君は問題ないが、私の体力が切れつつあった。
「名前大丈夫か?…そろそろ何とかならないか? 青峰」
「広い所で一遍に来られっと流石に不利だぜ。奴ら5,6人以上いるみてーだし」
「狭い場所で各個撃破か。ならあそこはどうだ?」
緑間君が指したのは、からくり忍者屋敷。
「へっ、面白れぇじゃんw そこなら一人ずつやっつけられっかもな」
忍者屋敷の入口には、屋根の上に忍者の人形がポーズを取っていた。
「おめー…ここであの真似してろよw」
「一人だけ色があからさまに違うのに、誤魔化すのは無理があるのだよ」
『私が落ちたらどうしてくれる?』
「おめー…そこまで運痴…あー…そりゃ俺が抱き止めて…」
『何でそこで赤面してるの!?』
「何か碌でも無い事でも想像しているのだよ」
「うっせーぞ緑間! 兎に角入んぞ!」
入口から履物を脱いで上がり廊下を歩くとすぐに襖があった。
襖を開けると広い和室になっている。
「一見普通の部屋だけどよ、からくり忍者屋敷と言うからには、どっかにどんでん返しとか…っ!??」
「青峰っ!!」
青峰君が何気なく寄りかかった壁がぐるりと一回転し、戻った青峰君が引き攣った表情で硬直していた。
その回転中に、追手の一人が裏の壁に貼り付いてた様な気がしたが…気の、せいだよね??
「………」
『……』
「何やっているのだよ?」
青峰君は慌ててどんでん返しの壁を押さえる。
と同時にその壁の向こうから声と壁を叩く音が聞こえた。
「おい今のは一体、何なんだ!?」
「あいつあの女の仲間じゃ…!?」
「この中にあの女もいたぞ!!」
「何ーーーっ!!??」
「名前、逃げるぞ!!」
逃げると言っても、ここは他へは繋がって…いや、ここは忍者屋敷だ。
他にもからくりがあるかもしれない。
私は別の壁を軽く叩いてみる。と、音の響きが異なる箇所があった。
『緑間君、ここ…!』
「おめーら早くしろ、保たねーぞ!」
「ああ」
青峰君は必死の形相で押えてる。
相手は複数で回そうとしているらしい。
緑間君は私の後ろから壁に手を添え軽く力を入れた。
『わっ!?』
途端にぐるりと壁が回転し、私は前に倒れ込んだ。
同時に背中に衝撃と重みを感じた。
「す、すまない…!」
私の後ろから緑間君も倒れ込んでしまった。
彼は慌てて身体を起こした。
その時、どたどたと激しい足音と青峰君の叫び声が聞こえた。
『青…っ!?』
私が戻ろうとしたら、緑間君が私の口を塞ぎ引き寄せた。
(しっ! 声を出すな名前!)
(だって青峰君が…っ!)
(奴等の狙いはお前だ。青峰一人なら何とでもなる。俺達は別の脱出路を探すぞ)
『…青峰君…』
いくら彼が喧嘩強くても多勢に無勢だ。
でも今私が行っても事態はもっと悪くなるだけ。…緑間君の言う事は正しい。
「…名前。青峰もきっとそう言うと思うのだよ」
『……ご免ね、真太郎も…辛いよね』
「俺の事はどうでもいい。名前は自分の事だけを考えろ」
彼の素っ気ない言葉は私への気遣いが籠っている。
私は確かに足手まといだ。だから―これ以上は邪魔しない様に、先に進む事を考えなきゃ。
私は意識を切り替え、辺りを見回した。
何だろ、これ…
私の頭の上の高さに棚らしき物がある。
それにしても変な位置にあるな。
私の視線に気付いた緑間君が首を傾げた。
「…変わった棚なのだよ」
『うん…随分高い所にあるなと』
「上には何も乗ってはいないが、妙な仕切りがあって、まるで…梯子?の様なのだよ」
『梯子…!? もしかして動かせたりするかな?』
良く見ると、壁の一部から出っ張りが出て、それが支えになっていた。
その出っ張りを押してみると引っ込み、棚の片側が落ちた。
『わっ!?』
「これは随分と巧妙な仕掛けなのだよ。階段が現れた」
『…さすが忍者屋敷…』
二階に上がり綱を引くと、階段が元通りの棚になった。
「青峰の前に敵が来ないとも限らん。青峰が来た時に下ろしてやるのだよ」
『でも中々来ないね…大丈夫かな?』
緑間君は辺りを歩き出し、私も彼に続いて辺りを調べた。
二階の廊下の片側に部屋がある。
彼はそこを開けて入った。
「名前、こっちに来てみろ」
部屋の突き当りは明り取りの窓が開いていて、横木が等間隔で嵌っていた。
『何…?』
「しっ!」
そっと下を見ると、青峰君が乱闘していた。
大の大人数人相手に渡り合ってはいるが、流石に多勢に無勢、どうしても不利は否めない。
『青峰君…!』
私は横木に手をかけ思わず力をいれてしまう。と同時に、ガコッと音がして横木が外れた。
壊れた…!?
