竜となれ!


賭け


私は、また、緑間君と将棋を指している。

『これでどうだっ!!』私は果敢に攻め込む。
緑間君は、暫し長考した後、フッと口元を緩める。

パチリ。
緑間君の指は綺麗だ。いつも指すのを見る度に、見惚れてしまう。
しかし、その手は容赦が無かった。

『…うっ!?』私は、打たれた駒を見て絶句する。
本当に、絶妙な所に指して来る…!

私も時間制限ギリギリまで長考した後、逃げ場が無いのに気付く。
『…参りました。投了します』「『ありがとうございました!』」

その後に感想戦をして、お互いの手を検討する。
「先輩はここをこう指したが、それだと、ここに攻め込まれた時に隙が出来るのだよ」
『ああ…そこは見逃していた…じゃあ、こう指せば…?』
「それなら、こうなるな」

私は、やっぱりまだ勝ててない。
でも、緑間君は、私に一つの提案をして来た。

「苗字先輩は、いつ頃引退なんですか?」
『…そうだなぁ。…後2か月でギリギリ…かな?』
「…なら、賭けをしませんか?」
『賭け?』
「先輩は確実に腕を上げています。この一か月の間に、先輩が俺に勝てたら俺が、勝てなかったら先輩が言う事を聞く、と」
『何でも?』
「何でも、です。だが、金がかかるのは3000円までにするのだよ」

そうかぁ…でも、まさか彼氏になって、なーんて…無理だよな、どう考えても。
そんな益体も無い事を考えていると、緑間君は怪訝そうな顔で私を見る。
「…?先輩…??」
『…あっ、いや、何でもないよ? そうだね、なら、その賭け乗った!!』
「フッ、二言は無いな?…いい度胸なのだよ!」

※※※

そして、今日から賭け将棋の日だけど…
緑間君からメールが来た。
[今日は練習で行けなくなってしまったから、2日後に振り替えてもらって良いですか?]
『…残念だけど、練習では仕方ないなー』
私は承諾の返信をしたけど、ふと今までバスケ部の練習風景を見た事が無い事に気が付いた。

ちょっとした好奇心だった。

…見に行ってしまおうか?
帝光のバスケ部一軍と言ったら、中学バスケ界では有名だ。
私は、特にバスケには興味が無かったが、緑間君がどんな選手なのかが気になった。

確か、一軍の練習する体育館は、第一体育館だった筈だ。
行ってみると、一時期よりはギャラリーが減っていた。

『…そーいや、最近、黄瀬君、青峰君、紫原君辺りが来てなかったりするって、友人達が噂していたっけ』
特にモデル業が忙しくなった黄瀬君のファンがあからさまに減った、と聞く。
以前に比べれば、その分見易くなって有難い。
私は、そっと体育館に入った。

選手達は、地道な基礎練を繰り返していた。
私はキャットウォークに上がって、緑間君を目で探す。
彼は目立つ容姿をしているので、すぐに見付かった。

緑間君は基礎練の後、ボールを持ってシュート体勢に入ったが、私は違和感に首を傾げる。
彼は、ゴール下では無く、3Pラインですら無く…コートの真ん中に立っていた。
『…!?』
彼は、ゆっくりと流れる様な美しい、とすら言えるフォームで、ボールを放った。
体育館の天井すれすれまで、有り得ない高さに弧を描いたボールは、鋭い音を立ててリングを潜った。

今のは…一体何?

私は、信じられないものを見てしまった。

体育の授業で、少しだけバスケはした事がある。
3Pどころか、普通にシュートを成功させるだけでも、かなり難しかったと言うのに、この人間離れした技は何だ?
しかも、それは偶然では無く、彼は何度も何度もそれを繰り返した。
その軌道を描き、リングに入るのが既定路線だとでも言う様に。一回も外れなかった。

当たり前だけど…将棋だけじゃない。

超一流と言われる人との差に打ちのめされた。

「キャー!緑間くーん!!!」
ギャラリーから黄色い歓声が上がった。
「ミドリン!」
桃色の髪をした美少女が、彼と言葉を交わしていた。

あれは…私と住む世界が違う人だ。
私は彼を遠くに感じた。

※※※

パチリ「先手4八銀」。パチリ「後手4二銀」…
「先手3六歩」

…私は、この特別な人相手に勝つ事が出来るのか?
以前、彼に励まされていたのを思い出す。
…努力出来るのも、自分の才能を信じられるのも天分。

ううん。弱気になるな、私!
彼よりも、一手でも先を読むんだ!!
凡才が天才を一時でも上回るには、もっと努力しないと…!!

彼が指した一手、その盤上の駒の並びに、私は何かが頭を掠めた。
(ここだ!!)
パチン!

勢い余って、派手な音が響き、彼の手が止まった。

「これは…!?」
彼は目を見開く。
私は確かな手応えを感じて、興奮した。

(次はここ!)パチリ。
「…!くっ!!」パチリ。
(次っ!!)パチリ。
駒を取り合い、使い、盤上からまた取られる。
戦いは熾烈を極めた。

「負けないのだよ!」
彼は暫し目を閉じて長考し、パチリと打つ。

そこは…ポイントになる場所。
次に私が指そうとした場所だ。
『くっ…!』

私が唇を噛みしめると、緑間君は小さく笑みを漏らす。

考えろ…考えろ!
今度は、私が長考する。
そこに指された場合、先がどの様に変化するか。
今までの数々の手…感想戦。

稲妻の様に閃く手。

(ここ…っ!!?)
私は、そこに、初勝利への確信を持って、駒を進めようとした。が、一瞬手が鈍る。

…!ここで…もし、勝ってしまったら。
私は、緑間君との勝負が終わり、赤司君への挑戦権をも手に入れる事が出来る。…でも、それは。

緑間君との離別を意味する。

………
私は首を振った。

馬鹿!!何を考えているの、私!?
このチャンスを求めて、今までずっとやって来たんじゃないの?

