Rhapsody in Green


ノクターンを奏でよう-1-


私は放課後、廊下を歩いていた。
今日は、数少ない音楽室を使える日だ。

しかし、今日は音楽教師が不在で、ピアノの鍵を借りる事が出来なかった。
しょーがない…今日は家で弾くか。
諦めた気持ちを抱えながら、それでも未練がましく音楽室を覗きに行く。

近付くにつれ、微かにピアノの音が聞こえて来た。
私は思わず耳を澄ました。

誰だろう…?
これ、ショパンの[ノクターンop.9-1]…だよね?
私もこの曲は大好きだ。
繊細な儚い旋律が、切なく私の心を揺らす。

私は優美で滑らかな指使いの、この弾き手を無性に見たくなった。
そっと扉を開けて、中を確認する。
『えっ…!?』
私は驚きのあまり、低い声を漏らした。

緑間君!!??

…そう言えば、彼もピアノを弾くんだっけ…?
クラシック好きだとは聞いてはいたけど…
私なんか、足元にも及ばない。

私は秘かに嘆息した。
全く…天…いや、この場合は黒バスの作者か。
彼に二物も三物も与えたものだ。
…でも、ここまで弾けるのも、きっと彼は人事を尽くしたからだろう。
いくら天才でも、地道な練習無しにはピアノは弾けない。

最近の私は何か変だ。
ちょっとした事で、すぐ心を揺らす。緑間君に関する事に限るけど。
聞いているうちに、私は、そこから動けなくなった。
彼の指先が奏でる旋律は、私の心を優しく縛る。

不意にピアノの音が止んだ事に、私はすぐには気が付かなかった。
ぼうっと熱に浮かされた様に、そこに佇んでいたから。

目の前の扉が開き、そこに緑間君が立っていた。
「名前…?」

私は驚いて、後ろに下がろうとしてよろめいた。
がくりと身体が後ろに倒れそうになる。
緑間君は慌てて私の腕を掴み、引き寄せた。
「危ない!」

『…!!!』

私は、緑間君に抱きしめられる様に支えられていた。

私は全身が、かっと熱くなっていくのを感じた。
心臓が激しく脈打つ。でも、ずっと…こうしていたい。…あの、雨の日の様に。

ああ…私は、こんなに緑間君が好きになっていたんだ。
仲の良い変わり者の友人と思っていたのに、いつの間に、こんなに彼を愛おしいと思う様になっていったのか。

「大丈夫か?名前」
緑間君は、気遣わしげに私の顔を覗き込んだ。
額が軽く触れ合う。

私は我に返って、身体を離した。
恥ずかしくて目が合わせられない。

『あ…ご、ごめん!ピアノの音が聞こえたから、誰が弾いていたんだろうって思って。演奏、邪魔しちゃったね』
「あー…それは大丈夫なのだよ。お前もピアノは弾くんだろう?…どうだ?弾いて行かないか?」
『あれ?真太郎君は、私がピアノ弾く事知ってたの?』

「…以前、通りがかった時に弾いているのを見たのだよ。…あの[ヴェニスの舟歌]は見事だった」
『……声かけてくれれば良かったのに』
「途中で演奏を止めさせるのが忍びなかったのだよ」

緑間君は優しく微笑んで私を見つめる。
ようやく目を合わせてくれる様になったのかな?
私も嬉しくなって、微笑んだ。

音楽室に入って、緑間君の楽譜を見せてもらう。
『真太郎君の弾いていたノクターンも素敵だったよ。…感動して、涙が出そうになったもん』
「何よりもの褒め言葉なのだよ」
私は、楽譜を眺めつつ、問題の箇所を指で辿ってみる。

『この曲…22連符(パッセージ)が綺麗に弾けないんだよねぇ…左手、12の八分音符と合わせるのが難しくてさ』
「これは割り切れないのだから、きっちり同じ速度で弾くのではないのだよ。緩急をつけて弾くといいのだよ」
『確かに、CDで聴いてもそんな感じだった。…あとは完全に指が覚えるまで弾くことかね』
「……練習して上達したら、連弾でもするか?」
『それ、いいねぇ!真太郎君と連弾出来るってんなら、張り合いが出るよ!!』

「ノクターンなら、他にも曲があるが、こっちはどうなのだよ?」
緑間君が差し出した曲は、[ノクターンop.9-2]
こっちは有名な方だ。所謂"ショパンのノクターン"と言えば、日本では大抵がこの曲の事だ。

『そうだね。こっちの方がまだ弾き易いな!何と言っても、フラットが三つしかないからね!』(9-1は♭が5つw)
緑間君は大威張りでピースする私を、やや呆れた様に見やった。

「それなら、[黒鍵のエチュード]なんかはどうなるのだよ…?」
『キッツい突っ込みをありがとー! 黒鍵なんてフラットが六つよ!?
右手がほぼ黒鍵だけの曲とか有り得なくない!?…どーせなら、ショパンも[白鍵のエチュード]を作ればいいのに!!』

「…それでは単なるハ長調かイ短調なのだよ!…なら、マズルカop.24-2のハ長調部分だけ弾いたらどうだ?」(←白鍵のみ)
『一曲の部分だけとか!?なんて中途半端な…!?…でも、あれは変ニ長調に転調してからの旋律の方が好きなんだよねぇ…』(←黒鍵多い)
「フラットやシャープの数なんて、面倒なのは譜読みする時だけだろう。慣れさえすれば、いくつあろうが関係ないのだよ」


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