練習試合
授業終了のベルが鳴る。
教室を掃除し終り、暫く待っていたら桃井さんが迎えに来た。
「名前ちゃん、行こう?」
向かう先は、バスケ部の使う体育館だ。
今日は、桃井さんと桜井君に頼まれて、バスケ部に顔を出す事にしていた。
「勿論、名前ちゃんが来る事は、青峰君にも言ってあるからね!」
『でも私が行ったって、青峰君は来るとは限らないじゃない?』
「ふふっ。あいつの行動なんか、お見通しよ!今日は、他校との練習試合があるんだから。
名前ちゃんに、良い所見せる為にも来て貰わないと!」
…そんなものなのかなぁ…
別に、今日は用事が無いから、付き合うのは問題は無いんだけど…
体育館に行ったら、原澤先生と今吉先輩に出迎えられた。
「名前ちゃん、久しぶりやなぁ」
「よく来てくれましたね」
『…あ、すみません。お邪魔します』
私はぺこりと頭を下げた。
桃井さんは、「青峰君は来てますか?」と尋ねていた。
そこへ原澤先生が微笑みながら、指し示す。
「…彼は、もう来てます。ご苦労様です」
「……よかった」
桃井さんは安堵の息を吐いた。
「じゃあ、名前ちゃんは、そこで見てて」と、彼女は片隅に並べてあるパイプ椅子を指し示す。
『うん』
私はパイプ椅子に腰かけて、体育館を見渡した。
もう、相手校も来てアップしている。
熱気が体育館全体を包んでいた。
メンバーに囲まれた青峰君は、ちらりとこっちを見て、すぐに目を逸らしアップを始めた。
私は、青峰君から目を逸らせないでいた。
……何だか、いつもと雰囲気が全く違うな…
私がいつも見ていた青峰君は、ダラダラ怠そうに動いているか、子供みたいに燥いでいるか。
でも、ここでは、まるで飢えた獣の様な野性味を感じる。
それでも他の選手に比べると、まだ余裕があるみたいだ。
動かしてはいても、本腰入れてる様には見えない。
私の隣には、桃井さんが座った。
何やら、熱心に書類をチェックしている様だった。
「…今日は泉真館が相手ね。東京の強豪の内の一つよ」
『……強いのですね』
「でも、うちはもっと強いわ」
桃井さんも、雰囲気が変わっていた。
それ以上声をかけるのが憚られたので、私は黙ってアップする青峰君に視線を向けた。
間もなく試合が始まった。
スピーディーに展開する試合に目を回しそうになりながら、私は懸命に目でボールを追った。
「ほい、特攻隊長、頼むで」
今吉先輩がパスをする。
「スミマセン!!」
桜井君の声が響いたと思うと、鋭い音を立ててボールがリングに吸い込まれる。
うわ…っ!!見事な3P…!
桜井君も、凄い選手なんだな!
桃井さんは驚いた私を見て、くすりと笑う。
「…びっくりした?」
『……はい』
「桜井君、あれでも負けず嫌いだからねー!頼もしい選手だよ」
…凄いけど……でも、謝りながらなのが桜井君らしい…w
『あっ!』
ボールが青峰君に渡った。
相手チームの大柄な選手が二人がかりで青峰君のディフェンスに回る。
その時、桃井さんがフッと笑った。
青峰君は、ゆっくりとドリブルをしている。
私から見るとディフェンスに隙が無くて、とても追い抜けそうに見えない。
一瞬だった。
あまりにも速くて、一体何が起こったのか分からなかった。
素早い切り返しで、青峰君は相手選手二人を見事に抜き去っていた。
『……凄い…!!』
「まだまだこれからよ」
ゴール下まで攻め込んだ青峰君に、センターと抜かれた選手が再び立ち塞がった。
今度は三人でブロックしている。
青峰君はスライドする様に横に動くと、ブロックする選手の脇から身体を倒し、片手で軽くボールを放る様に投げ上げた。
『……えっ!??』
あまりの滑らかな動きに、私は自分の見たものが信じられなかった。
ボールはリングに吸い込まれる様に落ちた。
『嘘っ!?あっ、あれで入っちゃうのっ!??』
あれは、どう見ても不安定な体勢からのシュートだ。
そんな…一見出鱈目にしか見えないのに…『い、今のは一体…!?』私は呆然と呟いた。
「青峰君は、元キセキのエースだからね」
『キセキのエースって言っても…あんなのありなの…?』
素人の私が見ても、青峰君の凄さは群を抜いていた。
以前に録画を見た事はあって、凄いのは知ってたけど、それがあまりにも有り得ないレベルだったので、現実味が薄かった。
…でも、実際に生で見たのは初めてで、それが寸分違わないレベル以上で発揮されていた。
強過ぎて…相手がいなくなって…練習に出なくても、この動き…
「本当はバスケが大好きなんだよ、あいつ…」
ぽつりと呟いた桃井さんの声には、痛ましさが混じっていた。
「どっせーーーーいっっ!!!!」
『うわっ!』
私は耳を押さえた。
これまた、凄い声だな!?
若松さんが取ったボールを味方にパスした。
その途中で相手方がカットし、ドリブルしてパスする。
私は、傍らの桃井さんの手元を見た。
桃井さんはコートを睨み、選手の名前が書かれている表の様な物に、素早く書き込んでいた。
そして、私は気が付くのが遅れた。
「危ない!!!」
鋭い声が飛んだ時には、既に遅く、私は頭に重い衝撃を感じた。
意識が一瞬飛び、気が付いたら床に倒れていた。
「名前ちゃん!!?」「苗字さん!!」
今…何が起こったの?
