別れと再会
三年になったが、私は二軍に留まった。
同学年で一軍に上がる子もいたが私は安堵した。
最早神格化したと言っても過言ではない、常勝をも超えた帝光バスケ部一軍に私の居場所は無かった。
今のままが一番傷付かなくて済む…
私は一軍を取り巻く世界から目を背け続けた。
あのデート以来、黄瀬君から声をかけられる事も無かった。
きっと飽きられてしまったのだろう。
でもそんな私が全中を観に行く気になったのは、黒子君と偶然帰りがかち合ったのが切っ掛けだった。
以前に比べ元気が無い黒子君だったが、話してみると彼は普通に返してくれた。
私はそんな彼に人知れず安心した。
『凄いよね、一軍。もう向かう所敵無しって感じ?』
「…そうですね。皆凄い選手ばかりです」
『バスケ誌で、今年も優勝の最有力候補って書かれていたよ!』
「…………」
私は打ち沈んだ様子の彼に首を傾げたが、その時、彼の携帯に着信が入った。
「…荻原君」
『…?』
黒子君は携帯を開き、確認だけして携帯を閉じた。
「小学校からの友人です。別の中学に行ってて…去年は惜しくも対戦出来ませんでしたが"今年は決勝で会おうな"って」
『男の子同士の友情って良いよね』
息詰まる緊張感の中で吹き抜けた爽やかな風の様な。
そんな試合が観られるなら、行ってみたいかも…?
そう漏らした私に、彼は少々困惑した様な笑みを返してくれた。
その時の私は、容赦の無い現実に叩きのめされる事も知らない。
※※※
本戦二日目を観に行く事にした。
「一日目の…帝光vs平峰戦―観たか?」
「ああ。198対8とか化け物かよ、有り得ねーぜ…」
私が観たのは対白嶺戦。
試合展開は一方的だった。
白嶺側のプレーは帝光相手に全く通用せず、為す術も無く踏み潰されていく。
それなのに帝光の選手達は、全力を尽くしている様には見えない。
『…何…これ、は…』
確かに強いし凄い。青峰君も黄瀬君も。
でも、あんなに楽しそうにバスケをしていた彼等はもう、どこにもいない…
「あいつ等、またやってやがるな」
と、その時後ろで観客達の声が聞こえた。
「もう、チームもへったくれもないな」
「それどころか、誰が一番点を取れるかって競争してるって言うぜ」
「ひでーw 遊んでるつもりかよ。対戦校が気の毒だね」
「こんなのスポーツって言えるのかよ」
我知らず、掠れた声が出た。
『…どうして…?』
私はバスケ部の一員ではあるけど、一軍じゃない。
彼等と関わりは偶にあるけど、限られている。
彼等がロボットみたいと思った時から、私は何も出来なかった、しなかった。
ほぼ傍観者でしかない私は、彼等に何もする事も言う資格も無い。
ただ、彼等が何か大切なものを失ってしまった事だけは、はっきりと分かった。
私は息苦しさに襲われて、胸元に拳を当てた。
どうしようもなく胸が痛んで、涙でコートが霞んで行った。
全中は当然の如く帝光が優勝した。
しかし、それから黒子君を見かけなくなった。
新学期に私も、三年の選手達と一緒にマネージャーを引退した。
※※※
『やっ…!』
私は、ストバスコートでシュートを放ったが、リングには潜らず落ちた。
『やっぱり駄目か…』
それでも一年の時に比べれば、時々入る様にはなったが、率はまだまだ低いものだった。
残暑の日差しは、私の汗ばんだ肌を刺しチリチリと痛んだ。
(練習しても上達しないなら、ただの時間の無駄っス。
その時間を別の事に向けた方が建設的じゃないんスか?)
あの日の黄瀬君の言葉が脳裏に蘇り、私は唇を痛い程噛んだ。
『……っ!』
苦しさと心の痛さで、私はそのまま地面に膝を突いてしまった。
好きだからって、上達するとは限らない。
このままでは駄目だ。それだけは分かっている。…でもどうしたら。
『…他の事…?』
って私は一体、何が出来るのだろうか?
