灯火を織る人





「陣平くーん、電話鳴ってるよー」
「おー、放っとけー」
「でも三回目ー!」


 ベッドの脇に落ちていた携帯を拾い上げ、名前が声を上げた。
 
 最近ドライヤーがなんだか調子悪くて、と何の気なしに呟いたのが発端だった。見るまに陣平の顔がそわそわと輝き出し、忽ちテーブルの上で解体されてしまった。目も当てられない姿に変貌してしまったドライヤーを、名前はぽかんと見下ろしていた。

 何故こんなに工具を持ち歩いているのか、とか。いやそもそもどこに隠し持っていたのか、とか。結構高いドライヤーだったんだけど元の姿に戻るのかな、とか。突っ込みたいところは多々あるのだが、それよりもその手捌きに感心してしまう。

 いつか萩原が言っていた。「陣平ちゃん、こういうの昔から得意っすからねえ」を目の当たりしたのだ。

 そして楽しそうに手を動かす陣平ときたら、一向に着信を気にしない。まあ気にしない。一回目はさておき、二回目、三回目まで無視となると、いよいよ名前の方が気になってしまう。

 短時間でこれだけ掛かってくるのだ。何かしらの緊急事態ということだって有り得る。故に発信者の確認だけでもした方がいいのでは、と名前が携帯を取りに行き、陣平のところまで運んできたわけである。

 そうして着信を奏でる画面を面倒くさそうに見た陣平は、「萩かよ。うるせーな」と躊躇なく通話終了ボタンを押した。
 

「あっ、切った!」
「いーんだよ、俺は今こいつの相手してんだ」


 こいつとは勿論、目の前に散らばるドライヤーだったものだ。

 本当にこういうの好きなんだな、と呆れ半分に思っていると、今度はピリリと先程よりも少し高い着信音が響く。名前の携帯の音だ。

  
「あはは、陣平くんが出ないからこっちに掛かってきたよ。これは⋯⋯一緒にいるのバレてるね、きっと」


 高校時代に交換したままの萩原の電話番号が表示されている携帯。その通話ボタンを押そうとする名前を陣平が止めた。

 
「出なくていーって」
「そんなわけには。こんなに掛かってくるんだから大事な用事なんだよ、きっと。⋯⋯はーい、もしもし、萩くん?」 
「名前ちゃーん、そこに陣平ちゃんいる? よな?」


 答えた萩原の声に緊迫感はない。超緊急の案件ではなさそうで、ひとまず胸を撫で下ろす。

 
「うん、いる、ドライヤー解体してる」
「はあ? イチャイチャしてねえの?」
「いちゃ⋯⋯っ?!」
「まったく陣平ちゃんは⋯⋯まあいいや、代わってー」
「う、うん」


 陣平の耳に携帯を近付ける。視線は解体作業中の手元から寸分も動かさず、陣平は「何だよ? 萩」とぶっきらぼうに言った。


「陣平ちゃん、どうよ? 調子は」
「おー、絶好調だぜ。もうすぐ直りそう」
「誰がドライヤーの心配してんだよ」


 名前には詳細までは聞こえなかったが、どうやら電話の向こうでは萩原が笑っているようだ。
 
 
「名前ちゃんと一旦何とかなったんならさ、そろそろ戻って来いよ。ちょろまかすっつっても限界はあるぞ」
「やっべ、忘れてた、俺今寮生活じゃねえか」
「おーおーなんだ? 幸せボケか? 戻って来たら聞かせろよな」
「何もねえよ、話すことなんて」
「まったまたー。じゃ、待ってるからな」


 通話が切れたらしき携帯を陣平が放る。それをキャッチした名前は、会話の端々から何となくを察知し、「そろそろ帰んなきゃなんだね」と口にする。


「完全に忘れてたぜ⋯⋯けどもうちょいで⋯⋯よし、直った!」
「すごーい! ありがとう!」
 

 すっかり元通りのかたちになり、かつ内部で鳴っていたカラカラという異様な音も聞こえなくなったドライヤーを受け取る。陣平は広げていた工具を手早く片付けてから、名前を隣に座るように促した。
 
 
「よし名前、作戦会議だ」
「らじゃ! ⋯⋯って、何の作戦会議?」
「お前⋯⋯何でもかんでも乗っとけばいーってもんじゃねえぞ」
「ふふ、だってその方が楽しいじゃない」


 笑いながら腰を下ろす。刹那、肩に陣平の腕が回りぐっと引き寄せられる。自然と陣平の肩口に頭を寄せる体勢になった。
 
 
「今後の作戦会議に決まってるだろ。なんせ俺は今、警察学校っつー監獄にいてだな」
「ふふ、うん」
「平日は携帯使えねえ。決められた時間に公衆電話だ。外泊も基本彼女んちは駄目だ、今回はレアケース」
「か⋯⋯のじょ」
「⋯⋯何?」
「わたし、陣平くんの彼女?」
「はあ⋯⋯?! すっとぼけたこと言ってっと怒るぞ?!」
「あは、もう怒ってるってば」


 そうか。彼女なのか。
 その事実を言葉で確認し、改めて感慨に浸る。
 
 多くの間違いを犯してきた。たくさん傷付けた。もう叶わないと思っていた。けれど。この奇跡のような再会を、大切に抱えて生きていきたい。

 頭を乗せていた陣平の肩に、すり、と頬擦りをする。名前を抱く陣平の腕に軽く力が込められたのが分かった。


「だから警察学校を卒業するまでは、会えんのは週末くらいになっちまう」
「そっかあ⋯⋯大変なところで頑張ってるんだね、陣平くん」
「せっかく、こう、アレなのに⋯⋯悪いな」
「あはは」
「何笑ってんだよ」
「ううん、嬉しくて。あと何か可愛くて」
「お前なあ。可愛いなんて言われても嬉しかねーぞ」
「ふふ」


 この先の日々を考える。
 現代社会において携帯電話を用いたコミュニケーションは欠かせないものだ。名前も例外なくそれを用いた生活を送っている。なかなか同じ時間を過ごせない恋人達にとっても、その恩恵は大きいところであろう。

 それが、ほぼ使えないという。

 ある程度の関係を積み上げているならともかく、付き合い初めの環境としては、なかなかどうして。様々なものが試される。


「でもまあわたしも仕事があるし、同じようなものだよね。昨日までは五年間連絡取ってなかったわけだし⋯⋯ね、週末に都合合えばお出掛けしようね! うちでまったりしてもいいし」
「⋯⋯ああ、そうだな」


 陣平の力がふっと緩まる。陣平もこれでいて緊張していたのかもしれない。

 その緊張、分かるよ。

 そんな意を込めもう一度頬を擦りつける。
 名前とて同じなのだ。長年離れていた。環境も中身も移ろっている。それでもここから新たな関係を築き始めたいと願った名前たちの間には、特有の高揚と不安と緊張とが漂っている。

 名前も、同じだ。
 

「じゃ、そろそろ帰るわ。トイレ借りるぞ」
「うん」


 陣平が部屋を出たところで、ピリリ、と音。また萩原だろうかと携帯を手に取ると、そこには後輩の名が表示されていた。何も考えずに電話に出る。