苦い夢覚めず
高尾夢 no.10 苦い夢覚めず
家の近所の本屋に寄ったら、やけに見覚えのある雑誌の表紙が目に付いた。
私は思わずそのファッション誌を手に取った。
『涼太君がモデルって、本当だったんだ…』
「お買い上げ、ありがとうッス♪」
『きゃっ!?』
驚いて振り返ったら、帽子を目深に被り、サングラスをかけた涼太君が私の後ろに立っていた。
『涼太君…!? 』
「しーっ」
『あっ、ゴメン!』
「今回はメンズの為のデート特集っス!」
『そうなんだ? 確かに格好いい服ばかりね」
私が雑誌を元の場所に戻そうとしたら、彼が重ねて声をかける。
「お買い上げ、ありがとうっス!」
『…えーっと…?』
「今なら、黄瀬涼太のサイン付きっス!」
『……』
「握手も付けるっス♪」
『……』
「ねっ?」
彼が捨てられた子犬の様な表情でじっと私を見た。
『…う、わ、分かった…』
私はそのままレジに持って行った。
そして購入したそれの表紙に、彼はでかでかと私の名前と彼自身のサインを入れたのだった。
※※※
俺は、やっと名前ちゃんを見付けた。
…見付けたと思ったのに。…彼女の横には他の男が寄り添っていた。
それがよりによって、あの黄瀬涼太。
「別人…の空似…? いや、俺が名前ちゃんを見間違うとかねえよ…!!」
彼女のジャージは誠凜のだった。
誠凜…? 何で誠凜?
ここに来たなら秀徳にしろよ…!
「高尾」
練習中、得意な筈のパスを何度もミスり、宮地さんには怒鳴られて凹んだ俺に、真ちゃんは厳しい声をかけた。
この程度で認めさせてやるとか、ふざけているのか?
とか嫌みを言われるかと構えていた俺に、真ちゃんはハートの付いたピンクのスティッキを寄越した。
魔法少女アニメの変身シーンなどによく出てくるヤツだ。
「何これ?」
「今日の蠍座のラッキーアイテムだ、持っていろ」
「ちょ、わざわざこんなん持って来たのかよww!?」
思わず吹き出してツッコミを入れたら、真ちゃんは顔を真っ赤にして俺を睨んだ。
「お前が調子悪そうだから、持ってきてやったのだよ! 腑抜けたプレーなどされたら、迷惑を蒙るのは俺の方だからな!」
「…は、はは…っ、サンキュ、相棒!」
「俺は腑抜けたプレイする奴を相棒とは認めん。下僕以下なのだよ」
「ひでぇww 名誉挽回してやんよ!」
不思議な事に、かつての倒すべき敵と思っていた男が俺の傍に立ち、不器用ながらに俺を励ましている。
このまま緑間に心配させては男がすたるよな!
俺は、俺を悩ましていた光景を頭から振り払うと、再びボールを追う事に意識を集中させた。
※※※
「また俺の勝ちだ」
「マジかよ、真ちゃん、何か憑いているんじゃねーの!?」
立て続けにじゃんけんに負けた高尾は、不満気に鼻を鳴らした。
「俺は人事を尽くしているだけなのだよ。きょうのラッキーアイテムの…」
「はいはい、じゃ行くよー」
俺は誠凜と新協学園との地区予選を観に来た。
自転車にリヤカーを付け、牽引する自転車を高尾が漕いでいる。
以前、少し変になった高尾だが、今の所は落ち着いている。
会場内に入った俺達は席を確保し、高尾はさっさと飲み物を買いに外に出た。
俺は席に着き、何気なく会場内を見渡した。
「…む?」
ふと準備している誠凜ベンチが目に付いた。
あれは…っ!?
俺の目を釘付けにしたそれ。
あれは、以前俺の前から消え失せ、秀徳で見かけた幽霊の女だ。
「…まさか誠凜に取り憑いていたとはな」
その時、高尾が戻って来た。
「お待たせー。真ちゃん、お汁粉ある自販機が遠くてよー…って、どーした? 難しい顔してよ?」
「いや…幽霊がいたのだよ」
「は!?」
「…今は席を外してるみたいだな」
「幽霊が席外してる!?ってwww真ちゃん面白れーよ!」
「俺が中三の時に会ったのだよ。一回、秀徳にも現れた女の幽霊で…」
「秀徳ってマジ!?」
そう言えば、あの幽霊の探してた家は、確か“高尾”…とか言ってなかったか?