「苗字先輩…?」
緑間君が心配そうに私の顔を覗き込む。

『緑間…君』

ここで私が、君の事が好きだ、これからも会って欲しい、と言ったら…どんな反応が返ってくるのだろうか?

馬鹿な事を言うな、って怒られるかな?
将棋してる最中に言う事じゃないし、考える事じゃない。

でも…ここで私がこれを指したら、きっと終わってしまう。
賭けに勝ったとしても…恋愛なんて、強制出来るものじゃない。

私は唇を噛みしめた。
そして震える指先で、目指した枡目とは異なる場所に指した。

緑間君は、信じられないものでも見た様に、目を見開いた。
それからは、私はどこを指しても劣勢となり、最後まで挽回する事が出来なかった。

「……俺の勝ち、なのだよ」

緑間君の声が虚ろに響いた。

※※※

私は、彼に背を向けて、帰り支度をしていた。
何だか、後ろめたくて…緑間君の顔が、まともに見れない。

緑間君は、そのまま席を立たなかった。
彼は、ぼそりと呟いた。「感想戦は…しなくていいのですか?」

『…今日は、この後用事があるの。…感想戦する時間はないわ』

「……なんで…っ…!?」
『え?』

緑間君は、私の肩を掴み振り向かせて、乱暴に壁に押し付けた。

「何で、わざと負けた!?」
『緑間君…っ!?』
彼の、初めて見るらしくない程の激しい剣幕に、私は驚いた。

彼の指が、ギリッと私の肩に食い込む。
私は、痛みに顔を顰めた。

「先輩は、あの時、他に指すべき場所が分かっていた筈なのだよ!!
…それで負けたなら、俺は結果を甘受するつもりだった。…なのに、敢えて違う場所にわざと下手を打った!!
何故だ!?…手控えられて俺が勝つ等と…!!!屈辱でしかないのだよ!!!」

『何で緑間君は、私がわざと負けたと思うの!?…あれが私の実力なんでしょ!』

「…本気で、そんな事を言ってるのですか?……俺は、ずっと先輩と指していたのだよ。
ずっと差し向って指していれば、相手の事が分かってくるものなのだよ!!
…先輩も、そうして俺の事を理解してくれてると思っていたのだが…違うのですか?」

緑間君は、私の瞳を覗き込んだ。
秀麗な顔立ち。サラサラの髪。長い睫毛に縁取られた切れ長の目と、澄んだ翡翠色の瞳。

彼は、神に愛された才能の持ち主で、更に磨きをかけ続けている。私には眩し過ぎる存在。

そんな彼に映っているのは、卑小で醜い私。
そうだ。私は自信が無くて…弱くて。
…一生懸命やった時間と努力、緑間君に付き合せた時間も含めて、自分の弱さが全てを駄目にした。

いつも真摯に向き合ってくれる彼に対して、私は、何て事をしてしまったのだろう?
私自身の弱い気持ちが、取り返しのつかない結果を招いてしまった。

彼の悲しみを含んだ、怒りの表情を見つめている内に、後悔の念が湧き上がる。

「これ以上、人事を尽くさない勝負を続けるのなら、やらない方がマシなのだよ。先輩との勝負は、これで終わりだ」
彼は、吐き捨てる様に言って手を離し、私に背を向けた。

終り…!?そんな…っ!

私は、冷酷に突き付けられた一方的な宣言に、打ちのめされた。
勝負に勝ったら、関係が終わると思って手控えてしまったのに、私は一体、何をやっているの?
こんな結果は望んでいなかった。
私は、自分の浅はかさに泣きそうになった。

『…待って!!!』
私は、緑間君に駆け寄り、彼の腕を掴んだ。

「もう、話す事などないのだよ!」
彼は、私の手を振り切ろうとしたが、私は離さなかった。
ここで離したら、もう…二度と彼は戻って来ない。そんな気がして。

『ごめんなさい!!…私、このまま勝って、前に進むのが怖くなったの。それが緑間君を裏切る事になるなんて、考えが及ばなくて…!!
終りだなんて…! もう、二度としないから、チャンスをください!!…お願い…します!』

私は、泣きそうになったが、涙を堪えて、頭を下げた。
ここで私が泣くのは卑怯だ。…私は、これ以上の卑怯者になりたくはなかった。

ここで私がやるべきは、許してもらうまで謝る事。…例え、許して貰えなくても。

「…………」
『…………』

沈黙が重い。
私は、頭を下げ続けていたので、その時の彼の表情は分からなかった。
ただ、頭の上で溜息だけが聞こえた。

そして、彼は低い声で私に告げる。
「先輩が心底悔いているというなら、チャンスをやらない事もないのだよ。
…一度だけだ。その一度で俺に勝って見せろ。それ以外の条件には一切応じないのだよ」

一度だけ。それが私に与えられた最後のチャンス。

私は、顔をゆっくりと上げて彼を見る。
彼は、私を静かに見つめていた。その瞳の奥は微かに揺れていた。

もう…勝っても負けても、それが最後。

私が自ら招いた結果だ。チャンスを一回でも貰えるのは有難かった。
やっぱり、緑間君は優しい。

私は瞑目すると、覚悟を決めて、彼を真直ぐに見て微笑んだ。
『…ありがとう。緑間君』

もう、私は迷わない。
私は彼に深々と頭を下げ、部室を後にした。


page / index

|



ALICE+