我儘な夢




玄関に飛び込んでから、私はすぐに後悔した。

パットの足を拭いて上がらせる。

私は怖々と部屋から外をそっと覗くと、青峰君の去って行く後ろ姿が見えた。
……気のせいか、悄然としている様に見える。

…あれは…きっと私を心配してくれたんだろうに。
『…悪い事…しちゃったな…』

いくら彼が他に好きな人がいるからって、こんな態度ではきっと嫌われてしまう。
自分の気持ちに振り回されてばかりで、青峰君の親切に甘えてばかり。
……こんな自分、自分でも嫌だもの。
青峰君に好きになって欲しいって言っても…これではとても無理。

自分を変えたい。……でも、どうしたらいいんだろう?

今まで沢山勉強して来たのに、そんなのは全く役に立たない。

……明日から、どんな顔して彼に会えばいいのだろう?

私は途方に暮れて、ベッドの上で蹲った。
青峰君に会いたいのに、会いたくない。
そんな矛盾した気持ちに苛まされながら、私は目を閉じた。

※※※

次の朝、私は家を出た。
以前の様に、もしかして青峰君が来ているかもしれない。
そう淡い期待と、ビクついた気持ちを漠然と抱えながら玄関を出たが、そこに青峰君はいなかった。

……当然か。あんな態度取ってしまったんだもの。
きっと、呆れられてしまったんだろうな。

私はそっと溜息を吐いてから、いつもの様に歩き出した。

「おい、名前」

後ろからいきなり声をかけられ、私は全身が強張り、足を止める。
『あ…大輝…君?』

青峰君は、顔を顰めて決まり悪げに立っていた。
頭をガシガシと掻いて、私から目を逸らす。

「あー…昨日は悪かったな。……まさか、あれで泣くとは思わなかったっつーか…
俺、おめーに散々色々やっちまったから、仕方ねーとは思うけどよ。
俺の事が泣く程嫌れーつーなら、もう俺は、おめーに構う事はしねーから安心しろよ。……じゃあな!」

『…えっ!?』

青峰君は一方的に言いたい事だけを言ってしまうと、私をそのまま追い越して歩いて行こうとした。

私が…青峰君を嫌ってるって…??

私は思いもかけない彼の言葉に呆然としていたが、はっと我に返ると、私を追い抜こうとした青峰君の手を掴んだ。
『……待って!!!』
「!!!???」
青峰君はびくりと肩を震わせると、驚いた顔して私を見た。

『い…行かないでっ…!!』
今、この手を離すと、私はきっと、彼を永久に失ってしまう様な気がした。
狂おしい程の喪失感に、目頭がジワリと熱くなる。

『行っちゃ…ヤだ…っ!!』
私は更に手に力を込め、ギュッと握った。

青峰君は眉間を寄せて私を見下ろした。私の必死な視線と絡み合う。
彼の瞳は戸惑い、揺れていた。

彼は暫く黙って私を見つめていたが、漸くぽつりと言葉を返した。

「……名前、おめー…俺とで…いいんだな? ……なら、一緒に行こーぜ。…っとその前に…」

彼は私の眼鏡を外し、顔を近付けて指先でそっと私の下瞼をなぞった。
「涙…付いてるぞ。…じっとしてろ」

裸眼で視界はぼんやりと滲んでいたが、至近距離の青峰君の顔は鮮明に映った。
彼の視線と温かな指先の感触に、私の心臓が跳ね上がる。

「……よし、取れたな」
青峰君は満足そうに頷き、私の鼻をギュッと抓む。
『…!??』
「…………」
彼は、そのまま手を離さなかった。

『……っ!?』
私は苦しくてジタバタと青峰君の手を払おうとしたが、彼はその前に手を離し、眼鏡を戻した。
『ちょ…っ!?何するのよー!!?? 鼻潰れちゃうじゃない!!?』
私の抗議を、青峰君は鼻で笑った。

「やっぱこっちの方がいいわ」
『何が!?』
「しおらしい名前なんざ、名前らしくねーからな! おめーはいつも、おめーらしくしてりゃいいんだよ」
そして彼は、私の手を握り直して歩き出した。

『……ごめんね』
「あ? おめーが謝る事じゃねーだろ?」
『…でも私…昨日…』
「ま、何つーんだ? これってお互い様ってヤツなんじゃねーの? それで良いだろ」

青峰君には、他に手を繋ぐべき人がいる。
……それなのに、今はその場所を私が占めている。
…そして私は、この場所を誰にも譲りたくはない。この手を離したくない。

……我儘だって分かっている。でも、今この時だけ。
彼の恋が想い人と成就するまでは、夢を見させて。

学校まで着くのに急ぎたくないと、少しでもこの時間が長引けば良いのにと願いながら、私は足を進めた。

※※※

学校-昼休み

「ねぇ、名前ちゃん! 良かったら一緒にご飯食べない?」
『…さつきちゃん。いいよ、行こ』
私達は一緒に中庭のベンチに移動した。

桃井さんは、お弁当を突きながら言い出した。
「…最近、青峰君とはどう?」
『…えっ? どうって…?』
「アイツ……以前、名前ちゃんと仲違いしてから元気無かったんだけど、最近は一緒に登校しているんでしょ?
…仲直り、出来たんだよね?」

