思わぬ災難




不吉な予言にも関わらず、何事も無く帰宅出来た。
『…何事も無くて良かった』私は胸を撫で下ろす。

私はライフジャケットと制服を脱ぎ、私服に着替える。
窓の外を覘くと、空はどんよりと濁った雲に覆われていた。

……天気、崩れそう。

それでも、パットの散歩は欠かせない。
大型犬だし、ストレスを溜めたら面倒な事になるのだ。
正直、占いの事も引っかかるし、今日ばかりは誰かに変わって欲しかったけど、生憎と家族は全員出払っている。

…仕方ない。私は諦めて溜息を一つ吐くと、パットを呼んだ。
『パット、行くよー!』
パットは嬉しそうに私に纏わり付き、私はパットにリードを付ける。

準備を整えたのを確認すると、家を出て、いつものコースを歩き出した。


歩き出して暫くしてから、ライフジャケットを脱いだまま、家に置き忘れてしまった事に気が付いた。
……折角、緑間さんに借りたのに。

私は自分の迂闊さに臍を噛んだが、天気が崩れる前に散歩を終えたかったので、今更戻る気にもなれなかった。
……大丈夫。いつものコースを歩けば、危険な所はどこにも無い筈。

私は自分に言い聞かせ、リードを握り直した。

『…今頃、大輝君はサイン会で並んでいるかなー……?』
私は青峰君に思いを馳せた。
明日、きっと彼は嬉しそうに顔を輝かせて報告してくれる事だろう。貰ったサインを得意気に見せびらかしながら。

そんな彼を思い描いて微笑ましくなり、一人で口の端を綻ばせた。


途中で立ち寄ったコンビニで飲み物を買い、外に出たら、通りに繋いでおいたパットは、またもや消え失せていた。

『パット〜〜〜っ!!!またっ!!!』
思わず怒った勢いで大きな独り言を漏らし、通りがかった人にぎょっとした顔をされてしまう。
でも、私はそれどころでは無かった。
万が一にも、大型犬で他人に怪我でもさせたら大変な事になる。私は慌てて辺りを探しまくった。

『ああーっ、もう!! どこに行ったんだろ…?』

探しながら、思い出したくも無い今朝の占いの結果が頭の中を去来する。
星座…12位…思わぬ災難…ライフジャケット……

これなら、面倒でも取りに戻った方が気休めにはなったかも…?
普段は占いなんて、良い結果の時しか信じないつもりでいたけど、悪い結果を聞いてしまうと不安になるから始末が悪い。


『……ん? 犬の声…?』
微かに聞こえる音を頼りに、私は寂れた倉庫街の方に向かう。
何かが目の端に留まり、私は広い建設途中のビルの工事現場のフェンスを覗いた。
人ではない、何か大きな影が動いている。
『……あっ!!?? いたーーーーっ!!??』

見慣れたセントバーナードが目に入った。


私は入口の単管バリケードを乗り越え、名前を呼びながらパットに近付く。
工事現場は無人の様だった。
パットはこちらを振り向き、異様に激しい声で吠え出した。

『…えっ? 何…?』
私は、今までにない程の剣幕のパットに驚き、足を止めた。
どうしたんだろう…? 何か…あったんだろうか?

私は、それでもパットを捕獲しなくてはならない。
足が竦みそうになる自分を鼓舞し、ゆっくりと足を進める。
私が進むごとに、パットはますます激しく唸り、吠える。私は途方に暮れた。

『…何があったの? そんなに吠えないで! 近所迷惑だから…!』
私は宥めながらゆっくりと近付く。


瞬間、足元の地面が消失した。

『あっ!?』

私は崩れ落ちる瓦礫と共に、穴の中に落下した。
途中で手に触れた物を掴むが、それも支えきれずに落下し、鈍い金属音を響かせた。

『……いたたたた…何?』

見上げると、直径2m程の穴がぽっかりと開き、夕闇に染まりかけた曇り空が見えた。

『うう……っ』
穴の底は土と岩に覆われていて、大きな管が一部剥き出しになり、少しの水が流れ込んでいた。
それで服と身体は泥だらけになった。
自分の身体を確認する。軽い打撲くらいで大きな怪我はないが、足に鈍い痛みが走った。
…さては挫いたか。痛みに顔を顰めた。

私は、よろけながら立ち上がる。穴の深さは3〜4m位だろうか。
周りの壁を見回したが、体力の無い私には、上って行けそうな足場になる箇所は無かった。

『あ、そうだ! 携帯…っ!』
私は急いでパーカーのポケットをまさぐる。
しかしポケットの中は空っぽで、辺りを探すと携帯は、足元の水溜りに転がっていた。

落ちた時に落としてしまったのか、携帯は濡れていた。
何度起動させようとしても画面が黒いまま動かなかった。
『…壊れた…?』

「ウォンッ!」

絶望的な気持ちになってると、パットの吠え声が聞こえ、私は縁を見上げた。
パットが見下ろしている。

『パット!!』
私は、声の限りに叫んだ。
『誰か…っ!!助けを呼んで!!!……お願いっ!!』

穴の縁で大型犬が吠えていれば、私も発見されるかもしれない。
私は藁にも縋る気持ちで、パットに唯一の希望を託すしかなかった。
が、その頼みの綱のパットは更に一声吠えた後、穴の縁から姿を消し、辺りはひっそりと静まり返った。

『……パット…っ』

辺りに犬の吠え声すら無くなると、今更の様に心細さが身に沁みた。
ここは倉庫街…暗くなると途端に人通りが途絶える。きっと叫んでも誰にも聞こえない。
気温も徐々に下がって来て、濡れた身体が冷えてくる。私はぶるりと身を震わせた。

『…あ、雨…?』
ポツリポツリと雫が身体を濡らす。次第に雨脚が強まって来る。
足元の水は少しずつだが確実に水嵩が増して来ている。

『……どうしよう…?』
私は今、自分がとんでもなく危険な状況にいる事に気が付いた。

私、泳げないのに…このままだと……!!

