混沌と錯綜と
-青峰side-
『もう、大輝君なんか知らない!!!大嫌いよ!!!』
俺は、名前から半泣きで叩きつけられた物を見た。
…これ、出たばかりのマイちゃんの写真集じゃねーか…?
何で名前がこれを…?
俺が訳が分からず混乱していると、名前は泣きながら体育館を走り出て行った。
「…っ、おい!!待て!」
俺は慌てて追いかける。が、アイツを見失ってしまった。
「ちっ…!ったく何だよ、これ…」
俺はモヤモヤした気持ちを抱えながら、名前を探していた。
こんな気持ちのままで練習なんか出来っこねーつーの。若松と顔合わせるのもうぜぇし。
教室までやって来た所で、名前の話し声が耳に付いた。
ここにいたのか…誰と話してる?
俺が扉の陰からそっと覗くと、名前は携帯を耳に当てていた。
『…でも』
その時、俺は名前が小さく笑っているのを見てしまった。
……そういや、最近アイツは俺にあんな風に笑いかける事はしなくなったな。
(…大っ嫌いよ!!!)
アイツの声が耳に木魂する。俺の胸がキリキリと痛んだ。
「…っ!くそ…っ!!」俺は小声で毒づいた。
電話の相手は誰だ?…男なのか?
『それで良いのなら、喜んで』
何だ、アイツ。さっきまで泣いていたのに、今は落ち着いていやがる。
『…ありがとうございます。それでは、今度お会いした時に是非』
会うって誰とだ? 随分楽しそうじゃねーか?
名前は漸く電話を切った。
でも、俺は次の独り言を聞いて、目を剥いた。
『緑間さん…良かった…』
み…緑間…だと!?
名前は緑間と、あんなに親しかったのか!?
今度会うって事は、デートの誘いでもしたのか?
俺は、嫉妬に焼かれて、胸がキリキリと痛んだ。
今のあいつを見たら、例え堅物のヤツでも…と不安が心を侵食する。
俺は名前を問い詰めそうになったが、ぐっと堪える。
(触らないで…!)(大っ嫌いよ!!!)
…アイツの声が蘇ると、柄になく身体が震え、視界が滲んだ。
…怖え。
そう思った自分に愕然とする。
俺は、今まで心底怖えーのは、せいぜいお化けと蜂くらいだと思っていた。
あとは…自分に対抗出来るバスケ選手がいねえ孤独か。
それなのに、今は、名前に嫌われるのが怖え。
あんな…取るに足りねー、地味で真面目なだけが取り柄の女。そう、思っていた…筈だったのに。
いつの間に…俺の中をいっぱいに占めていたのか。
今は…冷静でいられる自信がねえ。
名前と話さねー方がいいか。
俺が、そのまま立ち去りかけた時。
俺と入れ違いに教室に入って行く男がいた。
(あいつ…!?)
確か…俺が破いたラブレターを書いたヤツの一人…だったな。
俺は胸騒ぎを覚えて、教室に戻った。
…っくそ!どいつもこいつも…!! 俺の名前に手ぇ出すんじゃねーよ!!!
※※※
-名前side-
私は電話を切って、帰り支度を始めた。
今はまだ、さっきの体育館でのやり取りを思い出すのが辛すぎて出来ない。
明日から…青峰君とはもう話せないな。
そう考えると悲しくて、また涙が零れてしまいそうになる。
「苗字さん」
後から声をかけられた。
私は思わず、ビクリと身を震わす。
『…あの?…どちら様、ですか?』
上級生だろうか?…確か、サッカー部のエース…だったっけ。
背が高く容姿も中々整っていて、爽やか好青年なので、友人達が騒いでいた人だったな。…それで名前は…何だっけ?
「急にごめん。…以前、手紙を書いたんで、読んでくれたと思うけど…待っていたのに来てくれなかったから」
私は首を傾げたが、思い当たる事が一つだけ頭を掠めた。
『…もしかして。以前、下駄箱に手紙を入れました?』
「そう、入れた。来てくれなかったって事は、見込み無いの分かっていたけど。
でも、どーしても直接返事を訊きたくって。だって無視されただけって納得できねーじゃん?」
ああ…やっぱり。…でも、とても青峰君に破られて読んでません、なんて言えない…
『無視…した結果になったのは謝ります。それは理由あって、行く事が出来なかったのですけど…
でも、私には、貴方の気持ちには応える事が出来ません。…ごめんなさい』
私には精一杯の対応だったが、それは相手を苛立たせただけだった。
「…理由?理由って何だよ!?…俺が勇気を出して告ろうとしたのに、シカトされた気持ちが分かるか!?
