あの背中を超えて
『買い出し戻りました!!』
「おおご苦労さん。助かるよ」
「今度はシュート練の記録取ってくれるか?」
『はいっ!』
私は雑用を手伝いながら、男子バスケ部の練習を見学させてもらっていた。
まだ笠松先輩は少しぎこちないけど、海常のバスケ部の方達は皆良い方ばかりで、色々と親切に教えてくれた。
私は休憩の号令と共に、作って置いたドリンクを配り回る。
一口飲んで、黄瀬君が首を傾げた。
「…あれ? いつもと味が少し違うっス」
『監督とキャプテンに相談して、疲労回復にクエン酸を足してみたの。濃度も少し変えて』
「前より飲みやすいな」
「パゥワーチャージッ!!!」
「…僕の為にそこまで…? 名前ちゃん、一生作ってくれないか?」
「森山先輩っ! 何どさくさに紛れて綽名っち口説いているんスか!?」
海常のチームに黄瀬君が溶け込んでいる。
私も、いつの間にか笑顔を取り戻していた。
練習が終わる時、黄瀬君は私を送ると言ってくれた。
着替えて部室に向かったが、近くまで来た時に足を止めてしまった。
部室の入口近くには、何人かの女の子達が屯していた。
…あれって…
暫くしてドアが開き、部員達が出て来る。
女子達は歓声を上げながら入口に殺到した。
しかし出て来たのはお目当ての人ではなく、彼女等はそわそわと部室の中を覗き込もうとしていた。
その時、私の携帯に着信があった。
《…俺っス。今、部室の外にいるんスよね?》
『……ええ。黄瀬君のファンの娘達もいるよ』
《部室の反対の方に向かって、大声で俺の名を呼んで》
『…え?』
《早く!》
電話の声に急かされるままに、私は携帯を閉じ、後ろを向いて大声で彼の名を呼んだ。
『黄瀬くーん!!』
その声に釣られた彼女達は一斉に、私の向いた方向に駆け出した。
「やだ、もう出ちゃってたの!?」
「いつの間に…?」
「早くしないと帰っちゃうよ!」
静かになったのを見計らって、黄瀬君がひょっこり部室から顔を覗かせた。
「…上手く行ったっスね」
『黄瀬君』
彼は口元に人差し指を当てて、静かにするゼスチャーをした。
「こっち。裏口から出るっス!」
私は黄瀬君に手を引かれ、導かれるままに歩いた。
暗い校内では他の生徒達とは出会う事は無かった。
静かな世界の中で、まるで彼と二人きりになった様な錯覚に陥る。
…こんな風に歩いたの、久しぶりだな。
失ったと思っていたものが、少しずつ戻って来た様な気がした。
※※※
そんな日が続き、部活後に私はいつもの様に、部室の外の少し離れた場所で彼からの連絡を待っていた。
その時、黄瀬君の取り巻きの娘達が、私を一斉に取り囲んだ。
「ちょっとアンタ、顔を貸しなさいよ」
『…え? いや、私は』
「黄瀬君を待っているんでしょ? そうは行かないから…!」
私は黄瀬君の取り巻きの娘達に囲まれ、抵抗も虚しく外に連れ出される。
連れ出されたのは近くの児童公園。
「どう言うつもりよ、アンタ!」
「最近、バスケ部に入り浸っちゃって。聞くとマネやってる訳でもないし」
「黄瀬君に近付こうってんでしょ? 抜け駆けしちゃって図々しい!」
私はおろおろと周りを見渡した。
彼女等は敵意も露わに私を睨みつけている。
『…私、そんなつもりじゃ…!
