遠い道程
今日の私は日直。放課後担任に頼まれて、テキストを運ばなければならないのだけど。
「ゴメン、苗字さん! 俺どーしても野暮用で急いで帰りたいんだ!!」
と、もう一方の日直の男子は、帰ってしまった。
そして私は一人で、クラス分のテキストを運ぶ羽目になった。
大丈夫かと心配する先生に、空元気で答えたのは良いけど…実際には重く重なった冊子で前も見えない。
不意に曲がり角の先が騒がしくなったかと思うと、身体に衝撃を感じた。
手元が狂い、積み重なった冊子が崩れる。
『きゃっ…!!?』
「うわっ!!!」
ドサドサドサ!!!
「ったー…ぁ…」
「黄瀬くーん!!」
「うっわ…! やば…っ!!」
ぶつかった男子は黄瀬君だった。
彼は咄嗟に辺りの冊子をかき集め、運ぶ振りをして顔を隠した。
私も零れたテキストを一つ残らず拾い上げる。
黄瀬君の名を呼んだ女子達は、私達の横を駆け抜けて行った。
「ふー…助かったっス…」
『…黄瀬君。それ、用が済んだなら返して…』
彼は、私の言葉に少し驚いた様な顔をした。
「これ…もしかして一人で運んでいたんスか?」
『日直の片割れが帰ってしまったんで』
「…女の子にこんな重いの一人で運ばせるなんて…男の風上にも置けないっス! 手伝うっスよ」
『ありがたいけど…黄瀬君、日直じゃないのに…悪いよ」
「……匿ってくれたお礼っスよ。サボった片割れには、後で借りを返して貰うから心配しなくていいっスよ」
『なら、頼んでいい? …正直、重くて閉口していたんだ。…ありがとう』
黄瀬君、派手でチャラチャラしてるって言う人もいるけど、思ったより親切で話し易い人だなぁ。
こんなに格好良くて、女の子に優しいなんて…モテるのが良く分かるよ。
『黄瀬君、最近モデルで活躍してるみたいだけど、忙しいのにご免ね?』
「今日は別に仕事は無いっスから、大丈夫っスよ。良かったらこれから遊びに行かないっスか?」
『黄瀬君と!? …あ、でも、私これから部活があるから。誘ってくれて嬉しいけど…ご免ね』
彼は少し残念そうに眉を下げた。
「…それは残念っス。部活ってバスケ部だったっスよね? …余程バスケが好きなんスね?」
私は少し首を傾げた。
『…うーん。バスケも好きだけど…憧れ…片想いしてる人がいるんだよね』
私は肩を竦めた。
こんな事言っちゃうと、軽蔑されるかもしれないな、と思いながら。
「……好きな…男っスか…」
彼の呟きに私は俯いた。
『…不純…な動機だよね』
「でも、その動機で、あれだけの努力が出来るって凄いんじゃないんスか? 余程…好き、なんスね? その男の事」
『そう言って貰えると嬉しいな』
私は黄瀬君が聞いてくれるので、ついつい話してしまった。
しかし、その後の発言は私の度肝を抜いた。
「告らないんスか?」
『う…えっ!? こ、告る!? 無理無理無理無理っ!!!! 私なんか、とても無理っっ!!!』
「なんで…苗字さん、俺は別にそう悪くないと思うんスけど?」
微妙な評価っぽい言い方だが、モテ男の彼からすると、それでも良い方なのかな。
『あの、彼には美人で、スタイルも良い…出来の良いマネージャーやってる幼馴染がいるんだよね。
当然噂にもなってて……それに、私は彼に存在すら認識されてないし』
「……は?」
黄瀬君は目を点にして固まった。
私、そんなに変な事、言ったかな?
「存在すら認識されてないって、何スかそれは!!??」
『え?』
「美人なライバルがいるって以前の話っスよ!!! 同じバスケ部に所属しているって言うのに…!!
アンタどこまで要領悪いんスか!!??」
『いやあの…っ、でも彼は一軍で、私は三軍だし?』
「三軍でもやり様はある筈っス!!!」
な、何で私、怒られているの?
