蒲公英に結わう





「ところで名前ちゃん達はこの後どーすんの?」
「解散だって。萩くん達は?」


 名前の言葉に、萩原が素早く背後を振り返る。「もう一軒行く」と言っていた降谷、諸伏へ目配せをすると、彼らは「構わないよ」と頷いた。それを確認し、萩原は砕けた笑顔を名前に向ける。


「俺らはもう一軒行くかって話してたとこ。せっかくだし名前ちゃんも来ねえ? 色々話したいしさ」
「え、いいの? 行く!」


 ぱあっと顔を輝かせ、意気揚々と名前の手が上がる。そこには一瞬の躊躇いもなくて、そのことが陣平と萩原を嬉しくさせた。

 名前がくるりと身体の向きを変える。背後に控えていた同僚たちへ、名前はひとつ敬礼をした。その姿勢の良いことといったら警察官見習いである陣平たちですら感心してしまうほどであったし、さっきからの妙に元気な態度といい、同僚の「あんたは飲み過ぎ!」という台詞といい。

 たぶん、きっと、少し酔っている。のだろう。


「じゃあわたしはここで。萩くんたちと飲んできます! また月曜日にね! 達者で!」


 ぶんぶん。敬礼していた手で、今度はおおきく手を振っている。同僚一同がぽかんと名前を見遣る中、一人の男だけが、焦りと怒りを含んだような面持ちで名前に近付いてくる。一歩、二歩と。名前との距離を詰め、ついには右へ左へと振っていた名前の手を、その男がぱしりと握った。


「ちょ⋯⋯っと、待ってください」
「⋯⋯? どうしたの?」
「苗字さん、今日は帰りましょう。結構飲んでますし、俺、送りますから」
「ん、明日も休みだし大丈夫だよ、ケチんないでちゃんとタクシーで帰るし。それに⋯⋯」


 掴まれている腕を気にした素振りは一切見せずに、名前は萩原、そして陣平へと視線を移した。


「こんなところで会えると思ってなかった。もう会えないと思ってたの。⋯⋯このままばいばいなんて出来ないよ」
「で、も! 俺が行ってほしくないんです」
「⋯⋯?」


 名前は困ったように首を傾げる。それでも男には退く気はないようだった。

 ともすれば無理にでも名前を引っ張って行ってしまいそうな男の腕を、──がしり。今度は別の男の手が掴む。


「その辺にしとけよ。本人が来たいって言ってんだ。見苦しいぜ」


 陣平だった。

 傍目にも分かるほどミシミシと男の腕を握り、しかしあくまでも表情は平然と。片方の手をポケットに突っ込みながら、静かに男を見据える。

 数秒、静かな火花が散って。

 男はゆっくり名前の手を離し、それから陣平の手を振り払った。いまいち状況を掴めていなさそうな名前だけが、男をにこにこと見上げる。


「心配してくれてありがとね」
「⋯⋯いえ。気をつけてくださいね」
「うん」


 心配、か。陣平は声に出さず呟く。
 男の心配は、名前を案じて、というよりも、名前に新たな男の影がちらつくのを恐れて、だろう。この数分のやり取りだけで、男が随分と名前に惚れ込んでいることが分かる。まあ気の毒なことに、当の名前には伝わっていなさそうであるが。

 陣平は小さく息を吐いた。
 名前はこれでいて、結構無意識に残酷だ。

 そんな名前は改めて「じゃあ! 行ってきます!」と軽く手を挙げた。同僚のうちの一人──声音からして「あんたはもう飲み過ぎ!」の人物だ──が、それに答える。


「うん、行っといで。きっと大切な人達なんでしょ。後輩はあたしがどっか連れてくわ」
「うん」
「でもあんま飲み過ぎないでよ、一定量超えるとすぐ寝ちゃうんだからね名前は!」
「了解であります!」


 本日二度目の敬礼をして。名前は今度こそ萩原と陣平の間に並んだ。


「行って良いって。やったあ、嬉しい」
「ん、よかった。俺も嬉しいなー」
「でも他の人は大丈夫かな。急にわたし参加しちゃっても」
「ぜーんぜん問題ナシ! むしろ喜ぶぜ、ヤローばっかでむさ苦しかったしさ。むしろ名前ちゃんはアイツらいても平気? アレなら二手に別れるけど」
「うん大丈夫! わたしいま誰とでもすごく話せる気がする!」
「ハハ、ちょっと酔ってんだろ、名前ちゃん」


 とても数年ぶりとは思えぬ仲睦まじさで、名前と萩原は、待っている諸伏と降谷のところへ向かう。陣平はそれを、少し後方から見ていた。

 こうして見ると、名前と萩原はどこか雰囲気が似ているように思う。やわらかくて。人の懐にころりと入り込むような。

 ──⋯⋯ああ、戻ってきたな。

 二人の後ろ姿を見ていると唐突にそんな台詞が浮かんで、陣平は首を捻る。

 一体何が。一体誰が。一体何処に、戻ってきたというのだろう。


「──⋯⋯」


 繁華街の中を夜風が吹く。陣平の髪が、綿毛のようにふわふわと揺れた。