夢の欠片
「…はぁ」
俺は一人屋上で、晴れた空を見上げながら溜息を吐いていた。
「くっそー…何でっ…何でなんだよ!?」
俺は懐から携帯を出し、付けていた水晶の根付を外した。
俺と名前ちゃんを繋ぐ大切な物だ。
でも今は、それを見てる事すら辛かった。
いっそ辛いなら…
俺はそれを握り、空に向かって投げ捨てようと腕を振り上げた。
「………っ!」
ダメだ。
どうしても手が離れなかった。
まだ俺は、彼女の事が好きで…みっともなくても諦められない。
俺は、ただ慟哭した。
もう…ダメなのか!? 俺達は…!
(名前ちゃん…っ!)
俺は根付を握り込み、手摺に泣き顔を伏せた。
手の甲を涙が濡らす。
ガサガサと後ろで音がした。
さっき屋上のドアが開いた音がしたから誰かが来たのだろう。
でも俺がこんな事してる所に何で来るかな? 少しは空気を読めっての!
俺は手の甲で涙を拭い、渋々後ろを振り向き―目を剥いた。
「真ちゃん…!? 何でこんな所に!?」
「ふん、昼休みに屋上で弁当を食べに来ただけなのだよ。何が悪いか」
確かに今は昼休み中。
真ちゃんは、俺から2m程後ろに座り込み、弁当を広げていた。
俺はこのエース様の空気の読まなさ加減に呆れたあまり、泣きたい気持ちをどこかにすっ飛ばしてしまった。
真ちゃんは卵焼きを口に放り込んで咀嚼した。
「昨日帰る時から様子がおかしかったな。道を間違えたり赤信号を渡ろうとしたり。…最も、高尾はいつもどこか可笑しいが」
「ひでぇよ、真ちゃん!」
「ふん、巻き込まれる俺はいい迷惑なのだよ。だが、話位は聞いてやらんでもない。嫌なら別に構わんが俺に迷惑はかけるな」
「真ちゃん…」
いつもながら酷い言い草だが、これでも慰めてくれてるのだ。ツンデレ万歳!
俺は真ちゃんの前に座った。
お弁当の匂いに釣られて、俺は不意に自らの空腹に気が付いた。
俺は弁当を教室に置きっ放しだ。
真ちゃんのおかんって、いつも思うけど料理上手だな。
この唐揚げ、うめぇ。
「あっ!? こら、何勝手に食べているのだよ!?」
「ゴメン、凄くお腹減ってた。後で俺のメンチカツあげっからさ」
「全く…!」
俺はぽつぽつと話し出した。
誰かに聞いて欲しかった、この俺の気持ち。
真ちゃんは顔を顰めたまま、黙ってただ聞いてくれた。
俺はその根付を取り出した。
「一緒に買ったんだ、これ。もう失恋してるの明らかだからさ…捨てようと思ったけど、どうしても捨てらんねーんだ。見てるのも辛れーんだけど…まだ俺―」
「根付か。以前時々光る、とか言ってたな」
「そうだ! これ、預かっててくんねー?」
「…は?」
「もう少し俺がこれを平静に見れる様になるまででいいからさ」
「ふん、仕方ないのだよ。気持ちが納まるまでなら預かってやる」
それを手放す時、俺は一瞬躊躇して手を止めた。
本当に俺は…彼女を諦めていいのか?
でも俺は、いつまでもここに留まっている訳にはいかねーんだ。
俺は決心する様に固く目を瞑り、それを真ちゃんの掌に落とし込んだ。
※※※
(…んだよっ…! 何で…っ!!)
あれから高尾君の声と泣き顔が頭を離れない。
ずっと会いたくてこの世界に来た。
この世界でも中々会えなくてずっと彼を探していた。
何故彼は泣いていたの?
私はあれから怖くてずっと秀徳に行く事が出来なかったけど、あんなに泣いていた彼をそのままに出来ない。
部活休みの日に私はなけなしの勇気を振り絞り、放課後秀徳高校に足を向けた。
秀徳バスケ部は部活中らしい。私は校門の柱に寄りかかりひたすら待つ。
体育館に行ったら、きっとまたあの怖い人に追い出される。
ましてや今の私は誠凛高校バスケ部のマネージャーだ。
誠凛高校と秀徳高校はこのまま勝ち上がれば、対戦校同士。
スパイと疑われても弁解出来ない立場だ。
下校する生徒達がチラチラと他校の制服姿の私に目をやっている。
居心地の悪さに私は首を竦めた。
何となく…以前迷い込んだ帝光中の登校風景を思い出すな…
あの時の絶望と今の困惑は全く種類が違う。
でも高尾君に会った時は何て声をかければいいのだろう?