「一日ずっと入らないシュート練習続ける位好きなのに、女の子として肝心の恋愛の努力をしないでどーするんスか!??」
『"入らない"は余計でしょ…?』
「努力の方向が違うんスよ!!」
『強ち違うとも言えないよ。だって彼、バスケ大好きなんだもん!』
「大して上手くならない練習するより、もっと効率的な方法を取るべきっスよ!」
…そ、その通りだけど…そこまで酷い言われ様をする事なの…?
『……黄瀬君、そこまで言わなくても…』
「…う、つい、本音が漏れたっス…」
本音…意外と容赦無いのね。
彼は、私をまじまじと見つめた。
彼の様なイケメンにじっと見つめられると、落ち着かない気分になって来る。
『黄瀬君…?』
「スタイル…髪型…センス…ふむ。このままじゃ…だけど、磨くと良い線行くかもしれないっスね…」
彼の独り言がブツブツと聞こえる。
「今度の休み、付き合ってあげるっス!!」
『ええっ!?』
「その男に告れる位、魅力的に仕上げてあげるっスから、時間を開けとくっスよ!!?」
…本気…か?
彼の宣言に、私は全身が固まった。
『あの、でも黄瀬君、何でそんなに私に色々してくれるの?』
私の疑問に、彼は髪をかき上げ、少し考える素振りをした。
そんな姿すら彼は絵になる。
「うーん…何つーか…苗字さんの不器用さは見てて苛々するんスよ。
つい構ってしまいたくなるんスよねー…」
ぶ…不器用…反論出来ない…
「要領が悪いと言うのは、折角の努力を活かせないって事スからね!
苛々する、ってのは勿体無いって思うからなんスよ!」
キツイけど、確かに黄瀬君の言う事は正しい。
どーでも良いなら、放っておけばいいのに…でも彼は、私に関わろうとしてくれてる。
私の努力…勿体無いって思ってくれてるんだ。
『……ありがとう…では、お願い…します』
教室に着いて、教卓の上にテキストを置く。
私は深々と黄瀬君に頭を下げた。
『テキストも運んでくれてありがとう。助かりました』
黄瀬君はにぃって笑うと親指を立てた。
「どういたしまして。じゃ、携番教えるっス!」
私は黄瀬君と携番の交換をした。
そして、部活に出る私を手を振って見送ってくれた。
※※※
今日は休日。黄瀬君とデート…じゃなくて、色々師事してもらう為に待ち合わせしている。
『…そろそろ時間だけど…黄瀬君、どこかなぁ?』
「苗字さん」
『!?』
不意に後ろから呼ばれて、私は弾かれた様に振り返った。
目深にフードを被り、サングラスをした彼がいた。
『その声は…黄瀬君?』
「そうっス。他の女の子達に気付かれると面倒っスから、早く行くっスよ」
彼は歩きながら、私の姿を見つめた。
これでも手持ちの中から、出来るだけマシな服を着たつもりなんだけど…
「…先ずは髪型っスね。前髪が重くて野暮ったいっス。俺の行きつけの所が近くだから、そこに行くっス」
やっぱり黄瀬君は容赦が無い…
「あらーリョータ君、その子はカノジョかしらー?」
「いや、友達っス。彼女の髪、整えて貰って良いっスか?」
オカマさんみたいな男性…?
彼が言うには、仕事関係の人だとか。
「髪質は良いけど…あまり手入れはしてないのね。勿体無いわよ」
……また、勿体無いって言われた。
「そうっスよね。もっと言ってやってくださいっス。彼女、自分に無頓着なんスから」
そのオカマさんはふふ、と笑った。
「カノジョじゃないなんて。…でも随分と仲良しさんねぇ」
『そんな…私はとても……』
「切るから、前を向いて。頭は動かさないの!」
サクサク切られて、私の髪型がみるみるうちに変わって行く。
あれ…? 何だか明るくなった?