私は彼女の言葉に黙って頷いたら、彼女は爛々と目を輝かせた。
「…そう。なら良かった! ……で、付き合ってるの??」

私は、思わず食べていたプチトマトを喉に詰まらせそうになった。
『うっ…! ゴホッ!』
「ああ、大丈夫っ!?」

私は一息吐いてから、ゆっくりと首を横に振った。
「ええーっ!? 何でー???」
何でって言われても。

『…青峰君は、他に好きな人がいるよ』
「……は!??」
『以前、そう言ってるのを聞いたんだ。本人が言うんだから、間違いは無いでしょ』

私の言葉に、さつきちゃんは腑に落ちない顔をして、小さい声でブツブツと呟いている。
(えー? そんな筈は無いんだけどなぁ…他の女の子の情報なんて入って無いし…?)
私は、そんな彼女を眺めながら、卵焼きの欠片を口に放り込んだ。


-桃井side-

私は当りを付けて屋上に行き、目当ての人物を見付けて問い質す。

「青峰君っ!」
「…何だ、さつきか」
青峰君は面倒そうに、定位置になってる階段室の上で寝転がっていた。

「何だじゃないわよ! また練習にも出ないでこんな所で! …って、今日はこんな事言いに来たんじゃ無かった」
「はぁ?」
「大ちゃんの本命は名前ちゃんじゃないの?」

青峰君は上半身を起こし、怪訝そうな表情を向けた。
「いきなり何の話だ?」
「他に好きな人がいるのか? って訊いてるの!」
「…何でおめーにそんな事一々言わなきゃならねーんだよ?
俺が誰を好きになろーとなるめーと、さつきには関係ねーだろーが」
「私じゃないわよ! 名前ちゃん誤解してるよ? 気持ち、伝えてないんでしょ?」
「…………」

青峰君は、むくれてそっぽを向いた。
図星を突くと、彼はこんな反応をする。本当に分かり易い。
そして、大体が臍を曲げる。天邪鬼なんだから!

私は、手を腰に当てて言い放つ。
「…このまま気持ち伝えないなら、名前ちゃん誰かに取られても知らないよ?」
そこまで言ったら、漸く彼はこっちを見た…と言うか、睨んだ。
「……誰かって……誰だよ?」

あ、やっと答えたらこれだよ。
「……さぁ? そこまでは知らない!」

私は言いたい事だけ言ったら、梯子に手を掛けた。
「じゃあね! 練習にも出なさいよ! 大ちゃん!!」

大ちゃんはアレでも大切な幼馴染だもの。恋だって応援してあげたいよ。
「…頑張れー!」
私はそっと、小声でエールを送った。

※※※

-名前side-

撮影の時、アドレス交換した黄瀬君から連絡が入った。

「先日はどーもっス! ギャラは口座に振込にするっスけど、
別に渡したい物があるから、会えないっスかね?」

メール文を見て、私は首を傾げた。
…何だろう? 渡したい物って?

私はそれは何か訊きながら、承諾の返信をした。
でも彼は「見てからのお楽しみっス♪」と、待ち合わせの時間と場所の指定をしただけで、
具体的には教えてくれなかった。


「時間ピッタリっスね」
繁華街の駅前広場で、帽子を被ってサングラスをした背の高い男に声をかけられた。

……誰?と、あからさまに不審そうな表情が出ていたのだろう。
彼は「俺っスよ」と、サングラスに指をかけて上にずらした。

『…! すみません!!…黄瀬さんだったんですね』
「まぁ…すぐに誰か分ったらカモフラージュしてる意味ないっスからね。
先ずはお嬢さん、お茶でも一緒にいかがっすか?」
彼はさらりと言って手を出した。

そのおどけた誘い方も、格好良く様になっていて、私は思わずクスクスと笑ってしまう。
『黄瀬さん、その言い方、まるでナンパみたいですよ?』

「だって、ナンパしてるんスもん。あ、青峰っちには内緒っスよ? 俺、まだ死にたくないっスからね!」


彼と私は喫茶店の奥まった席で話をしていた。

「雑誌は、発売日は半年程先になる予定っス。
実はこれ、事務所のスタッフが届けに行くのを俺が横取りしたんスよ」
と、悪戯っぽい顔をして教えてくれた。

『え、でも…黄瀬さん、お忙しいんじゃ…?』
私が困惑して謝ると、彼は手をヒラヒラと振った。
「気にしないで良いっス。それこそ他の男に合わせたりすると、後で青峰っちに何言われるか…分かった物じゃないっスからね!」

