消えた?名前
呼び出しをかけても、名前は戻らなかった。
大坪先輩は腕を組んで唸った。
「…これは…どうしたもんかな」
「戻れない…訳でもあるとか?」
高尾の意見に、俺は聞き捨てならない物を感じた。
「戻れない訳があるとするなら、それは名前が、のっぴきならん状態にあると言う事なのだよ…!
即ち只事では無い、何かが名前の身に起こったのだよ!」
「まぁ、落ち着け、緑間。ただ闇雲に探しても見付かるものではない。
誰か苗字を目撃した者がいると思う。手分けして聞き込みをしよう」
俺達がそんな相談をしていたら、宮地先輩が来た。
「どーした? そんな所で雁首突き合せて」
「苗字ちゃんが消えたんスよ。放送で呼び出しても来ないんス」
「……苗字…??」
宮地先輩は顎に手を掛け、軽く首を傾げている。
「何か知っているんですか!?」
俺は、藁にも縋りたい気持ちで問いかけた。
「…いや…さっき、裕也が変な事言ってたんだよなー。確か…苗字が犬を追いかけてた、とか何とか」
「「「犬ーーーっ!!???」」」
全員の声がハモった。
「それで…どっちの方へ走って行ったとか、分かりますか!?」
やや安心して力が抜けながら訊ねた俺に、宮地先輩は困惑した様に眉を寄せた。
「それは…裕也に確かめた方が良いと思うが…確か、校舎の方に向かっていたと言ってたぞ」
「校舎!? ありがとうございます!!」
俺は聞くなり駆け出した。
「おいっ、緑間!!? 苗字に過保護過ぎんだろ!? いい加減にしないと焼くぞ!!!」
「クラブ対抗リレーまでには戻って来いよーーー!!!」
俺は、校舎に駆け込んだ。何故か高尾まで付いて来ている。
「高尾! 何で付いて来るのだよ!?」
「いやー…真ちゃんが心配で…」
「心配なら、名前にするのだよ!!」
「名前ちゃんなら、犬追いかけてるって話じゃん? 俺が心配するまでもないだろ。
それよりも真ちゃんの余裕の無さが俺は心配なんだよ」
俺は高尾に振り向いた。
「余裕…だと?」
「だって、今の真ちゃん、まるで母親に置き去りにされた子供みたいだぜ?」
「……っ!!」
そうだ。……俺は、以前見た夢の様に、名前が俺の前から消えて行った様な気がして不安だった。
事情が分かった今でも、名前の姿を見ない限りは、その不安が払拭されない。
俺は、彼女を見て安心したかった。
「事情が…あるのだよ。今は話している時間は無いが」
俺がやっとの事でそこまで言うと、高尾は溜息を吐いた。
「……分かった。そこまで真ちゃんが言うなら、俺も名前ちゃん探すの協力するぜ。
手分けした方が見付かる可能性が高いだろ。俺の鷹の目もあるしな!」
じゃあ行こうぜ相棒! と、高尾は俺の肩を叩いた。
※※※
-名前side-
私は子犬を追いかけていた。
私は鈍足な方だが、その犬を見失わないで済んでるのは、私が息を切らして立ち止まる度に、その犬も私を待つ様に振り向いては止まるからだった。
まるで遊び相手にされてしまっているみたいだ。こっちはそれどころではないのに…!!
『ちょっとー! いい加減にそれ返して!!大切な物なんだから!!』
私の怒った声にも、その犬は可愛らしく首を傾げるばかり。
私がそろりと動くと、その犬も身体をピクリと動かす。
その犬の青い目は、ワクワクしてるのを示すかの様にキラキラと輝いていた。
私が息を整えて、再びその犬を追いかけようと身体を動かしかけた時。
「名前っ!!!」
大きな真太郎の声が私の耳朶を打った。
私はピクリと身を竦ませる。
真太郎…私を捜しに来てくれたんだ? でも、今の私は真太郎に応える事が出来なかった。
犬が身を翻して走って行ったから。私は見失う訳にはいかない。
私は、その犬を追いかけるのに全力を傾けた。
「名前ーーーっ!!!」
私は彼の呼ぶ声に、尋常では無い程の悲壮感を感じ、思わず足を止めた。
『真太郎!?』
私が振り向いた瞬間、彼の身体がぶつかり衝撃に軽くよろめいた。
すかさず私の身体に彼の腕が回され、強く拘束される。
『ちょっと、離して!? 犬に逃げられちゃう!!』
真太郎はイヤイヤをする様に頭を振った。
「行くな…っ! 名前!!」
『……え?』
「俺を置いて…行かないでくれ…!!」
『…真太郎?』
「俺から…離れるな…っ!」
これは…もしかして。
私は先日の、真太郎と共有した絶望に満ちた夢の事を思い出した。
犬は、既にそこの開いた窓から外に逃げてしまっていた。
私は真太郎に向き直った。
