青峰と勉強会
中間試験が終わって成績発表があった放課後の事。
私は努力した成果に満足しながら、下校途中の道を歩いていた。
午後から夕方に移る時刻、風が頬を撫でていく。
今日も散歩日和だ。
学校と隣接した土地には、桐皇学園の寮がある。
道に面した建物は男子寮。
いつも目にしている見慣れた光景だが、ふと違和感を覚えて目を凝らした。
……ん?
2階の外壁に人が張り付いている??
私は唖然として男子寮を見上げた。
よく見たら、それは大柄な男子。
見覚えのある、あの後姿は…!!
『大輝君っ!?』
何であんな所に!?
どう見ても、あれでは不審者以外の何者でもない。
忍び込もうとしているのか、それとも脱走している所なのか!??
「げっ!!名前か!?」
『何やってんの!?そんな所で!!?』
「大声出すんじゃねーよ!」
彼はベランダの外の壁を、思い切り良く蹴った。
うわぁ落ちるっ…!!!
私は金縛りに遭ったみたいに動けなかった。
青峰君は塀の上に飛びつき両手を着くと、そこを支点に身体を回転させ、外の道路に鮮やかに着地した。
「脅かすな。…奴等に見付かんじゃねーか」
『大輝君こそ脅かさないでよ!!…まさか、男子寮に忍び込んでいたの!?』
確か青峰君は通いだから、寮住まいではない筈。
「ちげーよ!!だからでけー声出すなって!」
頭上から窓の開く音が聞こえた。
青峰君は、咄嗟に私を後ろから羽交い絞めにして口を押え、塀の外側にぴったりと身を寄せる。
『んむっっ…!』
驚いて抵抗しようとしたが、びくともしない。
「静かにしろ」
耳元の低い声に囁かれて、私の心臓は跳ねた。
あ…青峰君…っ!!
身体が密着して、口を押えられてる。
こんな事されているのに…何でドキドキするの…?
彼とは身長差がかなりあるから、逞しい身体に、まるで包み込まれているみたい。
上からはのんびりした声が降って来た。
「あ〜青峰はおらんなぁ…ホンマにどっから逃げよったんやろ?」
「スミマセン!僕が目を離した隙にっ…スミマセン!!!」
あの声は、今吉先輩と…良君!??
暫くじっとしていたら、再び窓の閉まる音がして辺りは静寂を取り戻した。
『大輝君…あれは…?』
「いつまでもここにいては見付かんだろ。名前、一緒に来い!」
私は、青峰君に引き摺られる様に、その場から遠ざかった。
※※※
「おう、名前!どっか遊びに行こうぜ?…ゲーセンが良いか…カラオケ店か…何ならパット連れて公園に行ってもいいぜ♪」
『…その前に、大輝君』
私は足を止めた。
「…んだよ?」
『何がどうなっているのか説明してくれない? 何で男子寮から逃げてたの?…あれ、バスケ部の人達でしょ?』
「チッ!…ったく面倒だな」
私が軽く睨むと、青峰君は渋々口を開いた。
「今日、試験の結果が出ただろ。…あれで俺は赤点取っちまってよ。
んで追試やらなきゃならないんだが、それにまで落ちると補習受けさせられんだよ。
……その補習の期間は公式試合があるんだと。だから今吉の部屋で勉強やれって監禁されてたがフケた」
…それで外壁に張り付いていたのね。
私は眩暈を覚えて額に手を当てた。
「つー訳で、ホレ行くぞ!」
青峰君は私の腕を掴んだが、私は振り払った。
『そんな話聞かされて、私が一緒に遊びに行ける訳ないでしょ!?』
「チッ!…だから言いたくなかったんだよ」
『追試にまで落ちたらバスケも出来なくなるんでしょ!?大輝君、試合出なくて補習したいの!?』
「んな訳ねーだろ!?補習なんて真っ平ゴメンだ」
『一緒に遊びに行くなら、先ず勉強して追試受かってからにしようよ!ね?』
「フン…」
青峰君は、私を睨めつけた。
それから、何か思い付いた風にニヤリと笑う。
「良いぜ?…なら、名前が勉強教えてくれよ。確かお前、成績は学年でトップだったよな?」
『私が!?』
「バスケ部の奴等はうるせーし。名前、そこまで言うなら、協力してくれんだよな?」
『わ、分かった。なら、どこでやるの?』
青峰君は悪戯めいた表情をした。
…何か…イヤな予感がする。
「ここでやろーぜ」
何と、青峰君が指し示したのは、件の男子寮!?