腕の良い人なんだろう。
鏡の中の私が、可愛く見える。
ブローで仕上げられた私を見た黄瀬君は感嘆した声を上げた。
「凄いっス!! 思った以上に可愛くなったっスね♪」
髪型だけで、こうも変わるなんて…このオカマさん、凄い人なんだなぁ。
「さて次は…フィットネスっス!」
『えええええ……?』
私は次々と、エステ、セレクトショップと連れ回された。
勿論、中学生でしかない私にそんな諸々のお金が払える訳も無い。
黄瀬君の奢りだった。
出世払いで半額OFFでツケにしとくと言われたけど…幾らかかっているのか、聞くのも恐ろしい。
玉の輿にでも乗らないと、返せないかも…?
黄瀬君の努力の甲斐あって、外見だけはかなり可愛くなった…(当人比)と思う。
そんな私を見て、彼は満足気に息を吐いた。
「…まぁまぁ…良くなったっスね。一応合格点あげるっスよ」
『先生、ありがとうございました!』
私は真面目くさって頭を下げる。
「でも、まだこれからっスよ」
『そうね。…ダイエットも運動も…まだまだ…』
彼はにっこりと極上の笑顔で微笑んだ。
「これで好きな相手に、アタック出来るっス!」
彼の一言は、私を奈落に突き落とした。
『……っ!?? すみません、無理です…!!』
黄瀬君は私の返答を聞いて、深い溜息を吐いた。
「……外見を少々変えた位では、自信が持てないっスか…?
なら、まず苗字さんの場合は…」
「あっ、あれ…キセリョじゃない?」
「えっ、顔、良く見えないけど…そうかな?」
近くで女の子達の声が聞こえた。
「やば…っ!」
彼は低く呟くなり、私の腕を引いて走り出した。
『う…な、何…っ!?』
「走れ!!」
私は訳も分からず足を動かした。
黄瀬君は流石と言うか…凄く足が速い。
みるみるうちに、後ろから追いかけて来る女子達を引き離して行く。
「こっち!!」
私は引かれるままに、路地に駆け込んだ。
「あれ〜? キセリョ、足速〜い! どこ行ったんだろー?」
『…あ、あの子達…!』
「しっ…!!」
黄瀬君は、私を路地の壁に押し付け、彼自身も覆い被さった。
私は黄瀬君と密着し、身動きが取れない。
彼の体温がそのまま私に伝わり、私は暴れる心臓を懸命に宥めた。
長く感じられた時間そうしていたが、彼は壁に腕を突いたまま、やっと身体を離した。
「……行った様っスね。……あ」
私が真っ赤になって、俯いていたからだろう。
彼は慌てた。
「ごめん、名前ちゃん! 不可抗力っス!!」
黄瀬君は手を伸ばして私に触れようとした。
その時、私は彼を意識し過ぎて半ばパニックになっていた。
パシッ!
気が付いたら、私は彼の手を思わず振り払ってしまっていた。
「……あっ…」
その時、私は状況に対処するのでいっぱいいっぱいで、彼が受けたショックにまで頭が回らなかった。
『……っ、ご…ごめん…』
反射的に謝ってしまった。
黄瀬君は、少しの間茫然としていたが、すぐに元の表情を取り戻した。
「いいんスよ。こっちこそ巻き込んで悪かったっス。
さ、彼女等に見付かるとまた面倒だし、そろそろ帰ろうか」
『…黄瀬君…?』
彼はいつもと同じ、非の打ち所の無い、華やかな笑顔を私に向けた。
彼がこんなに私を応援してくれてるのは、何故だか分からない。
けど、少しでも努力して…バスケも自分磨きも頑張って、自信を持てる様になろう。
彼のアドバイス通り、青峰君に話しかけてみて…少しでも近づけたら。
そうしたら、私は告白出来るかもしれない。
まだ…凄く―遠い道程だけど…
『……ありがとう、黄瀬君。私…頑張ってみようと思う』
私の言葉に、彼は目を軽く瞠った。
そして、楽し気に口元を緩ませる。
「応援してるっスよ。女子力のアドバイスは任せるっス!」と、心強い言葉をくれたのだった。