(星座は12位、思わぬ災難に気を付けて…ラッキーアイテムは…)

『…ライフ…ジャケット……? そんな…っ!!!』

置いてこなければ良かった。面倒でも、気が付いた時点で一旦家に戻れば良かった…!!
あれさえあれば、こんな目に遭っても事態は全く違う筈…!!!

足が震え、パニックになりかけた自分を、ギリギリの所で冷静になれと叱咤する。

脳裏に、私を案じてくれた緑間君達、別れ際の青峰君の表情と言葉が浮かんできた。
あの人達は、あんなに私を心配してくれたのに……っ!!
今更、過ぎた事を悔やんでも、ライフジャケットは手元には戻らない。

水は更に嵩を増して来て、今や腰の高さに迫っていた。
これはきっと雨だけじゃない。地下からも、水が流れ込んでいるのに違いない。
私は屈んで、足元に転がっていた鉄パイプを拾い上げる。

嘆く暇があったら考えろ…!!! 今は生き残る事が先決だ。…少しでも時間を稼がないと…!!

私は出来るだけ高い壁に鉄パイプを突き刺した。
渾身の力を込めて、1m近くあるそれを外れない様に、しっかりと押し込む。

靴を脱ぎ捨て、パイプに掴まる。
パイプを支えに足を壁の窪みに引っかけてよじ登り、挫いた痛みに堪えながら、何とか鉄パイプに縋り付いた。
少しでも早く助けが来る事を願いながら。

雨はまだ、止む気配は無い。

※※※

-青峰side-

「お、あったあった! ここだな♪」

俺は名前と別れた足で、そのままサイン会会場に向かった。
入口でチケットを見せ、係の誘導に従って写真集を持って最後尾に並ぶ。

「それにしても…すっげー人だ。さすがマイちゃん人気だな!」

もうすぐ生マイちゃんに会える。俺は弾む気持ちに胸を高鳴らせた。
大きな本屋の、広いブースの一角に並べた長テーブルを挟み、俺の憧れの堀北マイちゃんが座っている。
「くぅ〜〜〜っ!! いい乳だぜ!!!」

俺は小声で感嘆した。あんまり大声でこんな事言うと、本人に聞こえるかもしれないからな!

列は順序良く進み、進む毎に俺の気持ちも盛り上がって来る。
「何て言おうか…? いつも応援しています…? うーん…イマイチ平凡だなー…綺麗ですね! 当たり前の事言ってどーすんだ?
俺の理想のオッパイ…っ!? いや、引くだろ…つか、セクハラになっちまうだろーが…落ち着け、俺っ!!」

いよいよあと一人を残す所になって来た。…いけねぇ、俺…ガチガチにキンチョーして来たぞ…
そいつが終わって、やっと待ちに待った俺の番になり、マイちゃんの前に進み出た。
マイちゃんは、俺の顔を見てニッコリと微笑んだ。

あー、やっぱり可愛い…!チケットをくれた名前に感謝だ。…ついでに黄瀬にも少しだけ感謝してやる。

「わぁぁぁぁーーーっ!? 誰かそいつを止めろ!!」
突如、入口が騒がしくなった。
「何だぁ!?」

俺は、貴重なチャンスを台無しにするかの様な騒ぎに腹を立てた。
チラッとマイちゃんに視線を戻すと、彼女も俺から目線を外し、騒ぎの方に気を取られている。
「チッ…!!」

入口近くは、客達と係員やスタッフ達が右往左往し、大混乱していた。
俺は騒ぎの中心に身を躍らせた。
「誰だか知らねーが、俺とマイちゃんの逢瀬を邪魔しよーなんざ、ふてぇ野郎だ! 許さねー!!!」

「ウォンッ!!!」

だが、闖入したのは野郎では無かった。
その大型のセントバーナードには、嫌と言うほど見覚えがある。
「てめっ…!? パットかっ!!?? 何故こんな所に…!?どわっ!!!」

パットは俺を押し倒すと、激しく吠え出した。
つか、涎すげぇな! 制服がビチャビチャになるから止めろ。

「おい、何をしている! 警察を呼べ!!」
「誰か、犬に慣れている者はいないか!?取り押さえろ!!」
「それ…犬だけど、大き過ぎですよ…っ!!」
「このままだと、あの少年が危ないぞ!!!」
「ゲストとお客様を安全な場所に誘導しろ! 早く!!」

「おめー…名前はどうした!? 飼い主は一緒じゃねーのか? また、逃げ出したのか…?」
俺はそこまで言ってハッとした。
パットは俺の身体から足を退け、身体を起こした俺の上着の裾を咥えて引っ張る。

スタッフ達が飛んでくるが、俺は奴等を制止した。
「君、大丈夫か!? 怪我は?」
「大丈夫っす。こいつの飼い主は俺のダチで…」

俺の勘が何かある、と告げていた。
「…パット、名前の身に何かが起こったんだな!?」

俺の言葉に反応し、激しく吠えるパット。
「チッ…!! ったく、こんな時に何をやってやがる…!! 分かった、パット! 名前の所に連れて行け!!」

俺は一旦マイちゃんの方を振り向き、軽く頭を下げてから、走り出したパットを追って、全速力で駆け出した。




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