『真太郎、私はどこにも行かないよ? 大丈夫だから落ち着いて?』
私は真太郎の背中に腕を回し、背中をあやす様に優しく叩いた。
暫くそうして抱き合っていたら、徐々に真太郎は落ち着きを取り戻して来た。
「…名前……」
『落ち着いた?』
「……ああ。取り乱したりして…悪かった」
『ううん。…真太郎が落ち着いたなら良かった』
彼は私の髪を優しく指で梳いた。
「何で…お前は、あの犬を追いかけていた?」
『あの…真太郎から借りたラッキーアイテムを持って行かれたの』
私がそこまで言うと、彼の指の動きがピタリと止まった。
「何…だと…!?」
「おーーい、真ちゃーん!!」
今度は真太郎は、私の腕を引いて走っている。私は転ばない様に付いて行くのが精一杯だ。
「高尾か!」
高尾君は、私達を見たら、安堵した様に笑った。
「名前ちゃん、見付かったんだな! 良かった!」
「高尾、白黒の子犬を捜すのだよ…!!」
「ちょっ…!? 今度は何なんだよー!?」
※※※
校舎の外に出た犬を捜したら、グラウンドの方へと走って行く子犬を見付けた。
『あっ、あの犬だよ!!』
「あれか! …ん? でもあの犬、どこかで見た事がある様な…?」
高尾君も首を傾げていた。
『ちょっとー!? あの子、そのまま行くとコースに入っちゃうんじゃ…!?』
「……マズいのだよ…!」
真太郎は言うなり、グンと追いかけるスピードを上げた。
丁度、クラブ対抗リレーが始まる前だった。
「くぉら!! お前等来るのが遅いぞ!!!?」
「緑間ーっ!? 何してんだ!? お前…??」
先輩達の怒号をひらすら無視して、真太郎は子犬を追いかける。
子犬はとうとうコース上を走り出した。真太郎も後を全速力で追う。
珍妙な見せ物に観客の歓声が高まる。
高尾君が先輩にとりなしていた。
「すんません、真ちゃん…あの犬にラッキーアイテム持って行かれちゃって…!!」
「チッ…緑間が…ったく仕方ねーな!」
『…何だか…観客達、犬を応援していません…?』
「…ウケてんじゃん…こりゃ、俺達、見せ場を持って行かれたな」
『ウケ取ってる場合じゃ…!』
私は、近道を通ってコースの先回りをした。
コース先で待ち構えていると、犬が真直ぐ突進して来た。
『きゃっ…!?』
その犬は、私の胸に飛び込んで来た。
私は犬を抱き止めたが、直後に勢いを殺しきれぬままの真太郎もぶつかり、私は堪らず押し倒された。
「大丈夫か!? 名前!!?」
瞬間、真太郎の腕は、私の頭を庇っていた。
『真太郎こそ怪我は!?』
「俺は大丈夫なのだよ」
私は倒されたまま、ほっと息を吐いた。
『あれ!?…』
私は、ある事に気が付いて声を上げた。
『この犬、ボールを持ってないよ!??』
そう言った途端、その犬は一声吠えて私の腕から抜け出した。
「お取込み中の所、すみません」
いきなり声が降って来て、私は驚いて見上げた。
黒子君が、犬を抱えてサインボールを差し出していた。
「…お探しの物はこれですか?」
「黒子!? そいつはやはりお前の犬か!?」
真太郎が、弾ける様に身体を起こした。
「何故こんな所にいるのだよ!?」
黒子君は軽く小首を傾げた。
「誠凛の練習試合がこの近くでありまして…二号がいなくて探し回っていました。
秀徳の中に入るのを見かけて探していた所、校舎の傍に落ちていたのを見付けました。これ、緑間君のですか?」
「…ああ。蟹座のラッキーアイテムだ」
「やはりそうでしたか。…ご迷惑をかけてすみません」
黒子君はぺこりと頭を下げ、二号を抱えて静かに歩き去って行った。
私は上半身を起こし、真太郎と一緒にその後ろ姿を呆然と見送った。
「…名前」
真太郎が私をギュッと抱き締める。
『…どうしたの? 大丈夫?』
彼は私の肩に顔を埋めた。
「……ああ。ちょっと…気が抜けたのだよ…」
『ラッキーアイテムが戻せて良かった。真太郎、ありがとう。…ご免ね』
「名前が謝る事はないのだよ。名前も人事を尽くせた様だし何よりなのだよ」
私も真太郎の背中に腕を回し、そのまま髪を撫でていたら、不意に真太郎の頭が叩かれた。
「緑間、いい根性してんじゃねーか!? まだクラブ対抗リレーが残ってんだよ!!
体育祭中に人目も憚らずイチャコラしてんじゃねーぞ、テメーら!! 埋めんぞ!!?」
「真ちゃーん…まだ体育祭は終わって無いのよ?」
「気ぃ抜けた走りなんかしやがったら、軽トラでぺしゃんこに轢くからな!!!」
真太郎は軽く溜息を吐くと立ち上がり、私の手を取って彼等の後を歩き出した。