蒲公英に結わう





 どう、して、名前が。

 突然の邂逅に、陣平は傍目にも分かりやすく硬直した。何か言わなければと思うのに、そう思えば思うほど言葉が出てこない。

 名前に対して持っていた心は、二十二になった陣平にとっても依然大き過ぎるし、名前と会わなくなってから流れた時間も、長過ぎる。

 一体、何を言えばいい。

 そうして口籠り硬直する陣平とは対照的に、名前は飛ぶように駆け寄ってきた。


「うっわー陣平くん! 久しぶり! 元気? ねえ元気?」


 あの頃と変わらぬ笑顔とぬくもりが、手の届くところに駆けて来て。それだけに飽き足らずきゃんきゃんわふわふと尻尾を振るものだから、緊張し張り詰めていた陣平の力が一気に抜ける。


「⋯⋯何だかなあ。気抜けるわ」
「あれ、何だか⋯⋯元気じゃなさそう⋯⋯」


 緊張がぷつりと途切れてしまったせいで、会うのは随分と久しぶりだというのに、いつも通りのぶっきらぼうな──そして照れ隠しの──言葉が出てしまう。


「うっせーな元気だよ」
「ふふ、よかった。わたしも元気! 陣平くん、何だか大人っぽくなったねえ」
「馬鹿言ってんな、そりゃお前──」


 お前の方だろ。
 そんな滅多なことを言い掛けた、その時だ。

 陣平の背後から、「あっれー?!」とおおきな声。勿論その声は萩原のもので、陣平を押し潰す勢いでやってきては、実際に陣平の頭を押し潰しながら食い入るように名前を見下ろす。


「名前ちゃんじゃん! いやー、べっぴんさんに磨きがかかって! 何してんの!」
「うわあ萩くん?! きゃあ久しぶり!」


 最早抱擁し合う勢いで両手を広げる二人の間に、萩原の下を素早く抜け出した陣平がむくれ面で身体を捩じ込む。


「はーなーれーろ!」
「何だよー、いいじゃん、こういうのは勢いなんだから。羨ましかったら陣平ちゃんもすりゃいいだろ」
「いや断る。つーかお前らはそれでいーかもしんねえけど⋯⋯見てみろよ、あっちもこっちも困惑してんぞ」


 陣平に親指で「ほれ」と示され、名前と萩原が揃って前後左右を見回す。

 名前の後ろでは名前の連れが。萩原の後ろでは降谷、諸伏──伊達は、どうやら先に帰ったらしい──が。それぞれがそれぞれの面持ちで成り行きを見守っていた。

 その中で、ひとり。陣平の瞳が素早く一人の人物を捉える。

 初対面にも関わらず、陣平と萩原のことを品定めでもするかのような、敵対視でもするかのような。そんな視線を向けている男。それだけでピンときた。先程の会話。「あんたは名前に気があるだけでしょ」の“あんた”が、十中八九この男だ。

 そう認識した途端、陣平の中でどす黒い感情が首を擡げ、膨れ上がる。信じ難い速度で存在を増すそれに、陣平はたじろいだ。

 ──何だってんだ。

 一体何年経ったと思っている。あの日々はもう終わっだのだ。

 確かに、思い出しては胸が疼いた日もある。切なさに蹲りかけた日もある。それでも最後に屋上で交した想いだけを握りしめて、諦めながら、言い聞かせながら生きてきた。そうするうちに、名前との日々を“切ない思い出”としてあしらう術だって身につけた。

 あの日から今日まで、名前にも、そして陣平にも、それぞれの人生があった。陣平だって歳相応の恋愛経験をしてきたし、きっと名前だってそうだ。今だって名前には恋人がいるかもしれない。

 陣平は名前にとって、ただの過去に過ぎない。陣平だって、名前のことを。好き“だった”と言える。はずなのだ。

 だというのに、胸に蠢くこの感情は何だ。一体どの立場でこんな気持ちを抱いている。

 こんな感情を持て余している自分に、陣平は辟易した。マジかよ、と極々ちいさな自嘲が零れていた。

 これが、かつて好きだった人物に偶然出逢った時に、多くの人間に見られる正常範囲内の反応なのか。それとも、見ないふりをして、気が付かないふりをして、心のずっと奥に押し込めていたものが顔を出したのか。陣平は掴みかねる。把握出来ない自身の心情に手こずる。

 一方で名前と萩原は、そんな陣平を他所に暢気に互いの仲間を紹介し始めていた。


「悪い悪い、久々だったもんで勝手に盛り上がっちまってたな。名前ちゃん、こいつらは今いる警察学校の同期なんだ。結構規律厳しいんだけど、今日はたまたま飯食いに出ててさー」
「警察学校⋯⋯? って、警察官になる学校?」
「そーそー」


 萩原の同意を確認してから、名前は陣平を見る。その顔に「てことは陣平くんも警察官になるの⋯⋯? 陣平くんが⋯⋯?」と書いてあって、陣平は思わず口を開く。


「んだよ悪いかよ」
「あはっ、まだ何も言ってないじゃない」


 名前の顔が綻ぶ。
 大人っぽく、そして綺麗になっていたと思っていた顔が、ころころとした笑い声とともに幼く綻ぶ。

 ──笑顔はあの頃のままだ。

 胸があたたかく満たされる。この感覚には覚えがあった。ああ、そうだ、これは。初めて名前と出逢った時に抱いたものと同じだ。

 まるで春みたいな笑顔だ、と。


「こっちはわたしの職場の⋯⋯あ、わたし病院で働いてるんだけど、そこの同期と、社会人になりたてほやほやの後輩トリオです!」
「へえ、病院」


 そんでトリオのうちの一人が入職早々名前に気があるってワケね。と、またしてもどの立場だ、という目線で名前の連れを見回す。

 後に萩原に聞いた話では、「あの時の陣平ちゃんときたら、まるで狼だったぜ。いつでも喉笛掻き切ってやるって顔で名前ちゃんの連れ睨み付けてさ。実際何人かは後退ってたし」だったそうだが、そんなのは知ったことではない。陣平としてはただ連れの奴らを見ていただけだ。