結局私は、まだこの世界で迷子のまま…
私は時間潰しの為の文庫本を捲ったが、目は字を追っても上滑りするだけで、全然頭に入って来なかった。
長くも短くも思える時間が延々と過ぎ、空は闇色に染まり星が瞬き始めた頃、聞き覚えのある話声が聞こえて来た。
「でも真ちゃん、それってどうなのよ? 今日の蟹座のラッキーアイテムは良いけどさ…なんつーか、有難味がねーつーかさ」
「問題は入れ物ではない、中身なのだよ。それに間違えて飲まれでもしたら困る」
「いや、そりゃ分かりやすいよ? でもさ」
私はその声に釣られて校門の前に出た。
彼らは私の姿を見て二人同時に足を止めた。
高尾君と緑間君だ。
「なっ…!?? 名前ちゃ…!??」
高尾君は驚き硬直した様に動かない。
その前に立ちはだかったのは、長身の緑間君。
彼らの経緯を知っている私には、それは不思議な光景だ。
かつてのライバルと仲良く下校しているなんて。
緑間君は鞄の他に透明な液体の入ったペットボトルを持っていた。
そのペットボトルにはラベルは無く、太く黒々と「聖水」と書かれていた。
『高尾君…っ! 私、』
「何…しに、来たの?」
『…え?』
私は緑間君の後ろにいる高尾君に懸命に話しかけようとした。
だけど高尾君は私と目を合せてくれない。
私の不安が急速に膨れていく。
やはり…何か彼は怒っている。…私に。
…どうして…? 私ずっと探していたのに…
そんな気持ちは声にならず、息をやっと絞り出せただけだった。
私は彼らの前で立ち竦んだ。
「やはり取り憑いていたか」
低い緑間君の声が耳朶を打つと同時に
「悪霊退散っ!!」
パシャッ!
『きゃっ!? 冷たっ!?』
私は緑間君にペットボトルの水をかけられた。
髪や服が濡れ、雫が滴る。
「ちょ、真ちゃんっ!?」
ショックで頭の中が真っ白になった。
私―水かけられる程、嫌われていたんだ。
高尾君と私は一瞬目が合ったけど、彼は固い青ざめた表情のまま動かなかった。
もう―ダメだ。
私は身を翻し、そこから逃げ出した。
※※※
「名前ちゃんっ!!」
彼女が背を向けて逃げ出す。
俺は気が付いたら彼女の名を呼び、追いかけようとしたが、手首を緑間に掴まれた。
「真ちゃん! 何もあそこまでしなくても…っ!!」
「やはり聖水が効いたようだな」
「何言っちゃってんのっ!?」
「お前は悪霊に騙されているのだよ」
「いや、名前ちゃんは悪霊なんかじゃねーから!」
「聖水が効いたのが何よりの証拠なのだよ」
「誰だっていきなり水ぶっかけられたら吃驚すんだろーがっ!?」
俺が真ちゃんと揉めている間に彼女の姿は消えていた。
※※※
「おい、苗字!!」
いきなり目の前にレポート用紙を突き付けられ、私は我に返った。
今は三時間目の休み時間。私は休みに入った事も気付かず、ぼんやりと席に座っていた。
『火神君』
「何ボーっとしてんだ? これ買い出しメモだとさ。カントクが放課後買って来てくれって」
『…あ、うん。分かった』
「大丈夫ですか? 苗字さん」
黒子君が私をじっと見つめている。
『え? 別にどこも具合悪いとか無いよ?』
「そうですか。いつもより元気が無い様に思えたもので」
元気…が無い?
