夢みたいな話をしよう





 桜が舞っていた。
 道の両脇に並ぶ桃色が、ひらりひらりと落ちてくる。ゆっくりと。不規則に。束の間、美しいと思った。淡い青空に溶けゆくような桜色。

 しかし如何せん量が多い。こんなに降ってこられては邪魔以外の何物でもない。しっし! と降り頻る桜を追い払っていると、隣を歩いていた男の指が徐に伸びてきた。


「陣平ちゃん、乗ってる」
「あ?」
「桜の花びらが、さ。男前だねえー」
「は? 何言ってんだお前」


 松田陣平は呆れた顔で隣の男、萩原研二を見遣った。陣平の頭に乗っていた花びらを摘み、萩原は笑んでみせる。よくもまあ恥ずかしげもなく、言外に“君は桜が似合うね”なんて伝えられるものだ。

 陣平は思う。
 こいつのこういうところに、女は弱えんだろうな、と。


「お、見えてきたな、我らが新校舎。高校生活楽しみだなー、陣平ちゃん」


 高校生活の幕開けの日。陣平は萩原と肩を並べ、校門を潜った。玄関前にはクラス名簿が貼り出されていて、その前に机がふたつ。そこに二人の生徒──男女一人ずつだ──が腰掛けていた。彼らの腕章に記されているのは「生徒会」の文字。なるほど彼らが案内をしてくれているようである。


「おはようございまーす! 入学おめでとう! ここでお名前教えてね」


 そのうちの一人、女子生徒のほうが声をかけてくる。にこやかに名前を告げる萩原とは対照的に、ぶっきらぼうに名乗る陣平。その名前を男子生徒のほうが名簿にチェックしクラス分けを確認、そして教室までの移動の仕方を説明。その間に女子生徒が新入生にコサージュを着けてくれるという流れのようだった。

 まずは萩原へ、白くて細い指が花を添える。俯いた瞬間に、はらり、彼女が耳に掛けていた髪束が落ちる。綺麗な髪だった。

 そんなことを思っていた、その時だ。


「あれ? 俺たち、どこかで会ったことありません?」


 萩原だった。コサージュを着けてもらっていた萩原が、女子生徒に声をかけたのだ。


「え? 会ったこと⋯⋯?」


 彼女の顔が上がり、じいっと萩原を見上げる。それから小首を傾げ斜め上へと視線を向け記憶を漁る彼女は、「お名前なんだっけ⋯⋯そう、萩原研二くん⋯⋯中学どこ?」などと萩原の思惑にまんまと乗せられていて、陣平はつい口を挟んだ。


「オイオイ、こんな分かり易いナンパに引っかかんなよ、生徒会の名が泣くぜ」
「ナン⋯⋯っえ?!」


 彼女の瞳が陣平を捉える。心底驚いた表情だった。隣の萩原からは「陣平ちゃ〜〜ん、余計なこと言うなよ」と小突かれる。

 これをぱちくりと見ていた彼女は漸く状況を理解したのか、一拍置いてから心底楽しそうに笑った。

 まるで春みたいな。笑顔だった。


「あははっ、やだ、入学初日でそんなことしてるの? 大変な三年間になりそうだねえ」
「いやー、先輩可愛いからつい声かけちゃいました。あとで連絡先教えてください」
「ふふ、萩原くんて可笑しいね。はい、次は君の番」


 先程落ちた髪を耳に掛けてから、彼女は陣平にコサージュを着ける。何だか妙に小っ恥ずかしく、陣平は仏頂面でそっぽを向き後頭部をがしがしと掻いた。気恥ずかしさをカモフラージュしたかったせいか動きが大振りになってしまい、連動して胸郭が大きく動く。


「わっ、急に動いたら──」
「いでっ?!」


 まるで漫画のようだった。
 弾みでコサージュの針が制服を抜け、陣平の胸にちくりと刺さったのだ。刹那、彼女は「うわあ! ごめん! 刺しちゃった!」と慌てふためき、萩原は腹を抱えて笑い出す。


「テメェこら何してくれんだ⋯⋯」
「だ、だって急に動くんだもん⋯⋯でもホントにごめん⋯⋯血出てない? 平気?」
「んなヤワじゃねえけどよ⋯⋯」


 会話の合間に萩原の笑い声。「あーウケる、先輩最高っす。ね、名前教えてくださいよ」「苗字名前だけど⋯⋯今のでウケることある⋯⋯?」とまんまと名前を聞き出されていて、刺されたことよりも、目の前のやり取りに何故か無性に腹が立った。

 腹が立ったから、陣平は「おいあんた」と声を掛ける。


「ナンパされてる場合じゃねえし。俺まだ許してねーぞ」
「え⋯⋯」
「けど、今後の高校生活で俺が一人で静かに昼寝できる場所見繕ってくれりゃあ、許してやらんこともない」
「⋯⋯え?」


 思えばこの時。
 名前の瞳に捉えられたとき。名前の笑顔を見たとき。名前に胸を刺されたとき。

 運命は、ゆっくりと動き出していたのかもしれない。