同姓の他人なら良いが…
「高尾、お前中三の時に引っ越しとかしたか?」
高尾は笑い止め、キョトンと目を見開いた。
「えっ!? 俺、真ちゃんにそんな事言ったっけ?」
「…いや。どうだ? 引っ越しは」
「したけど? 真ちゃん時々神懸かっているよな」
「前の家の場所はどこだ!?」
高尾の告げた住所は、正しく彼女と向かった場所だ。
なら、秀徳に現れた幽霊は俺ではなく、高尾が目当てか。
「高尾。これをやるのだよ」
俺は自分用に持っていた魔除けの御守りを高尾にやった。
高尾はしげしげと珍しそうにそれを見ている。
「え? これ、真ちゃん最近肌身離さず持ってる御守りじゃん? 良いの?」
「これが必要なのは俺ではなく、お前の様だからな」
俺の言葉に、高尾はゲラゲラ笑い出した。
全く、笑い事ではないのだよ!
幽霊−苗字が再び姿を見せた。
俺はさり気なく幽霊から見えない様に、高尾をベンチから遮る位置に姿勢を変えた。
高尾からも見えない様にしないと…
この男は、恐ろしく視線の範囲が広い。
だが今の高尾は誠凜のベンチより、相手校の外国人選手に気を取られている様だ。
「ひゃひゃひゃwww あの外人、黒子を持ち上げてんぜwww あれ、あいつの国流の挨拶なのか?www」
「確かセネガル、だったな。そんな挨拶、聞いた事もないのだよ」
「それにしても、あいつ等の身長差、やべぇなw」
「あの高身長で、あの手足の長さ…紫原といい勝負なのだよ」
俺は話しながらも、誠凜のベンチが気になって仕方がなかった。
観察していると、彼女は他のメンバー達と普通に話したりしているようだ。
だが何故、幽霊が誠凜のマネージャーをしているのだよ!?
あの幽霊、俺ともそうだった様に、消えるまでは普通に作業が出来たり、話せたりするらしい。
だから一見普通の人間に見える。
高尾が目当てなら、誠凜ではなく、秀徳に来れば良いものを。
……!!! そうか…!
秀徳は幽霊の正体を知ってる俺がいる。
だから別の近隣のバスケ部のある高校に現れたのか。
これは益々気を付けねばな。
「真ちゃん、何だか落ち着かねーみてーだけど?」
「な、何でもないのだよ…!」
「あ、ホラ始まったぜ」
高尾の声に俺は意識を引き戻し、コートに視線を集中させた。
※※※
「よ、苗字!」
試合が終わった後、私は会場の廊下で降旗君に呼び止められた。
『どうしたの?』
「これ、ありがとな!」
彼が渡してくれたのは、涼太君が表紙の例のファッション誌だった。
降旗君が未告白の片思いの彼女含めてグループで遊びに行く時に、ファッションの参考に貸した物だ。
『わざわざ試合会場まで持って来てくれたの?』
「…実はバッグに入れたまま忘れてて…荷物になっちまうな、ゴメンな?」
『大丈夫よ、これ位なら』
私はそれを受け取り、彼と別れてホールに向かった。
ホールの片隅で、私はそのファッション誌をパラパラと捲った。
買ってから碌に目を通してなかった。
『…デートで彼女の目を釘付けに、か…』
この服、高尾君に似合いそう…
涼太君がスマートに着こなしているその服。
高尾君が着たら、彼の躍動的な魅力を引き立ててくれそうだ。
こんな服を着た彼とデート出来たらいいな。
私はかつて彼と一緒にいた時の事を思い出した。
あの時の思い出が、今の私を支えている。
同じ世界に来れたのに。
近くに来たのに。
私はいつ、高尾君に会えるのだろう?
今度会えた時に、似合いそうな物とかプレゼント出来たらいいな。
私は写真の涼太君を高尾君に見立てて微笑んだ。
※※※
試合観戦が終わり、俺は試合内容を頭の中で反芻しながらトイレから出た。
真ちゃんは先にチャリアカーの前で待ってる筈だ。
最初は何で真ちゃんがあんなに誠凜を気にするのかが分からなかったが、今では俺も興味を覚えていた。
あの黒子…
アイツのポジションは特殊なものだけど、俺のPGと相通じるものがある。
何だか…負けたくねぇって感じ?
上がって来たら秀徳と対峙する事になる。
今ではそれが楽しみだ。
「…ん?」
ふと気が付いたら、辺りがやけに明るい。
まさか…これは。
この現象に思い当たった俺は、慌てて懐を探った。
携帯に付けた水晶の根付けが強く光っていた。
名前ちゃん…!?
近くにいるのか?
俺は辺りを見回し彼女を探した。
意識して鷹の目を解放する。
見付けた…!!
彼女は廊下で、誠凜の選手と親し気に話していた。
俺は彼女に近づき、声をかけようとして躊躇った。
名前ちゃんが最初に、この世界に来た時は、彼女は寄る辺も無く、俺だけが彼女の友人だった。
名前ちゃんは俺を頼るしか無くて、彼女の全てが俺と共にあった。
それが今ではどうだ?
彼女は俺が居なくても、しっかりと自分の居場所を作っている。
…俺なんか、必要としない位に。
この世界に来たかもしれない、と思った時は嬉しかった。
何故だろう?