あれから私は、いつもと変りなく振る舞う様にしていたが、秀徳での一件が心に重くのしかかっていた。
バスケ部は、これからまだまだインターハイ予選を勝ち上がって行かなければならない。
自分の個人的な事情で周りの足を引っ張ってはいけない。
私はぎこちなく微笑んだ。
『大丈夫だよ? ちょっと寝不足なだけ』
「寝不足ですか? 試合前の火神君みたいですね」
「おいっ! 黒子っ!!」
私が彼らのいつもの掛け合いで笑っていたら、火神君が銀紙に包まれた丸い塊を一つ、渡してくれた。
『…これは?』
「早弁用のお握り。一つやる。食え」
『えっ!? でもこれは火神君のでしょ?』
「俺のは他に9個ある。足りなくなった分は購買でパンでも買うぜ」
『そんな…火神君のお昼なのに』
「昼用には別に弁当を作った」
そのお弁当って相当大きかった筈。
火神君はもう一つの銀色の包みを取り出した。
「どれだけ食べるつもりですか? 君は?」
呆れた黒子君の声を聞きながら、私はお握りの包みを開けて一口頬張った。
お握りは作り手を彷彿とさせる位大きく、私はそれを両手で抱えた。
『…美味しい』
休み時間だけど、早弁なんて初めてだ。
そのお握りを食べていると、力が湧いて来る様な気がした。
※※※
誠凛は順調に勝ち上がっていった。
次は四戦目。
会場はマンモス校の体育館で広く、客席まで設えてある。
更にコートは二つあるので、別の対戦校同士の試合まで同時開催される。
何故か腰の引けている明常学院を瞬殺し試合が終わった頃、隣のコートの選手達が入ってきた。
「東の王者、秀徳高校だ」
部員達の騒めきに、私はビクリと肩を震わせた。
私は咄嗟に選手達の後ろに身を隠した。
「何やってんだ? おめー」
『…あ、いやちょっと苦手な人達が』
びくつく私の頭を火神君はぐしゃぐしゃと、やや乱暴に撫で回した。
「同じ高校生同士だろ、あんなん別に怖がるこたねーよ。それよりも苗字、太いペン貸してくれ」
『え? 油性ペンならあるけど?』
「それでいいぜ。ちょっと一年同士挨拶に行って来るっスわ」
「ああ…あ゛!? オイ!!」
日向先輩が止める間もなく、火神君は緑間君の前に行った。
「よう。お前が緑間真太郎…だろ?」
「…そうだが。誰なのだよ君は?」
彼らの近くに高尾君もいるが、私は怖くて高尾君の顔を見る事が出来ないでいた。
「大丈夫ですか? 苗字さん」
耳元で柔らかい声が囁く。
『…黒子君』
「すみません、顔色が悪くて震えているみたいだから気になりました」
『ゴメンね。心配させちゃって』
「仲間を心配するのは当たり前です。手を貸してください」
『手…? これでいいの?』
「はい」
黒子君は私の手を優しく握った。
『……!』
「こうすれば、少しは落ち着くと思います」
『あ、ありがとう』
その時、刺す様な視線を感じて私は顔を上げた。
高尾君が鋭く私達を見ている。
高尾…君?
火神君は握手かと差し出した緑間君の手に、さっき貸したペンで何やら書き込んでいた。
緑間君は唖然としている。
「フツーに名乗ってもいかにも「覚えない」とか言いそうな面してるからなオマエ。先輩達のリベンジの相手にはキッチリ覚えてもらわねーと」
だからって他人の手に名前書くなよ…あれなら水性にしてあげれば良かったな。
緑間君の表情が怒ってる。
「…フン。リベンジ? 随分と無謀な事を言うのだな」
「あ?」
高尾君が割って入って来た。
彼の声が私には酷く冷たく聞こえた。
「誠凛さんでしょ? てかその先輩から何も聞いてねーの?
誠凛は去年、決勝リーグで三大王者全てにトリプルスコアでズタズタにされたんだぜ?」
「息巻くのは勝手だが、彼我の差は圧倒的なのだよ。仮に決勝で当たっても歴史は繰り返されるだけだ」
その時、緑間君の持っていた熊のぬいぐるみが落ちた。
「…落ちましたよ」
黒子君はぬいぐるみを緑間君に手渡す。
「過去の結果で出来るのは予想までです。勝負はやってみなければ分からないと思います。緑間君」
高尾君と緑間君は秀徳高校で私は誠凛高校…
ここで彼等の話す言葉は私を刺し貫く。
高尾君と私は敵同士なんだ。
だから…冷たくされたの?
何故…私は高尾君の横にいられないのだろう?
高尾君が…今の私をどう思っているのか…訊くのが怖い。
高尾君は黒子君の肩をガッシと組んだ。
「…いやー言うね! あれっしょ? 君、真ちゃんの同中っしょ?
気にすんなよ。アイツ、ツンデレだから! ホントは超注目してんだぜ〜!?」
「いつも適当な事言うな高尾」
秀徳の先輩に窘められた二人は話を切り上げ戻っていく。
緑間君が振り返りざまに黒子君に声をかける。
「…黒子、見ておけ。お前の考えがどれだけ甘ったるいか教えてやろう」
※※※
真ちゃんは今日は占いが悪いとかで出たがらなかったくせに、スタートから出す様に大坪先輩に頼んでいた。
旧友に会ってテンション上がったんだろ? と揶揄うと的外れとか否定したけど、俺は分かってんだぜ?
「真ちゃんが出るなら、俺も出ねー訳にはいかねーっすよ!」
俺も先輩に頼んで真ちゃんと一緒に出させてもらった。
真ちゃんの我儘一日三回に便乗しちゃったけど、まぁいいや。
名前ちゃんが見ている。
俺以外の男には目もくれない様に、良いとこ見せてやんよ。
見てろよ、名前…!
俺は真ちゃんに続いて力強くコートに足を踏み入れた。
2018.04.21