真っ青になった私の手から、緑間君は外れた横木を引っ手繰り、階下に向かって放り投げる。
「逃げるぞ!」
『あっ…!』
緑間君は、私の肩を抱き、窓から離した。
階下から男達の喚き声がした。
「痛ってーーーー!!!! 何だこりゃ!?」
「どこから降って来た!?…ぐあっ!!?」
私達が部屋から廊下に出た時、階段が落ちる音がした。
「こんな所に仕掛けがありやがった!」
見付かった!?
同時にどたどたと上がって来る荒々しい足音が響く。
私は反射的に元の部屋に戻ろうとしたが、緑間君に腕を掴まれた。
「そっちではないのだよ」
『?』
「別ルートで行く」
彼は廊下の反対側を指し示した。
『何か…変なロープが張ってあるね』
「ここに乗れ」
『へっ?』
「おい、いたぞ! こっちだ!!」
緑間君は素早く身を沈め、飛び掛かって来た男の軸足を蹴り払う。
「ぐわっ!」
男はバランスを崩して転がり、後ろから続く男達の足も止めた。
彼が喧嘩している所は初めて見たが、案外強いのかもしれない。
「生意気に反撃しやがって、このガキ…! この人数で囲まれりゃ、逃げらんねーぜ観念しな」
「その女を渡せ」
「断る!」
緑間君はロープに手をかけ、私を背に庇い彼等を睨み据えた。
彼の大きな背中が頼もしく見える。
「へぇそうかい、女の前だからって一丁前に格好つけてんのか? こりゃ痛い目見せなきゃ分からねーらしいな?」
「名前、俺に掴まれ。離すなよ」
彼はロープの結び目を解いていた手を離した。
『きゃあ!?』
突然足元の床が消失した。
大きな音を立てて落ちた床と同時に、私と緑間君が宙に放り出される。
彼は私を抱き締め、柔らかく着地した。
私は安堵の溜息を吐いたその瞬間、不意に頭を押さえられ押し倒された。
『っ!??』
目の前を大きな影が横切った。
それはギュウと妙な声を立て、動かなくなった。
目の前に青峰君が立って、呆れた様にこちらを見下ろす。
「…あれ? 何でおめーら、そんなとこにいるんだ? つか、どさくさに紛れていちゃつくんじゃねーよ!」
「いちゃついてなんかいないのだよ!」
「じゃ、何で名前を押し倒してんだよ! ずりーぞ、おめーだけ…!」
「貴様がこっちにこいつを投げて寄越したのだよ! 危ないのだよ!!」
「払ったら飛んじまったんだ。悪りーな!」
『あ、青峰君、無事で良かった…!!』
「へっ、俺があんなどんくせージジイ共にやられっわけねーだろ!」
歩き出した時、私は足元に微かな違和感を感じた。
…これって。
「まだ来るのだよ」
「…あ?」
「落とし天井から来るのを諦めたらしいな」
「チッ、まだいるのか!」
『青峰君、後ろ!!』
彼の後ろの掛け軸を捲れ、さっきの男達がまた現れた。
私の悲鳴を聞いた彼は後ろも見ずに回し蹴りを放ち、それは男の鳩尾にめり込んだ。
「げほっ…!!」
「出るぞ! このままでは囲まれる!!」
「おう」
彼等は私を中心に背を合わせた。
行く手に回り込んだ男は青峰君の強さに怯んだが、与しやすそうと見たのか二人同時に緑間君に襲い掛かった。
私は彼等の背から走り出て、障子の敷居の端を踏む。
踏んだ敷居の端が沈み、反対側が浮いた。
浮いた敷居に足を引っかけた一人がつんのめる。
緑間君は体勢を崩した男の襟を掴み、勢いを利用してもう一人に向かって投げ込んだ。
激突した二人は同時に床に転がって動かなくなった。
「おーやるじゃんw」
「…よく仕掛けが分かったのだよ」
『さっき歩いた時、少し動いたの。時代劇にもあったし」
忍者屋敷では敷居の中に武器を隠す事がある。
端を踏むと外れる仕組みだ。
こんな豆知識が役立つとは思わなかった。
玄関まで戻り出ようとしたが、靴を取った時に青峰君が顔を顰めた。
「まだ外で待ち構えてやがる。…やるか?」