断わるからには、相応の理由があるんだろーな?」
相応の理由…?
『私にはその気が無い、と言う理由ではダメなんですか?』
「納得出来ねーよ!」
『きゃっ!?』
私は、手首を強い力で掴まれて、強引に引き寄せられる。
『い…痛い。放してください!』
「俺は、こう見えても一応モテるぜ。この俺をフるのに"その気が無い"だと…?なら、その気にさせてみせよーか?」
私は彼の言葉を聞いて青ざめた。
『や、止めて…っ!!嫌です!!』
彼の顔が近付いて来て、私は逃れようと身を捻るが、易々と押さえ込まれる。
『助けて…っ!!!』
その時、私の脳裏に浮かんだのは、大嫌いと言ってしまった青峰君ただ一人だけだった。
来る訳…無いのに。馬鹿だ私。
じわりと涙が浮かんで胸が苦しくなる。…まだ好きなんだ、彼の事。
そんな気持ちは、もう、体育館に置いて来てしまった、とそう思ったのに。
私は絶望して目を瞑った。
せめてもの抵抗として、顔を背ける。
「よぉ」
…最初は、私の願望が招いた空耳かと思った。
「…ぐっ…は!!」
苦しそうな声に異変を感じて、私は恐る恐る目を開けた。
そこには、私に迫った男子の喉を、黒い手が掴んでいたのが見えた。
青峰君の瞳はぎらぎらしていて、本気の殺気を発していた。
「名前を放せ。さもないと、このまま喉を握り潰す」
『だ…っ大輝君!?』
青峰君の凄味に耐えかねた彼は、私を掴んでいた手を放す。
私は力が抜けて、へなへなと座り込んだ。
青峰君は、そのまま喉を掴んでいる。彼はもがいた。
「はっ…放せ!!言う通りにしたぞ!?」
「もう一つ。二度と名前に手を出さねーと約束しろ。…でねーと」
青峰君は、ぐっと力を入れる。彼は悲鳴を上げた。
「わ、分かった!約束するから…!!放してくれ…っ!!!」
青峰君はやっと手を放した。
彼は咳き込みながら、よろよろと去って行く。
青峰君は、彼が出て行った扉を睨みつけていた。
『あの…大輝君…?』
私はゆっくりと立ち上がった。
『助けてくれて…ありがとう』
青峰君は忌々し気に舌打ちした。
「……名前。あいつは俺がラブレターを破ったヤツだな。…だから言わんこっちゃねーんだ」
『でも、破いた結果、私が返事出来なかったのを怒って来たのよ?あの人…」
私の反論に、青峰君が鋭い目で睨んだ。
私は、その剣幕に怯んだ。
「おめー…最近、いつもそうだな」
彼は一歩、私に近付く。私は一歩、後退った。
私の後ろには机が当たる。私はこれ以上下がれない。
『なっ…何が?』問う私の声は震えている。
「……その面だよ。怯えているか、泣いてるか、怒っているか、のどれかしか見てねえ」
『それは…っ!だって、大輝君がそうさせているんじゃん!』
私の抗議に青峰君は、泣き笑いの様な表情を浮かべた。
何で…そんな顔をするの?
私の胸は、突かれた様に痛んだ。
「他のヤロー…緑間には、電話でも笑っていやがったのにな」
『何で知って…っ!?』
ガタン!
『あっ…!?』
私は、机の上に上半身を倒し、青峰君に圧しかかられていた。
彼の手が、私の頬にかかる。
「答えろ。…緑間が好きなのか?」
『何言ってるの…?好きって…緑間さんは友達よ!?』
私は混乱していた。
至近距離での青峰君に、こんな場合だと言うのに、心臓が煩く鳴り出す。
「……答えになってねーよ。好きか?と聞いている」
『そんなんじゃ…ないよ!』
「そんな気もねーのに、おめーはデートすんのかよ?」
聞いて…いたんだ!?でも、あんな中途半端な…約束とも言えないのに。
『デートなんてものじゃ…ないし!』
「じゃあ何なんだよ?」
何って…?