ぐるぐるとした後悔と自己嫌悪と劣等感の迷路に捉われ、抜け出す道が見付からない。
頭がガンガンと痛み、軽い吐き気がした私はしゃがみ込んだ。
不意に私の視界に影が差した。
「苗字さん…? 大丈夫ですか?」
聞き覚えのある声に驚いて顔を上げれば、目に映ったのは水色の髪と儚げな瞳。
全中決戦以降、姿を消していた黒子君がいた。
『…ご免ね。久し振りに会ったのに』
「いいえ、気にしないでください」
黒子君は私を木陰のベンチに寝かせ、濡らしたタオルを額に乗せてくれた。
「軽い熱中症…ですね。スポドリ、買って来ました」
私は、それを礼を言って受け取った。
頭痛は少しずつ退いていった。
「まだ暑いのに無理しないでください」
『うん…最近、黒子君学校に来てないって、さつきちゃん心配していたよ?』
「そう、ですか…」
『全中…私は本戦二日目しか観てないけど、決戦日、ラフプレーされて倒れたんだってね? 黒子君こそ、もう大丈夫なの?』
「…はい」
黒子君はぼうっとしていた。
まるで魂が身体から全て抜けてしまったかの様に。
私は、一連の事件は桃井さんから聞いていた。
それ以上、何て言葉をかけて良いのか分からない。だから私は、自分の事をつらつらと話し続けた。
『私ね、結局何も出来ない、無力なの分かっていたけど…
実らない努力なんて、したって言えないかな、って思って。でもどうしたら良いのか、まだ分からないんだ』
「……」
『私は不器用だから、失敗してもいつも仕方ない思って…そこで止まっちゃう。
でも、止まってたら何も変わらない。だから、まだ足掻いて少しでも出来る事探そうって思ってる。
諦めたら、そこで終わりだから。…でも諦めないのって、苦しいね」
全てを熟してしまう黄瀬君から見たら、私なんてとんでもない愚者なんだろう。
諦めた方が楽だし、利口かもしれないけど、それではきっと私の心が死ぬ。
「…苗字さん」
『んー?』
「苗字さんは…強いです」
『……黒子君はもっと強いよ。私は…ただ諦めが悪いだけ』
私は黒子君のくれたドリンクを頬に当て、弱々しく微笑んだ。
※※※
高校生になって、心機一転―と思いきや。
私は海常高校の校門を入って固まっていた。
…あのいやに既視感のある人集りは…ひょっとして。
「きゃー!!黄瀬クーン! こっち向いてー!!」
や…やばい。まさか黄瀬君が海常に入学してたとは思わなかった!
私のクラスは、幸いに黄瀬君とは違っていた。
バスケ部に近寄らず目立たない様にすれば、黄瀬君にはきっと見付からないだろう。
日直になった午後の休み時間、私は担任に呼び出されて、クラス全員分のノートを教室まで運ぶ様に言われた。
本来日直は男女の二人一組で構成されているが、片割れの男子は体調を崩して昼前に早退していた。
…もしかして、これ全部私が運ばなければならないの?
抱えてみたら、ギリギリ何とか運べそうだ。
ちょっと視界が狭まって、前が見え難いけど。
私はノートを抱え、ゆっくりと足を踏み出した。
足を進めていると、行く先できゃあきゃあと姦しい女の子達の声が聞こえた。
私は身を縮めて端に寄って歩いていたが、廊下一杯に広がった少女達にぶつかり、数冊のノートを落としてしまった。
『あっ!?』
「ちょっとー! 何っ? 痛いんだけどー!?」
ノートをギリギリで持っているので、屈むと崩れてしまう。私は途方に暮れて立ち尽くしてしまった。
「君、大丈夫っスか?」
ノートの端から見えた金色の髪に聞き慣れた声。
まさか…!?
私は思わず息を飲む。
その人は言わずと知れた黄瀬君だった。
彼は落ちたノートを拾い集め、見えない様に咄嗟にノートの陰に顔を俯けた私に構わず、持ったノートの上に乗せた。
「これ、一人で運ぶんスか? 女の子一人で重くないんスか?」
どうしよう…? 声を出したらバレてしまうかもしれない。
もう疾うに切れた仲だし、今更知られても反応を返されないかもしれない。
今では私と彼は、ただの知人以下だと思い知るのは辛い…
『…ありがとう…ございます…』
私は消え入る様な、か細い声で礼だけを言い、俯いたまま背を向けた。
「ちょっと貴女! 折角黄瀬君が拾ってくれたんだから。ちゃんと聞こえる様にお礼を言いなさいよ! 失礼でしょ!?」
「そうよそうよ! 下向いてぼそぼそ言ってるんじゃないわよ!!」
私を取り囲んで責める取り巻き達に、黄瀬君は宥める様に声をかけた。
「ああ、良いんスよ。きっと、彼女はその、内気な人なんスよ。俺は気にしてないから…ね?」
「黄瀬君がそう言うなら仕方ないけどぉ…」
「涼太君は優しいからー」
私は彼等にぺこりと頭を下げて、そこを離れた。
暫くそのまま歩き、曲がり角で見えなくなってから、やっと安堵の溜息を洩らした。
…気付かれなかった?