私は、よろよろと身体を起こした。
「頭動かしちゃダメだよ!!」
視界がぼやけていた。…何だか、よく見えないな…
私は、痛みを感じた額を押さえた。
ぬるりとした物が手に伝う。…血だ。
周りを手探りで探すと、割れた眼鏡が転がっていた。
「レフェリータイム!」
笛が鋭く鳴り響き、私の周りに人が集まって来た。
ボールを飛ばした選手が謝って来た。
「すっ、すみませんっ!!」
「大丈夫ですか?名前さん!?」
「こらあかんわ。保健室に連れて行かな」
その時に、青峰君が乱入して来た。
「名前!」
青峰君は横抱きに私を抱きあげた。
「監督、選手交代だ。俺が保健室に連れて行く」
「青峰っ!!お前エースだろ!?勝手な事は…!!」
若松さんが怒鳴るのを、今吉先輩が宥めていた。
原澤先生は軽く溜息を吐いた。
「…仕方ありませんね。では、交代させましょう」
※※※
そして、私は青峰君に抱えられながら体育館を出た。
『…あの、私は歩けるから…』
「頭打ったんだろ?いいから大人しくしてろ」
『…大輝君、折角の試合中なのに…ゴメンね』
「気にすんな。練習試合だし、どっちにしても大した相手じゃねぇ。俺がいなくても桐皇が勝つだろうよ」
強豪と言われている相手を大した相手じゃないって…?
青峰君は確かにそれを言える位、強かった。
『でも、大輝君のプレー、もっと見たかったな…』
私の言葉に、彼はニヤリと凄絶な表情で笑った。
「なに、まだこれからIHの試合がある。いくらでも見られるぜ。楽しみにしてな」
『うん…』
青峰君に抱かれていると、ドキドキする。
がっちりとした腕は、軽々と私を支えている。
スポーツで鍛えているから逞しい。…本当にカッコいいな。
『…重くない?』
私の問いに、青峰君は意地悪く笑った。
「おめー…軽過ぎじゃね?もう少し太った方がいいぞwこの胸とか…」
『胸って!!?もう、セクハラ発言禁止っっ!』
ときめいて損した!!
「ははっ!そんなに膨れるとフグそっくりだぜw」
『そんな事言うなら、こうしてやるっ!』
私は、青峰君の頬を引っ張った。
「ほひゃ、はめろ!!ほとふほっ!!」(コラ、止めろ!!落すぞっ!!)
私が手を離したら、青峰君は私を睨み下ろした。
「ぶはっ!!名前、覚えてろよ!?」
『意地悪言うからよ!』
「ったく…ああ痛え…」
それでも、ずっと彼にドキドキしてるなんて……重症だ。
私は照れを隠したくて、少し膨れて下を向いた。
保健室に入って、先生に手当して貰った。
「女の子なんだから、顔に傷が残らない様にしなくちゃね」
『…すみません。ありがとうございます』
青峰君は、その様子を傍で見ていた。
……?
私は首を傾げた。
何故戻らないんだろう?
私を送ってくれたけど、額を軽く切っただけだから、一人でも大丈夫なのに…
手当が終わって、保健室を出る為に出口に向かう。
後ろから、青峰君の声が聞こえた。
「名前、おめー…どこ行くつもりだ?」
『は…?』
私の手は、ドアの取っ手にかかっている。
「そこ、掃除用具入れのロッカーだぜw」
『……っ!!!??』
「ハッ!名前、来いよ!」
笑いを含んだ低い声と共に、私の手はがっしりした大きな手に包まれた。
※※※
そして今、私は制服に着替えた青峰君の手に引かれて、帰途に着いていた。
『…ご、ゴメンね?』
重ね重ね迷惑をかけているなぁ…
青峰君は振り向いた。
「あ?何で、おめーが謝るんだよ?」
『だって…こんな、帰りまで面倒見て貰っちゃって…』
「別におめーが悪い訳じゃねーから、気にすんなつったろ」
そして、プッと吹き出す声がした。
「それにしてもよー、名前おめー、目が悪いって相当だなw
校庭の銅像とか郵便ポストにまで挨拶してやんのwww」
『…うっ…!』
だって、殆ど見えないんだもん。
今だって、周り中ぼやけた色彩が滲んでいるばかりで。
そして、私の前には、大きな紺色の色彩が占めている。
それは、私の手を包んでいる人の背中。
それだけ見えていれば私は安心する。
「まー。何にしてもよ、俺がおめーの家知ってて良かったよな」
『そうだね。…大輝君、ありがとう』
「おー…ところで、おめー、替えの眼鏡あんの?」
『…家用のが一つだけ。だから、今度買いに行かないと』
「さつきが心配してたぜ。眼鏡買いに行くのに必要なら付き合うってよ」
『そっか…じゃ、さつきちゃんにメールしないと』
「ま、俺もきっと付き合わされんだろーけどな」
『えっ?』
「……何でもねぇ」
『ね、大輝君』
「何だよ」
『今日の試合、凄くカッコ良かったよ!!私、あんなにバスケがエキサイティングなスポーツだって知らなかった!
今度も、また試合、見せてくれるんでしょ?』
「おぅ」
青峰君の応えと共に、握られている手にギュッと力が入る。
『楽しみにしてるね!!』
「俺に勝てるヤツなんざ、俺しかいねーっての。ま、俺もせいぜい楽しませてもらうぜ。誠凛の…10番と…テツ」
最後の言葉が誰を指しているのか、今の私には分からなかった。
眼鏡は壊れてしまったけど、迷惑をかけて申し訳ないけど…
でも、しっかりと繋がれた手を離したくない、ずっと繋いで欲しい。
不安定に揺れる気持ちに駆られながら、私は手を握り返した。