離れた心
それから、私は黄瀬君には会わなくなった。
時々、学校ですれ違う事はあるけど、私は俯き、彼は私に目もくれなかった。
灰崎君は、あれから間もなくバスケ部を辞めさせられたらしい。
黒子君とは時々会って話をした。彼から一軍の近況をよく聞いていた。
でも彼は青峰君の話をする時に、時折顔を曇らす事があった。
『凄いよね! 青峰君。二軍の練習試合の時、一人で50点以上取ったんだってね!』
「ええ。本当に彼は凄いです。…でも、最近バスケをしても、あまり楽しそうに見えないのが気にかかります」
『…? あんなにバスケ好きな人が?』
「はい。強くなり過ぎて…周りと差がつき過ぎて…って」
『天才故の悩み…って凡人には分りかねるな…』
どんなに練習しても、シュート入らない悩みなら分かるんだけど。と言ったら、黒子君は苦笑した。
「僕もです」
『でも、黒子君も一軍レギュラーじゃない? やっぱり凄いよ』
もう全中の地区予選は始まっている。
私は二軍にいるけど、一軍の緊張感は何となく伝わって来ていた。
「…黄瀬君は」
黒子君が口調を改めて話を切り出すと、私はビクリと肩を揺らした。
今、一番聞きたいけど聞きたくない人。
「時折、僕に苗字さんの事を聞いて来ます。青峰君にいつ告るのか気にしているみたいで」
私は深い溜息を吐いた。
『…青峰君の事は好き。だけどそれは憧れだって事に気が付いたの。…だから私は告る事はしない』
黒子君は首を傾げた。
「苗字さんは…他に好きな人がいるのですか?」
『……失恋、しちゃったけどね』
苦笑しながら、私は服の下に身に着けているインカローズのネックレスを、キュッと服の上から握り締めた。
恋愛運上げるって…終わってから失恋した相手に貰っても、意味がない。
それでも、私はこれが彼と繋ぐものの様に思えて、どうしても身から離す事が出来なかった。
『だから私は、今自分の気持ちの整理をしたいの。…でなければ先に進めないから』
黒子君は考え深げに頷いた。
※※※
私は彼等と疎遠になっても、相変わらずバスケは続けていた。
形無いものでも、それは彼等が私にくれたものだから、自分から消してしまいたくは無かった。
天気の良い休日、私はまた相変わらず一人でストバスコートで練習していた。
シュート率は相変わらずだった。
どんなに練習しても、上達しない自分の身体が恨めしい。
『あっ…!??』
また私の放ったボールがゴールから大きく外れて、フェンスの外に飛んで行った。
「痛てーーーっっ!!??」
ボールが落ちたと同時に誰かの声が聞こえる。
まさか…!?
以前も、まんま同じ事があった。
私は恐る恐る見に行くと、がさり、と音がして叢から背の高い影が起き上った。
「またおめーか!!? 苗字っっ!!!」
『ご、ゴメン! 青峰君!!?』
「バスケはフェンスの中でやれっつーんだよ!! 俺の頭はゴールポストじゃねーっつーの!!!」
青峰君は腹立ち紛れに私にボールをブン投げた。
『キャッ!?』
私はそのボールを取り損ねて、顔面で受けてしまった。…痛い。
顔に手を当てて蹲った私に、青峰君は慌てて駆け寄る。
「悪りぃ苗字! 大丈夫か!?」
『ずびまぜん…』
私が手をどけると、掌にはべったりと血が付いていた。
「げっ!!? やべっ! おめー、鼻血出てんぞ!!」
『あおびねぐん、ざわるどふぐ…汚れ』
「いいから! てめー喋んな!! タオルとティッシュ出せ! 座って下を向け!!血は飲むんじゃねーぞ!」
青峰君は、タオルを濡らしに行った。
うう…憧れの人の前で何やってるの、私。
つくづく自分の鈍臭さが嫌になる。
「血出したら鼻押さえてろ。タオル冷やして来たぜ」