とてもじゃないけど、今、私の混乱した頭で、あれを説明出来る状態とは思えない。
「許さねえ」
青峰君の呟きと共に、彼の顔が迫って、私の視界は青い色に染まった。
『…大輝…っ!?』
私は一瞬、全てを忘れて、彼を受け入れそうになった。
……あの、夢が正夢になるなら。
互いの息がかかる距離にまで顔が近付き、全身を駆け巡る甘い疼きに目が眩みそうになる。
青峰君の、私にかかる体重が増した様に思えた、その時。
『痛っ!?』
私は、足首に走った異変に悲鳴を上げた。
青峰君の動きがピタリと止む。
「名前、どうした?」
『あっ…足が…っ!?』
「……捻ったな」
青峰君は、盛大な舌打ちと共に、私の足を診てくれた。
「…仕方ねえ。取りあえずテーピングしてやっから、ほれ足を出せ」
私が靴下を脱いで足を出したが、青峰君は不満そうだった。
「それじゃ、低すぎてやり辛え。ここに座って足を乗せろ」
私が指示通りに、机に座って足を乗せた。
「………」
青峰君は、暫く私の足首を睨んでいたが、次に彼が言った台詞を聞いて、私の目は点になった。
「…名前。……触っても…良いか?」
『…は?』
「いや、だから、おめーは俺に触られるのはイヤだと抜かしてただろ?…だから良いのか?ってんだよ」
『何言ってるの?さっきまで散々私に触っていたじゃない。…何で今更…?』
青峰君は真っ赤になった。
「るっせーな!!んじゃ触んぞ!?嫌だっつっても遅せーからな!!!」
『何で怒ってんの!?』
何なのこの人!? 訳分かんないんですけど!!???
青峰君は、慎重な手つきで私の足首を擦っている。
やだ。…何か恥ずかしい。
私は、思わず足を引きそうになる。
青峰君は、ぎろりとそんな私を睨む。
「動くな。…不用意に動くとパンティ見えんぞ」
『……ちょっ!?』
「…白、だな」
『ばかぁっ!!!』
「わっ!!こら、暴れんなっ!!!」
机の上で暴れた私を押さえ付けた青峰君は、バランスを失って、私と机ごと一緒にひっくり返ってしまった。
※※※
『…テーピング、下手くそ』
「うっせ。落とすぞ」
そして不覚にも、今私は、青峰君におぶわれて、帰途を辿っている。
言葉では、憎まれ口を叩いているけど、私の心臓は煩く鳴っていて、いつ青峰君に気付かれるか気が気ではない。
でも反面、私の気持ちに気付いて欲しい、とも思っている。
いつもは背の高い彼を見上げる事しか出来なかった。
今は、私よりも少し低い位置に彼の頭がある。
私は、ぼんやりと辺りの風景を眺めた。
…いつも青峰君は、こんな風に世界が見えているんだな。
青峰君の見える世界って…広いな。
暫く互いに無言だったが、青峰君が言い辛そうに切り出して来た。
「名前。写真集の事だけどよ。…もしかして、俺にくれるつもりだったのか?」
『うん…仲直り出来たらなって…思って。まだ買ってないみたいだったし』
「………」
『…?大輝君?』
急に黙り込んだ青峰君に、私は呼びかける。
…どうしよう?…気を悪くしたかな?
『…あ、もし、余計な事だったらごめんね。自分で買いたかった、とか?』
「……違ぇよ」
…ん?
青峰君、心なしか耳が赤い。地黒だから分り難いけど。
「……部活の時…悪かった。…写真集、ありがとな」
とても小さい声だけど、それは確かに私の耳に届いた。
でも私も、とても嬉しかった。
助けを求めたあの時、私の心の声が届いたみたいで。
『…私も…酷い事言ってしまって…ごめんね。大嫌いなんて、嘘だから』
私も同じ位小さな声で、彼の耳元で囁く様に呟いた。
小さいけれど、私の心の声が届いた…かな? 届いていると…良いな。
「おー」
青峰君は小さく笑って、私の膝を軽く撫でた。