『えっ…!?』ちょっと待って!!
『男子寮って…!?女子禁制でしょ!?』
「それ位誤魔化せばいいだろ。今日、俺らのクラスは体育あったよな。制服は目立つからジャージ着て来い。後は帽子貸してやる」
確かにジャージは、男女共色デザインも一緒だけど…!?
「あー、あと、家に連絡入れて来いよ?俺に付き合うと絶対遅くなるからな」
……信じられない…!
私はよろめいた。
彼の暴君さながらの提案を、私は断わる術を持たなかった。
私は、着替えに校舎の方に戻る事にした。
青峰君は「じゃ、俺は二人分の夕飯買って来るわ」と言って、一旦別れた後に合流した。
※※※
青峰君は辺りの様子を伺いながら、私を手招きする。
「名前、こっち来い!今なら、誰もいねーぞ」
『うん!』
私は、髪を縛って目深に被った野球帽に入れ込み、ジャージ姿で青峰君の後ろを歩いている。
これなら小柄な眼鏡男子で通用するだろうか?
…さつきちゃんみたいに胸が大きいと通用しない手段だ。…こんな時に胸が大きくないのが役に立っても、別に嬉しくないけど。
「確かこの部屋だったよな」
ある一室の前に来ると、青峰君は迷いなく扉を開けた。
その部屋は個室になっていたが、部屋の主はいなかった。
…確か三年になると、寮生は受験勉強に専念させる為に、個室を使うのだと聞いた事がある。
『この部屋…誰かが使っているよね?大丈夫なの?』
「あ?今夜くらいまでなら大丈夫だろ。多分」
本当…?って。
『今夜って!?』まさか、一泊するの!???
私の驚き様に、青峰君は事も無げに言う。
「お前…俺の成績知ってんの?夜までに勉強して受かる程良い訳ないだろが」
確かに…あのサボタージュを見ていると、成績が良い訳がない。
でも、追試は比較的易しめに作られている筈だ。…それでも受からないのか!?
「追試の科目は?」
「あ?…日本史以外全部だ」
……聞いた途端に撃沈しそうになった。
でも、何とか踏み止まる。
『じゃあ、日本史は大丈夫だったのね?なら…』
「43点だったけどな!」
…それが最高点ですか…
『追試の範囲は中間試験と同じで、基礎的な問題が中心になると思う。数学と現国、古典、地学、英語、化学…
この場合、短期間で成果を上げやすいのは暗記する科目だけど…大輝君の場合、基礎からやった方が良いかも』
『…それで、さっき追試の過去問のコピー貰って来たの』
「へぇ。よく貰えたな」
『…原澤先生に聞いたら協力してくれた。…青峰にしっかりやれ、と伝えといてください、だって』
「…余計な事を」
「よっと。じゃ、始めようぜ」
青峰君は、私の後ろから抱き抱える様に座り込む。
私は焦って抗議した。
『ちょっと…!!?何て姿勢をしているの!??』
「何てって。いいじゃん、これ位」
『良くない!離して!!』
「何でだよ?」
『何でって…二人きりの時にこんな姿勢でなんて…集中出来ないじゃない!』
青峰君は、ニヤリと笑った。
「…へぇ。なら、他に人がいる時ならいいのか?」
そーゆー問題じゃない!!
『べ、勉強する姿勢じゃないよ!』
「俺はこの方が集中出来るけどな。お前がイヤだってんなら、勉強会は無しにしよーぜ」
『そんな…!!』
「俺は知んねーから、勝手に出てけば?…誰かに見付かるかもしんねーけどな、委員長さんw」
何て男!!!友達だと思って心配しているのに!!!