スポーツ医学の勉強の為に、見学させていただいているだけです!』
「は、勉強の為? 見学なんて姑息な手を使うじゃん?」
「なら別にバスケ部じゃなくても良いよね?」
「涼太に…バスケ部に近付かないって約束しなよ。しないと酷い目に遭わせるよ?」
私はギュッと拳を握った。
黄瀬君達が力添えしてくれたお陰で、強豪男子バスケ部の見学を特別に許されてる。
私も簡単に引く訳には行かなかった。
『止めません。私を酷い目に遭わせたいならすればいい。
でも私にそんな事するなら、貴女方も罰を受けるのを覚悟の上でしてください!』
「生意気なっ!!」
「何様のつもりなんだよ!!」
激高した彼女達が手を振り上げ、私は衝撃を覚悟して目を瞑った。
「おめーら何してんだよ?」
衝撃は来ず、代わりに響いたのは聞き覚えのある低い男性の声だった。
私は恐る恐る目を開く。
『…青、峰君……?』
拳を振り上げた娘の手首は、後ろから彼に掴まれていた。
「何するの!? 離してよ!!」
「女の喧嘩なんてみっともねーだろ。そんなに黄瀬に嫌われてーのか?」
「……っ!!」
青峰君は手を離し、冷たい目で睨めつけた。
長身で色黒で鋭い瞳の彼が凄むと、気の弱い娘なら泣き出す程の迫力がある。
「失せろ。でねーと女でも容赦なくぶん殴るぞ?」
「この…っ!」
「止めようよ! 行こう?」
彼女達は忌々しそうに舌打ちをして去って行った。
『あ、ありがとう。久し振りだね、青峰君』
「ああ。…おめーは海常に行ったんだな。さっきの女共…おめー、黄瀬と付き合ってんのか?」
『そんなんじゃないよ。バスケ部に関わったから目を付けられたけど』
「フン。それにしてもよ、暫く見ない間におめーは随分変わったんじゃねーの?」
変わった…?
私は軽く首を傾げた。
『自分では、あまりそんな気はしないけれど』
「あいつ等に言い返していたろ。以前のおめーはもっと気弱に見えてたぜ」
言われてみれば、そうかもしれない。
私は柔らかく微笑んだ。
『それは…黄瀬君のお陰かもしれない。自分でも変わりたいと思ったから』
青峰君は軽く目を瞠ると口元を緩めた。
「へっ…悪くねえ」
何がだろう…?
青峰君はクッと喉元を鳴らして笑うと、スッと目を細めて私の頬に触れた。
彼は、そのまま頬から首元まで手をゆっくりと滑らせた。
私は撫でられた感触にゾクリとし、思わず身を震わせる。
彼の眼光は鋭く、視線の強さに囚われた私は身動ぎが出来なくなってしまった。
「良い女になったんじゃねーの? 名前、俺のものになれよ」
『……青峰君…!?』
青峰君は憧れの人だ。それは今でも変わらない。
彼が昔とは変わってしまっても、彼を思慕する心はまだ私の中に残っている。
それを言われたのが二年程前だったら、私は喜んで頷いていただろう。…でも。
今、私の脳裏に浮かんでいるのは―
「綽名っち…!!」
黄瀬君が息せき切って駆け付けてくれた。
そして私と一緒にいる青峰君を見て息を飲む。
「青峰っち…!? 何でここに?」
「久し振りだな黄瀬。俺がいちゃ悪りーかよ?」
「…綽名っちに何してんスか?」
「何って…? 今口説いてんだよ、邪魔すんな」
青峰君は私の肩に腕を回し、引き寄せた。
私は抵抗も出来ず、黄瀬君から目を逸らしてしまった。
ど、どうしよう…黄瀬君に、こんな所見られたくなかった。
もう憧れだけだと吹っ切った筈だったのに…青峰君の言葉に揺れてしまう心が後ろめたくて。
でも青峰君に迫られた時に、私の心に浮かんでいたのは黄瀬君の顔だった。
黄瀬君と青峰君は睨み合った。
「俺は青峰っちにまだ一回も勝てていないっス。…でもこれだけは譲れないっスよ。綽名っちを離すっス!」
青峰君はニヤリと不敵に笑った。
好敵手を見付けた高揚感でギラギラと目を輝かせている。
「…上等だ。IHでぶっ潰してやるよ! それまではこいつを預けておくぜ」
青峰君は私を離して肩を軽く押しやり、背を向けて歩き去って行った。
※※※
時間は少し遡る。
-黄瀬side-
何故か今日に限って、部室の外は静かだった。
俺は綽名っちに電話をしたが、コール音だけして留守電に切り替わってしまった。
何で出ないんスか…?