「……待つのだよ。何も馬鹿正直に正面突破する必要はあるまい」
一階の所々に男達が倒れている。
暴れた痕跡もあったりするので、係員に見付かったら大変な事になるな…
緑間君は縁側から裏口を窺う。
「…思った通りなのだよ。裏にも連中がいる」
「裏の方が少ねーけどな」
「油断は出来ないのだよ。ここが忍者屋敷なら…」
彼は居間の壁際に移動すると、片端から軽く壁を押して歩いた。
その内の一か所がくるりと一回転し小部屋が現れた。
『こんな所にも!?』
「何だ!?ここ! 狭めーな!!」
「しっ、見付かる!!静かにするのだよ!」
緑間君はしゃがむと、辺りの壁を調べ出した。
突き当りは一か所が木の壁になっている。
彼は暫くそこを調べていたが、紙を鞄から出し端に差し込み上へスライドさせた。
カタリと軽い音を立てて木の壁が開く。
そこは小さな木戸になっている事に気が付いた。
そのまま外に出た私達が木戸を元通りに閉めたら、外からは開かなくなった。
「…マジかよ」
『どうなってんだろ、この仕掛け…?』
「奴らを撒く。気付かれる前に脱出するぞ」
私達はそっと抜け出した。
『…これで撒けたかな?』
「兎に角そろそろ時間だ。宿に戻るのだよ」
「腹減ったぜ」
その時、私達の鼓膜を野太い声がつんざいた。
「あそこだ!! 捕まえろ!!」
「チッ、しつけーんだよ!!」
「出口まで走るぞ!」
私達は一斉に走り出した。
とは言っても、出口はまだずっと先だ。
「名前っ!!」
緑間君は私の腕を掴み、引き寄せた。と同時に後ろから私の足に何かがぶつかる重い感触があった。
振り返った瞬間目に映ったのは、追いかけて来た男が体勢を崩し、青峰君に堀に蹴り落されている所だ。
「そこまでだ、ガキ共」
男が一人、私達の行く手に立っていた。
今までの男達以上に剣呑な雰囲気を発している。
「女、烏の縫いぐるみを渡しな」
『何…?』
「渡さなきゃ、おめーの額に穴が開くぜ?」
その男はピタリと拳銃を私の額に狙い定めた。
「てめ…っ!! どーせ偽もんだろ!!?」
「試すか? ここで殺ってもドラマか何かの撮影としか思われないだろうがな」
「くっ…!」
「お前が俺を攻撃する前に、俺が引き金引く方が早い」
男はゆっくりと引き金に指をかける。
私の血が恐怖で泡立つ。
私は銃口を見つめながら、身体が麻痺したかの様に動く事が出来なかった。
縫いぐるみ…
何で彼等はこんな縫いぐるみを血相変えて追いかけているのか?
もしあれが本物の銃だったら…
その時、私の額に手が当てられた。
温かな手は突如、私の思考を現実に引き戻す。
『…?』
私は顔を上げて、その手の主を見上げた。
額を覆っているのは、テーピングを施した緑間君の左手だ。
『ちょっと…! この手を外して!!』
私は慌てて彼の手を外そうとしたが、彼は額から動かさなかった。
「いかな名前の頼みでも、それだけは聞けないのだよ。あの銃口はお前を狙っている」
『駄目だよ!! 大切な左手なのに…!』
「俺は…お前以上に大切なものなどない」
彼の言葉に私の視界が涙で曇った。
私の代わりに彼が傷付くなんて絶対に嫌だ。ましてや彼の左手は…彼の努力の全てが集約されてる。
こんな縫いぐるみなんて比べ物になる筈もない。
『止めて!撃たないで!!!渡すよ、渡すから…!!』
「ガキ共野郎は動くなよ? 女だけこっちに来い」
私は緑間君の手を振り切った。
「…名前」
『大丈夫だよ。縫いぐるみを渡すだけだから』
心配そうな彼に、私はぎこちない笑みを返す。
護ってもらうだけの足手纏いなんて嫌だ。
私はもう彼等を巻き込んでしまっている。
せめて…これだけでも自分で決着を付けなくては。
『…ありがとう』
私は緑間君と青峰君から視線を戻し、男に向かい決然と足を踏み出した。