夢みたいな話をしよう





 萩原に導かれ、名前は校庭の隅のベンチに腰を下ろしていた。隣に座る萩原は、長い足を組んで春の空を仰いでいる。何も言わず。穏やかな空気で。

 さわり、さわり。風が揺れる。
 桜の花びらが、どこかから足元へと舞い落ちた。踵のあたりで風にゆるりと踊る花弁を見ていると、自然と唇が動いていた。


「⋯⋯萩くん。ごめんね」
「いーや、別に。けど俺はありがとうの方が嬉しいなー」
「⋯⋯ふふ、ありがとう」


 さわり、さわり。風が撫でる。
 それに促されるように、名前は口を開く。ぽつりと落ちたのは「⋯⋯陣平くん、と」という呟きで、萩原は静かに耳を傾けた。


「うん。喧嘩でもした?」
「ううん。喧嘩だったら、よかったのになあ⋯⋯」


 じわりと滲み、頬を伝う。もう名前はそれを厭わなかったし、萩原もただ、その美しい雫を見守った。


「⋯⋯名前ちゃんは、松田が好きなんだな」


 こくり。ちいさく頷く。
 初めて他人に心を話した。陣平のことが、好きだと。友達にも打ち明けた事のない気持ちに、今初めて、他人の前で頷いてみせた。

 陣平のことを珍しく「松田」と呼んだ萩原の声は、穏やかさの中に真摯な友情を孕んでいる。


「聞かなきゃよかったのに、気になって聞いちゃったの。好きな人いるの? って。告白する勇気も振られる覚悟もないくせに、聞いちゃった」


 何を期待していたのだろう。
 好きなのは名前だ、という返答しか受け入れられないくせに、自分の気持ちも明かさず、勝手に傷付いた気になっている。

 そんな自分を目の当たりにして、名前は己の未熟さに打ちひしがれた。


「陣平くん、好きな人いるんだって。わたしには関係ないんだから、つまらないこと聞くなって。⋯⋯なんでちゃんと言わなかったんだろう、自分の気持ち。もう言えなくなっちゃった⋯⋯いや、聞かなきゃよかった、が正しいのかな⋯⋯」


 今の名前に、想いを伝える勇気があるだろうか。そう自問してみる。答えは否、だ。わざわざ陣平の気持ちを確認してしまった時点で答えは明白だ。

 そんな自分に、真正面から想いを伝える事が出来るとは、残念ながら思えない。


「いやでも⋯⋯伝える前に玉砕するっていうのも情けなさ過ぎ⋯⋯」
「なあ名前ちゃん、」
「それなのに一丁前にショック受けて⋯⋯恥ずかしい」
「名前ちゃん。ちょーっとストップ」


 ずっと名前の話に耳を傾けてくれていた萩原だったが、次第にヒートアップしていくその様子に、どうどう、と声が掛かる。


「あ⋯⋯ごめん、一方的に」
「いやそれはいいんだけど、なんか曲解してる気がしてさ。ちゃんと整理しようぜ。陣平ちゃんが言ったのか? 他に好きなヤツがいるって」
「誰、とは教えてくれなかったけど⋯⋯でも話の流れ的にそういうことでしょ?」
「んーーー、どうだろうねえ」


 曖昧にはぐらかした萩原は、心の中で毒づく。何やってんだよ、陣平ちゃんのバーーーカ、と。


「それは俺の口からは言えないけど、でも、知っといて欲しいんだ」
「?」
「あいつさあ、陣平ちゃん、超ーーーーー不器用なんだぜ。対人関係が。手先はあんなに器用なくせして、笑っちゃうよな」
「⋯⋯?」
「あー、だから何が言いたいかっつーと、陣平ちゃんの言った“関係ない”って、名前ちゃんが考えてるような“関係ない”じゃないと思うぜ」
「──⋯⋯?」


 陣平と長い付き合いの萩原が言う事だ。きっと、彼の言っている事のほうが陣平の真意に近いのだろう。

 しかし名前には分からない。他にどんな“関係ない”が存在するというのか。


「捻くれた男心だからなあ、理解出来なくてもそれは陣平ちゃんのせいだけど⋯⋯これまでの陣平ちゃんのこと、よく思い出してやってくれよ」
「⋯⋯」


 名前は束の間、唇を僅かにだけ開いた。

 出逢った日のこと。屋上の入り口の前で迫られたこと。お弁当を美味いと言ってくれたこと。抱きしめてくれた日のこと。膝に頭を預けたこと。毛布の中で肩を寄せ、くだらない事で喧嘩をしては笑い合った。

 そのひとつひとつが、鋭利に刺さる。胸の真ん中に、抜けないほどに深く。

 これで他に好きな人がいる、だなんて。そんなの。


「⋯⋯ずるい。バカ。陣平くんのバカ」


 ぼたぼたと涙を落としながら悪態をつく名前を見て、萩原は呆れと困惑の溜め息を吐いた。

 陣平ちゃんだけじゃねえな。名前ちゃんも、相当不器用だぜ、これ。

 しかし萩原の口から陣平の気持ちを言うわけにもいかず、ちいさく震えるその肩に、ただそっと手を添えた。



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