俺は恐る恐る外を窺ったが、そこには誰もいなかった。
いつもいる女の子達がいないのは良いとして、綽名っちがいないと言うのは解せないっス。
その時、俺はイヤな予感がした。…まさか。
俺は先輩に頼んで、学校の中を探し回ってもらった。
でも、どこにも綽名っちは見付からなかった。
笠松先輩は溜息を吐いた。
「ここまで探していないなら、外かもしんねーな」
その時、中村先輩が慌てて駆け込んで来た。
「おい黄瀬! 苗字さん、どうやらアンタの取り巻き達に外に連れ出されたみたいだぞ!」
「外っスか!?」
…イヤな予感が当たったっス。
最近、彼女達が静かだったのは、諦めたからじゃない。
嵐の前の静けさってヤツだったのかもしれないっス。
俺は全速力で駆け出した。
「あっ涼太!」
途中で俺は彼女達に見付かり、気が付いたら囲まれてしまった。
「ねぇ、一緒に帰ろうよー」
「あ、君達苗字さん知らないっスか?」
「えー? 誰それw」
あくまでも惚ける彼女等に心が冷えて行くのを感じながら、俺は続けて詰問した。
「…君達と一緒に学校を出て行ったのを見た人がいるんス。彼女をどこに連れて行ったんスか?」
俺の機嫌が悪くなったのを悟った彼女達は、お互いの顔を見合わせた。
「あの子の事…? あの子、涼太の何なの〜?」
「…何か知っているんスね?」
俺の声が明らかに冷たくなったのを聞き、彼女達は狼狽え出した。
「…えー、最近の態度が目に付くから、ちょっと注意しただけだけどー?」
「その時、ガラの悪い男が来てね、乱暴するから怖くて逃げて来ちゃった」
「それからどうなったかは知らない。だって怖かったしー」
「どこで!?」
「正門から少し行った所の小さな公園…」
「あっ、ちょっと涼太!?」
彼女達を振り切った俺は走り出した。
綽名っちは柄の悪い男に絡まれているかもしれない。
それだけじゃなく、乱暴されてるかもしれない。
少し目を離した隙に、取り返しの付かない事になったら後悔してもしきれない。
綽名っち、無事でいて…!!
俺は祈る様な気持ちで走り続けた。
公園に着いて、綽名っちと一緒にいた男を見て驚愕した。
その男は青峰っち。…何故、わざわざ神奈川に来ているんスか!?
俺は、青峰っちが彼女に触れているのを見て、カッとなった。
彼女は俺を見ると目を伏せた。
怒りと悲しみを伴う、焼け付く様な不快感が俺の中に渦を巻く。
彼女は元々青峰っちが好きだった。
いくら憧れで恋愛感情とは違うと言っても、その気持ちはいつ恋愛に振れるかも分からない。
青峰っちに彼女を渡したくない。
綽名っちを俺のものにしたい。
…でも、彼女はどう思っているんだろう…?
俺は…彼女の中で青峰っちに勝てるんだろうか…?
今までバスケでは一回も勝てなかった。
青峰っちは、彼女と同じく、俺にとっても憧れだからだ。
俺は青峰っちの去って行く背中を見詰めた。
…いつも追いかけていたあの背中に、いつか届く日が来るのだろうか?
『…黄瀬君?』
俺を現実に引き戻したのは、不安気な綽名っちの声。
彼女は俺を見上げて、そっと俺の上着の裾を掴んだ。
「……綽名っち。俺は―青峰っちに勝ちたいっス。今度こそは…!」
彼女は真直ぐに俺の目を見た。強くて澄んだ光を瞳に湛えていた。
『黄瀬君。私、最近の海常の…黄瀬君のバスケ、とっても好きなんだ。だから応援してるね! 黄瀬君は絶対に勝つよ!』
「……ありがとう、綽名っち」
その言葉だけで一万人分の応援にも勝るっス。
もし、本気で青峰っちに勝つつもりならば― 俺は青峰っちに憧れる事を止めなくてはならない。
青峰っちに勝つ…!!
そして、勝てたら綽名っちに告白するっス…!!
俺は心密かに決意した。
2016.6.15