『…分かったわよ。このまま勉強するわよ?ただし、きっちりやって貰うからね!』
「おー」
私は覚悟を決めた。
こうなったら、一々恥ずかしがっている場合じゃない。
私は問題集を取り出した。
「で、どれからやるんだよ?」
頭上から声が降って来る。
ぴったりと密着して来る感触から敢えて意識を外した。
『まずは英語からにしようか』
「…英語かー…This is a penとかって、一々言わなくても見れば分かるっつーのw」
『教科書だから分かりやすい文を出しているのよ。例文出すから訳して』
「おー…」
私は、問題集の例文を指し示す。
『Long long ago,A woman was living in an old house』
青峰君が暫し考え、癖のある字で答えを書き出した。
「長い長いアゴの女が古い馬の中の居間にいた」
私は、あまりのシュールな訳文に、よろめきそうになるのを堪えて再び問題を出す。
『To commemorate the event…』
「二つ米貰って手弁当にした」
『………』
あまりの珍解答に、私はテーブルに突っ伏した。
…凄いな。ある意味、天才かも?…いや、天然か。
大体一問目は意味すら通ってない。二問目は、この(出来事)を記念して〜が正解だが、強引なローマ字読みになってる。
しかも微妙に意味が通じているって。
私はこめかみを押さえた。
この問題集、元々追試用だからか、高校生レベルとは言えない程簡単な文法が中心になっている。
これで落ちるって、どれだけよ。
私は内心で慄きながら、基礎から丁寧に教えていく。
英語は、文法と単語の意味を覚えないといけないからな…せめて常識的に考えるレベルまでは覚えて貰わないと。
青峰君「ago」ってアゴじゃないのか、とかぶつくさ言ってるし。ちなみに「are」はアレじゃありませんから!!!
続けて古文に進む。
『平家物語の冒頭の文「祇園精舎の鐘の音〜…「おごれるものは久しからず」の意味を答えよ』
「(祇園精舎って名前のヤツが)人に飯おごってると、すぐに金がなくなってしまった、という意味」
私はすんでの所で倒れる所だった。
…その解釈のままに読むと、哀切に満ちた平家物語が色々と台無しになってしまう。
更に青峰君は畳みかけて来る。
「祇園精舎の金の音、だろ?」カネ違う!!チャリーンとかの音じゃない!!!
『諸行無常の響きあり。…そう考えると、凄く物悲しくなってくるね…』
いや、意味違うけど。
私は、また一つ一つの言葉の意味を丁寧に解説した。
「なんだ、おごれるものってそーゆー意味かよ。俺はまた、昔の人も大変だなー、と思ってたんだけどな」
『これはこれで大変なんだけどね。平家、滅んじゃったから』
次に地学の問題を取り出した。
地学って言うより、天文だけどね。
『髪の毛座の特徴を述べよ』
「あ?ンなの簡単だろ?…禿げてツルッツルになる!」
『それって酷い!!星座がツルッツルになるってどんななの!?』
「なら、円形脱毛症になる!これで良いだろ」
『どーしてそんなに髪毟りたがるの!?散開星団で主に構成されてる、だよ!!』
「産科異星団?」
普通に訊き返してくるけど、何か激しく違う様な気がする…!?
聞きたくないけど、どんな漢字を想像しているんだろ…?まさか猿の惑星モドキじゃない…よね?
続いての設問を出す。
『シベリア等の様に、永久凍土に覆われて降雨量が少ない地域を何と言うか?』
「ツンデレ地帯」
…お、惜しい!
今までの事を考えると、ここまで近いと○をあげたくなる。ツンドラ地帯と教えなくちゃだけど。
今度は化学ね。
『アルゴンとラドンの共通項は?』
「怪獣」
『…いや…確かに怪獣っぽいネーミングだけどね…正解は希ガス元素』
「ギガス…?そんな怪獣もいるのか?」
『化学には怪獣は出てきません!キに濁点は付きません!』だから怪獣から離れてって。
『元素記号Bを表す物質を答えよ』(正解はホウ素)
「はぁ?そんなもん、バスケに決まってんだろ!!!』
自信満々で答えられた。
…あ、これはダメかも…
桃井さん、よく彼に教えられていたな。心底尊敬するわ。
そんな調子で、数々の珍解答に撃沈され続けながら、夜中まで勉強を教えた。
誰か私を褒めて欲しい。
そしてギリギリまで勉強していたが、疲れた私は、そのまま青峰君に身体を預けて寝落ちしてしまった。