私はコクンと頷いて、暫くされるままにじっとしていた。
「…悪かったな」
漸く落ち着いた私も彼に謝った。
『こちらこそ…ごめんね? 一度ならず二度までも。…あと、タオル冷やしてくれてありがとう』
「…くっ…くく…」
青峰君が不意に笑い出した。
「いや、おめー…黄瀬の言う通りのヤツだな。本当に何をしでかすか分かんねーわw」
私は、いきなり出て来た彼の名にドキリとする。
『…黄瀬…君?』
「何だかんだ言っても、黄瀬はおめーを気に入ってっからな。そういや、最近はあんまり一緒にいねーみてーだけど?」
『私、黄瀬君に愛想尽かされたみたいで』
「は? 何だそりゃ」
『少し彼に甘え過ぎていたみたい…』
「フーン」
青峰君は興味無さ気におざなりな相槌を打つと、私の頭をポンポンと軽く叩いた。
それは彼なりの無言の慰めなのかもしれない。
『…ありがとう、青峰君』
私はふと、黒子君の言葉を思い出した。
『青峰君は最近絶好調だね。一人で50点入れたと聞いた時は鳥肌が立ったよ』
私の台詞に青峰君は顔を曇らせた。
「…あー、まーな…」
『そんなに凄いプレーが出来るのって羨ましいな』
青峰君はニヤリと口許を歪めた。
「おめーくれえ下手だったら、変に悩まなくていいんだろーなw」
『これでも、下手な故の悩みがあるんです!』
「何度も練習してコツ掴めば上達するもんだぜ普通」
『出来たら苦労しないよ!』
青峰君は指先でボールを回し出した。
「…でも、バスケつまんなくはなってねーだろ?」
『下手過ぎると、つまらなくなってしまうかもね』
「おめーは下手過ぎても、飽きもせずやってんじゃねーかw」
『…少しずつでも、シュートとか成功すると、凄く嬉しいよ。だから飽きないのかな』
「はっ! 俺は、そんなおめーが逆に羨ましいわ」
青峰君はボールを返してくれると、私の頭をぐしゃぐしゃと乱暴な手付きで撫でた。
私では青峰君の支えになれない。…私は泣きたい位に無力だ。
※※※
夏休みが終わり、帝光は全中での優勝を飾った。
青峰君も黄瀬君も大活躍したらしい。
しかし、それから徐々に一軍の雰囲気が変わったのが二軍にも伝わって来た。
「青峰や紫原が練習サボっているらしいよ。主将だけじゃなくて真田監督も何も言わねーって」
「マジかよー!? …まぁ連中、超人的に強ぇからな。勝てれば何でもいいんじゃね?」
「羨ましいね。一軍のキセキ様って。俺達はどんなに練習しても二軍止まりだからなー」
私は本屋に立ち寄った。
参考書を探し、雑誌コーナーを通った時、積み上がっていたファッション誌の表紙に釘付けになった。
『…黄瀬君だ』
その表紙には、ポーズを取った黄瀬涼太が大きく写っていた。
そして"キセリョ・モデル復帰第一号!"と大きく印字してあった。
モデル休業していたのに…復帰、したんだ…?
青峰君や紫原君に引き続いて…もしや黄瀬君までも…?
私はイヤな胸騒ぎがした。
学校で黄瀬君を見かけた時は、女子達の集団に囲まれていた。
彼は何も変わっていない。
私達は昔の…知り合う前に戻ってしまった。
……馬鹿みたい。私だけ未練がましく、いつまでも昔の記憶を引き摺っている。
※※※
二軍の練習試合で、私は帯同する事になった。
一軍の同伴選手は、黄瀬君と緑間君と黒子君だ。
私は、彼等の動きを注意深く見ていた。
…確かに凄い。
彼等が入ると、みるみるうちに点差が開いて行く。
でも誰もが笑わない。与えられた作業を黙々と無感動にこなしていくだけ。
緑間君はそんなに笑うキャラではないけど、黄瀬君も、黒子君でさえ瞳に光が無くなっていた。
まるでロボットになってしまったみたいに。
彼等は、どこに心を置き忘れて来たのだろう?