一抹の寂しさと、やり過ごせてホッとした気持ちが、綯い交ぜになり、私は足を速めた。
そして、その時の黄瀬君の微かな独り言は、当然私に聞こえる筈も無かった。
「…同じ学校に進学したんスね、久し振りっス綽名っち…」
※※※
次の日の昼休み、図書室で私は本を探していた。
あとほんの2pもあれば届きそうで、私は精一杯背伸びをし、本棚の高い場所に手を伸ばす。
不意に後ろから手が伸び、私の取ろうとした本を抜き取った。
『…あっ!?』
「……スポーツ医学・入門書…?」
本を抜き取ったのは黄瀬君だった。彼は私に本を渡してくれた。
『…あ、ありがとう…』
あまりの不意討ちに、私は普通の反応しか出来なかった。
黄瀬君は普通に接してくれる。
「綽名っち。久しぶりっス。医学書読むなんて意外っス」
『少し学んでみようかと思って』
黄瀬君は悪戯っぽい笑みを閃かせた。
「マネージャーにでもなるつもりなんスか?」
私は頭を振った。
『そう言う訳じゃなくて…でも、帝光のマネージャーの経験は動機にはなってる。運動が苦手で練習の補助が出来ないから、他の事で役に立てると良いなって』
黄瀬君は軽く肩を竦めた。
「最も、うちのバスケ部は今女子マネは募集してないっスからねー」
『黄瀬君のファンが殺到するから?』
「それもあるんスけど、主将が女が大の苦手で、他にもタイプの女と見るとすぐ口説くレギュラーもいるんス…」
『中々個性的なメンバーだね。帝光に負けず劣らず…』
黄瀬君は何かを思い出す様に、視線を空中に彷徨わせた。
「ああ、そう言えば、今度誠凛高校と練習試合が組まれたんス」
『誠凛? ああ、あの新設校の』
「そこには誰がいると思うっスか?」
『…は?』
「黒子っちの進学先っスよ!」
私の記憶に去来するのは、あの魂が抜けてしまった様な黒子君だった。
『……黒子…君』
「黒子っちも、やっぱりバスケ部に入ったみたいっスから、今度対戦するのが楽しみなんスわ。
でも何で誠凛なんスかねー? どーせ入るなら、もっとバスケ部の強い学校なんていくらでもあるのに」
黒子君…バスケ部にまた…入ったんだ…
『良かった…』
私は、ほっとして口の端を緩めた。
黒子君もまた着実に歩みを進めている。彼もまだ諦めてはいないんだ。
その時、黄瀬君の雰囲気が変わった。
彼は私にギリギリまで近付くと、私を囲む様に本棚に両手を突いて見下ろした。
彼の瞳は冷たい光を湛えていた。
「…気に入らないっス」
『……何が?』
「黒子っちの話をすると、随分嬉しそうスね? 綽名っち。…好き、なんスか? 黒子っちの事」
『えっ!?』
彼は一体、何を言っているんだろう?
私は呆然と彼を見上げた。
黄瀬君は切なそうに目を細めると、屈んでゆっくりと私に顔を近付けた。
『…き、黄瀬…く、』
「しっ!…黙って」
私の心臓は煩い位に高鳴ってしまい、金縛りにかかった様に動けなかった。
そんな私の呪縛を解いたのは、無遠慮に近付いて来る女の子達の声。
「あっ、涼太! こんな所にいたんだ!?」
「もうっ! お昼一緒に食べようって約束したのにー。探しちゃったよ!」
私は、彼の腕が緩んだ隙に彼を押し退け、間をすり抜け逃げ出した。
2016.4.5