縺れた糸




今日はコンタクトを止めて、眼鏡に戻した。

教室で会ったクラスメイト達に「勿体無いよ、可愛かったのにー」等と言われ、苦笑で返しながら席に着いた。

桜井君も私を見て、意外そうに目を瞠った。
「名前さん、今日は眼鏡に戻したんですね!?」
『…うん。……コンタクト、あまり私に合わなかったみたい』

「……そうですか。眼鏡の名前さんは見慣れてるせいか、僕は、こちらの方が落ち着きます
…って、あっ、スミマセン!コンタクトも、とても良くお似合いでしたけど!!」
『あはは…気にしなくて良いよー。実際、面倒な事が多かったしね!』
「コンタクトは手入れが大変だって言いますからね」

面倒の意味が違うけど…この場合、説明するより、誤解されていた方が良いかな?

これで…私の周りは静かになれば良いんだけど。


「……良、そこ通れねぇ」
「あっ、スミマセン!!!」
青峰君は、眼鏡をかけた私を軽く一瞥し、隣の席にどっかと腰を下ろした。

『おはよ…大輝君』
「…おー……」
私が怖々声をかけると、青峰君は怠そうに返事を一応は返してくれた。
でも、視線を合わせてくれなかった。

昨日の事を思い出して、胸がキリキリと痛む。
…どうしよう?……写真集…渡したいけど、今はとてもそんな事が言える様な雰囲気ではない。

私は、昨夜の決意がみるみるうちに萎んでいくのを感じた。

何とか…頑張って話しかけてみなきゃ。
『あ、あのね、大輝君…』
「ンだよ?」
『昨日は…ごめんね。、あの、眼鏡に戻してみたんだけど…』
「見りゃ分かる…」

なおも頑張って話を続けようとする私に、後ろから男子生徒に声をかけられる。
「あっ、苗字さん! 今日は眼鏡に戻したんだね!? やっぱり、眼鏡にしても可愛いね!」
『えっ…?…あ…』

ガタン!と机を揺らして立ち上がった青峰君は、足音荒く、教室から出て行ってしまった。

私は呆然と彼の後ろ姿を見送った。

折角眼鏡に戻したのに、青峰君との仲は変わらなかったみたいだ。
結局、青峰君は教室に戻らなかった。

私は一体…どうしたらいいんだろう?
どうしたら、このギクシャクした状態が元に戻るの…?

(青峰は単純な男だ。それは多分、女に対しても当て嵌まるのだよ…)
昨日の緑間君の言葉を思い出すけど…

……単純って?
その、単純な青峰君の気持ちが分からないよ…

私は、じわりとこみ上げて来る涙を飲み込んだ。

※※※

「名前ちゃん!」
放課後、桃井さんから声をかけられる。

「あの…前はごめんね?折角来てくれたのに、青峰君が帰しちゃって」
『ううん。こっちこそ…練習の邪魔になっちゃって、ごめんね』
「それは、若松先輩と青峰君のせいだから、名前ちゃんが責任感じなくていいよ!
で、ね。今日もバスケ部に来てくれないかなぁ…って」

若松さんが…いるんだよね?
私は以前、青峰君から「若松には、もう近付くな」と言われていたし、青峰君とも変な感じになっているので、断ろうかと口を開きかけた。
でも、その時に私の目に映ったのは、昨日買った写真集の入っている手提げバッグ。

青峰君に渡す好機かもしれない!

『…でも、大輝君…来てくれるかな? 今日は授業にも出なかったんだよ?』
「全く…!青峰君もしょーがないよね!!連絡してみるね!!」

暫く電話をコールしてみても出なかったらしい。
「代わりにメール送っちゃった!これで来るでしょ」

…何て文面で送ったんだろう…?
桃井さんが、私を見てニヤニヤしているのが、微妙に不安を煽る。
訊いたけど、「乙女の秘密☆」と言って、答えてはくれなかった。

※※※

-青峰side-

俺は、苛立つ気持ちを持て余して、ゴロリと屋上の定位置、階段室の上で寝そべった。
授業なんて…アイツが隣にいるのに、気になって受けてられっかよ。

逃げて来たのは自覚している。

ったく…名前が可愛いのは、今に始まったこっちゃねーが、コンタクトにしてから気が付く連中が多いのが気に食わねー。
しかも、当のアイツは自覚無しと来たもんだ。俺が見てなきゃ危なっかしいっつーの。

良は昔馴染みだから良いとしても…若松のヤロウまで…!

一々告られて断るとか、見てるのもイラつくから、ラブレター破ってやったら泣きながら怒るしよ。
何だよ、って事は、アイツは一々告られたいのかよ? 訳分かんねぇ。

名前を、やらしー目で見る野郎が増えるから、眼鏡に戻せと言ったら…一応戻したけどよ。
もう、遅せーっての。
沢山の野郎が、名前に目を付けやがった。


(触らないで…!)