青峰君みたいに…上手くなり過ぎて、バスケがつまらなくなってしまったのだろうか…?
試合が終わって、私は黄瀬君に声をかけた。
『お疲れ様、黄瀬君。こうして話すの久しぶりだね』
「あ…ああ、そう。久しぶりっス」
私は彼にスポドリとタオルを渡す。彼は礼を言って受け取ってくれた。
「…そういや、青峰っちには告ってないんスか?」
『告るのは止めたの』
「何で? 結構仲良くなったみたいっスけど、やっぱり勇気が出なかったとかっスか?」
『ううん。…青峰君への本当の気持ちは憧れだって気が付いたから』
「…そうっスか」
黄瀬君は心ここに在らずと言う感じで、ぼうっとしている。
『…黄瀬君、最近またモデル始めたんだね』
「ああ。赤司っちが…試合に出て勝つなら、無理に練習に出なくてもいいって言ってくれたっスからね」
『……そう』
やっぱり二軍での噂は本当だったんだ…
『黄瀬君、バスケは…楽しい?』
私の言葉に、彼は顔を顰めた。
「何でそんな事訊くんスか? 別に楽しい楽しくないでバスケはやっていないっスよ」
『………』
私が俯いた時、彼は私の耳元に小声で囁いた。
「次の休み、俺と遊ばないっスか?」
『……えっ!?』
「もう青峰っちに遠慮しなくていいなら、別に俺とデートしてもいいっスよね?」
彼の蠱惑的な笑みに魅入られ、気が付いたら私は頷いていた。
※※※
当日、私は以前彼にアドバイスを貰った通りに、精一杯のお洒落をして行った。
…少しでも…彼の隣にいて彼が恥ずかしく無い程度の女になれたら。
私は以前貰ったインカローズのネックレスも、見える様に身に着けた。
黄瀬君のエスコートは完璧だった。
お洒落な店でランチ、ショッピングにカラオケ。
所謂一通りのデートコースだ。
だが、私には気がかりな点があった。
…黄瀬君、何だか楽しくなさそう……?
笑ってはくれても、以前の様な太陽みたいにキラキラした笑みでは無かった。
それに彼は、一度もバスケの話題は出していない。
モデルに関する事は色々話してくれるのに。
彼は、私のペンダントに目を止めると「それ、似合っているっスね。可愛いっス!」と、褒めてはくれた。
でも完全に、くれたのを忘れている口調だった。
…分かってはいた…けど、もうあの日々は戻っては…来ない。
帰り道、ストバスコートの横を通りがかった。
そこは無人で、忘れられたボールが一つ所在無さげに転がっていた。
『…あっ! 黄瀬君、少しバスケしてかない?』
私が駆け出そうとすると、黄瀬君は私の手首を掴んだ。
「綽名っちの恰好じゃバスケは無理っス。スカートが捲れてみっともない事になるっスよ」
『…あ、そう…だね』
私は彼の言葉に足を止めた。
「それに綽名っちは、まだ練習してるんスか? シュート率は上がったっスか?」
『…え? それは…あんまり…』
黄瀬君は呆れた様に肩を竦めた。
「綽名っちの努力は凄いっスけど…絶望的なまでにバスケセンスが無いんスよ。
練習しても上達しないなら、ただの時間の無駄っス。その時間を別の事に向けた方が建設的じゃないんスか?」
『……っ!!?』
…黄瀬君…?
何で彼は、こんな事を言うのだろうか?
確かに彼の言葉は合理的で…理に適ってはいる。…けど。
私は、返す言葉を無くして立ち竦んでしまった。
2016.3.4