世界は近付いた筈なのに、距離は遠退いた様に思える。
名前ちゃんは、その選手と少し言葉を交わしただけですぐ分かれ、また歩き出した。
俺は声をかけそびれたまま、何となく彼女を追って歩いた。
…どうした? 全く俺らしくもねぇ。
俺は何を怖れているんだ?
彼女に声をかけても、以前の様に笑ってくれるだろうか?
彼女はそんなに簡単に心変わりする女じゃねーよ。
そう思いつつも、色々な男が彼女の側にいる状態は、正直腹がキリキリする程に不愉快だ。
お願いだから、俺だけを見て。
他の男に心を移さないで。
俺は…きっと、名前ちゃんの事が好きなんだ。
他の女の子とは絶対的に違う。
俺を狂わす事が出来るのは、名前ちゃんだけだ。
今、彼女が俺の部屋にトリップして来たら、閉じ込めて外に出せないかもしれない。
信じていたいと思うのに、不安が急速に俺の心を浸食していく。
彼女の気持ちを信じる以上に、俺がそこまで彼女の心を引き留めておけてるのか…その自信が心許なくて。
「は、はは…これじゃまるでストーカーじゃねぇか…」
どこまで臆病なんだ、俺は!?
これは、ずっと待ち焦がれていた、またとないチャンスじゃねーかよ…!
俺は意を決し、ロビーの片隅で立ち止まった彼女に向かって一歩を踏み出した。
「名前ちゃ……!!?」
俺の言葉は急速に萎んだ。
彼女は微笑んでいた。
その視線や微笑みは俺に向かってはいない。
彼女が向けた視線、それは彼女が手にしていた、黄瀬涼太が表紙の雑誌だ。
途中のページだったが、そのページに何が載っているのか、俺の目にはそれが見えた。
黄瀬…涼太。
そいつは真ちゃんの元チームメイトで…キセキのメンバー。
かつての俺を負かした一人でもある。
彼女はそのページに、まるで愛おしい相手を見る様な視線で優し気な微笑みを送っている。
だがそのページに俺は載ってはいない。
俺はかつて目撃した、黄瀬と彼女が一緒に歩いていた時の事を思い出していた。
胸が…苦しい。
「…ぐっ…名前…っ!」
そりゃねーんじゃねーの!?
俺…こう見えても嫉妬深いんだぜ?
どす黒い気持ちがみるみるうちに俺の心を染め上げていく。
可愛さ余って…ってヤツ?
これ以上そんな彼女を見ていたくなくて、俺はたまらず彼女に駆け寄った。
※※※
一瞬、私は何が起きたのか、分からなかった。
いきなり激しい衝撃に見舞われ、気が付いたら背中を壁に打ち付けていた。
本は荒々しく投げ出され、さっき見ていた涼太君のページが大きく開かれていた。
「…んだよっ…! 何で…っ!!」
やけに聞き覚えのある、泣きそうな声がすぐ傍で聞こえ、驚いて顔を上げたら、私の待ち焦がれていた彼―高尾君が私の手首を捕まえ、壁に押し付けていた。
ずっと会いたかった声。ずっと間近で見たかった顔。
私は血が沸騰し体温が急上昇するのを感じた。
以前から高尾君に会ったら、何て言おうかとずっと考えていた。
でも実際の彼を目にしてしまうと、脳が停止し肝心の言葉は何も出てこない。
やっと絞り出せた言葉はこれだけだ。
『高尾君!? どうして…!?』
「…っ、それ…君が言っちゃう?」
彼は泣いていた。
私は思わず彼の頬を伝った涙に手を伸ばすが、その手は彼自身に振り払われた。
「…っく、」
『高尾…君?』
「名前…っ!」
高尾君はギュッときつく私を抱きしめた。
彼は私の頬に顔を押し付け、温かい涙が私の頬を濡らす。
私も彼の背に手を回そうとしたが、その時。
「おいお前、うちのマネに何やってんだ?」
後ろから不意にかけられた声に、彼はびくりと肩を揺らした。
「おい!?」
「…っ!!」
高尾君は私を突き放すと、全速力で走り去って行った。
「…何だ? あいつ…? おい苗字、大丈夫か?」
『はい、日向先輩』
『高尾、くん…?』
「は? もしかして知り合い?」
どうして…?
彼は何故泣いていたのか、何故、私をいきなり壁に押し付けたのか?
そして彼は…私を抱きしめて―
私は気持ちと頭が混乱したまま、自らの頬に手をやった。
彼の涙が私の指先を濡らす。
まだ手首に掴まれた時の痛みが残っている。
その痛みは、彼の気持ちを表しているのだろうか?
『…高尾、君…』
久しぶりの邂逅だったのに、何故あんなに辛そうだったの?
私…彼に何かしてしまった?
私の問いは答えを得られぬまま、喧噪と呟きの中に消えた。
2017.12.9