涙をいっぱいの目で、俺を責める様に見やがって…
「俺が…まるで悪い事をしたみてーじゃん。……くそっ!!」

俺は…アイツに嫌われるのが怖えーのか…?
触らないで、と言われた事が、思いの外ショックだったらしい。
あの時の事を思い出すと、胃の腑が苦しくなってくる。

そう言えば、堀北マイちゃんの写真集が、もう出てるっけ?
今月は金ねーし…今はそんな気にならねー…来月にでもすっかな。

俺は、ぼーっと眼前に広がる空を眺めた。


「…ん?」
携帯が鳴っている。俺は、表のディスプレイに表示された文字を眺める。
「何だ…さつきか」

どーせ、部に出ろ、とかそんな要件だろ。
俺はシカトを決め込んだ。

放って措いたら、携帯が鳴り止んだ。が、点滅する光の色が、今度はメール着信を知らせている事に気が付いた。
「何だ…?」
確認した文面を見て、俺の表情は自分でも分かる程険しくなった。
「今日、バスケ部に名前ちゃんが来るよ! もし大ちゃんが来ないなら、若松先輩に名前ちゃんを送らせるからね?」

「ちっ、さつきめ!」余計な事を!!
俺は、勢い良く身体を起こした。
「こうしちゃいられねえ!」

梯子を下りる手間も惜しんで、途中から飛び降り、俺は更衣室まで全力で疾走した。

※※※

-名前side-

私は例の手提げバッグを持ち、おずおずと体育館に入った。
まだ、その時には青峰君は来てなかった。

私を目敏く見付けた、若松さんが近寄って来た。
「苗字…その、この前の事は…強引過ぎたみてーで悪かったな。…でも、俺の気持ちは変わらねーからな!」
『あっあの…』

私が立ち尽くしていると、後ろから低い声が聞こえた。
「ったく…っ全くうぜぇヤツだぜ」
『大輝君!』

私は緊張した。
腕の中のバッグを思わず握り締める。

そんな私を青峰君は一瞥する。

「名前、おめーもイヤなら、さっさと断れ。いつまでも希望を持たせると後が面倒だぞ?」
「てめっ!?余計な事言うな!!」
『あの…っ!大輝君、そんな言い方は…』

私の横槍に、青峰君は露骨に顔を顰めた。
「何だ、名前。若松を庇うつもりなのかよ?…それとも、おめーは若松の女にでもなるつもりか?
大勢の前で告られて、その気にでもなったのかよ? 最近、モテモテで嬉しーんだろ、良かったな!!」

「大ちゃん!!」
桃井さんが制止したのも、私の耳には入らなかった。

私がここに来たのは…大輝君に…っ!

私は謂れのない罵倒を受けて、悲しさと悔しさで足が震えた。
こみ上げる涙を零さない様に、きつく唇を噛み締める。

何で私が、好きな人に、こんな事を言われなくてはならないの?
言われるままに眼鏡に戻したのに。私が一体、何をしたって言うのよ!?


『……もう、いい』
「あ…?」
私は、涙を溜めた目を青峰君に向けて睨み上げる。
「もう、大輝君なんか知らない!!!大嫌いよ!!!」

私は、青峰君に写真集を叩き付け、体育館から走り出た。
後ろから、何か声が聞こえたが、私は振り切る様に走り続けた。


ずっと走って、体育館から離れた廊下で、私はやっと息を吐いた。

……やっちゃった…
大好きな人に、大嫌いって…言っちゃった。

『はは。バカだな、私…』
私は壁にずるずると寄りかかった。何かで支えていないと、そのまま崩折れてしまいそうだ。

こんな…思い描いたのと真逆の結果になってしまうなんて。
しかも、半分は自分のせい。…我ながら…なんて、可愛くない性格してるんだろ。

『…帰ろう』
私は寄りかかっていた壁から、ようやっと身体を起こした。
そのままだと、余りの重たさに、そこから動けなくなってしまう様な気がした。
『…しんどい…』

もう、涙も出なかった。私は自分が抜け殻と化した様に思えた。
泣きたい気持ちも、青峰君を好きな気持ちも、全てあの体育館に置いて来てしまった様な気がした。

※※※

私は荷物を取りに、教室に戻った。
その時に、私は携帯に着信が来てるのに気が付いた。緑間君からだ。
『…はい』
《苗字か。…昨日の人形の件なのだが。今、大丈夫か?》
『はい。大丈夫です。緑間さん、いかがでした?』

電話の先の声が、訝し気に潜められる。
《…何か…青峰とあったか?…元気が無い様だが》
『あ、いいえ!大丈夫です』
《そうなのか?…なら、良いが…》

私は慌てて取り繕った。そんなに分かり易いのかな?

《あれは、もう古いから、新しいのを購入する事にしたのだよ。…だから苗字は、弁償の事は気にしなくていいのだよ》
『えっ…?でも、それじゃ…申し訳ないです。それって直しが無理で、セット購入し直す、と言う事ではないのですか?』
《あれが古かったのは事実だ。
元々雛人形ってのは、女子の身代わりのお守りなのだから、役目を終えた古い人形は供養し、新しく買い替えるべきなのだよ》

『…でも』
《もし苗字の気が済まない、と言うのなら、今度会った時に、お汁粉を俺に奢ってくれれば、許してやらない事もないのだよ》
私は、その捻くれた優しい言い回しに、思わず小さく笑いが零れた。

『それで良いのなら、喜んで』
《では、な。お前も、おは朝を観て、せいぜい頑張るのだな》
『…ありがとうございます。それでは、今度お会いした時に是非』

私は電話を切って、安堵の溜息を吐いた。
何てこと無いやり取りなのに、気持ちが落ち着いて来るのを感じた。
『緑間さん…良かった…』
緑間君の妹さん、ありがとう。ごめんね。…今度、何か彼女にもお詫びをしなくては。

私は、教室の入口で一連のやり取りを見ていた人影には、まだ気が付いていなかった。




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