彼は言いつつ封筒を差し出した。
「これがそのブツっスw」
『これ…? 開けて見て良いですか?』
「勿論っス♪」

私は開けて中を見て驚いた。
『…!! 黄瀬さん!?これって…!?』

それは、堀北マイのサイン会の招待券だった。

「本来なら、体調不良でもドタキャンされたので、あっちの契約違反になる所っスけど…
何とか穏便に済ませて、ついでにこのチケットも頼んでみたら、あっさりと通ったっス」

『…そんな……すみません。覚えててくれたのですね? ありがとうございます』
「巻き込んだお詫びだから、気にしなくて良いっスよ。あ、この撮影に関しては、青峰っちには内緒にした方がいいっスね」
『……はぁ』


私達は、一通りの用事を済ませて喫茶店を出た。

『本当に何から何まですみません』
「こっちこそ、ありがとうっス、名前っち」
『…は?』
「俺、認めた人には、そう呼んでるっス! あの青峰っちが気に入るのも分かるっス」
『…気に…入られて…いるの、でしょうか?』なら嬉しいんですけど。
「保障するっスよ!」

私達が外でやり取りしていると、後ろから不機嫌な声がかかった。
「……おい、おめーら。楽しそーじゃねーか、俺も混ぜろよ」

目の前の黄瀬君は私の後ろを見て、あからさまに引き攣った。
「……げっ…!!青峰っち!?」

青峰君は鋭い視線を黄瀬君に向けた。
「てめっ…黄瀬!? 何で、おめーが名前と一緒にいんだよ!?」
「……い、いや、これには深い訳が…っ!! 決して名前っちに手を出そうとか、そんな命知らずな事は…っ!!!?」

青峰君は威嚇する様に、無言で拳の関節をバキリと鳴らす。それを見た黄瀬君は慌てた。
「ちょっとー!? 暴力反対っス!! 顔、怖過ぎっスよ!?」
「るせー! この面は生まれつきだ」
『大輝君、ちょっと…!!』
私は慌てて制止する。

「…あのー…」
そこへかけられた、空気を読まない声。

三人の女の子達が、もじもじしながら立っていた。彼女達は黄瀬君だけを見ている。

「もしかしてキセリョ…? だよね? そんな格好してるから、分からなかったー」
「えっマジ!? キャー! 私、ファンなんですー!!!」
「今度、メンズMonMonで特集組むのよね!? あ、サインくださーい!」
「ずるい、私も私も…!!」

途端に囲まれた黄瀬君に青峰君は舌打ちすると、「名前、来い!」と、私の腕を掴んでスタスタと歩き出す。

振り向くと、黄瀬君は私達に軽く手を振り、片目を瞑って親指を立てた。
「大丈夫、上手くやるっスよ!」と、そう励ましてくれている様な気がした。


私は、黙ったまま手を引いている彼に声をかける。
『ねえ、大輝君。ちょっと止まって』
彼は不機嫌な顔をして振り向き、漸く足を止める。
「……何だよ。おめー、黄瀬の所に戻るつもりなのかよ?」
『ち、違うよ! 大輝君に話があるの!!』
「話…?」

私は一つ頷くと、黄瀬君から貰った封筒を差し出す。
彼は不審そうに眉を顰めた。
「何だ、これ…?」

受け取った彼は封筒を開け、その表情は驚きに一変した。
「こ、これ…は!?? マイちゃんの……っ!!!???」

彼の反応に満足した私はクスリと微笑う。
『以前、黄瀬さんにサイン会の事話したら、これを手配してくれたの。後で彼にちゃんとお礼言ってよね?』
「おめー…わざわざ俺に…?」
『前に…写真集買った時、整理券は配布終わってたから、その時は言えなかったけど。
彼が手に入れてくれるとは思わなかったから、私も吃驚してる』

喜んでくれたなら良かった。と、私は彼に微笑んだ。
青峰君が幸せになってくれれば、私も嬉しいよ。

「…………」
青峰君は、私を暫くじっと見つめていたが、そっと私の背に腕を回すと、私を腕の中に閉じ込めた。

『……!? 大輝君…っ?』
「黙ってろ…」

優しくて温かな青峰君の体温を感じて、私の心臓は跳ねる。
私は胸を高鳴らせながら、全身を青峰君の身体に預けた。

「写真集も、チケットも嬉しいけどよ、おめーの笑う顔…やっと…見れたわ」

彼の言葉に驚いた私が顔を上げると、青峰君は優し気に目を細めていた。
まるで、愛おしい相手を見る様な表情に、私はドキドキしてしまう。

そんな蕩けそうな表情で私を見るなんて…自分に都合のいい誤解をしてしまうよ。
私は、秘かに痛む恋心から目を逸らし、そっと彼の背中に手を回して抱き締め返した。

…例え、彼が他に好きな人がいるとしても構わない。
今、ここで彼の腕の中にいるのは…私。
先の事なんて、きっと誰にも分からないのだから。

私は、全身を包み込む彼を感じながら、心の中で『…大好き』と、呟いた。




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