「陣平ちゃーん、おっ帰りー」
「おう。色々悪かったな」
「お土産話でいーってことよ」
「だからねーよ、んなもん。代わりに今度飯奢るわ。じゃ」
片手をひらひら。折角出迎えてくれた萩原に肩越しに手を上げ、すたこらさっさと自室に向かう。萩原はそんな陣平を追い掛け「こらこら」と肩を組んだ。
「またそうやってすぐ照れちゃって」
「あ?」
「そんなに名前ちゃんとおんなじ匂いで帰ってきたの恥ずかしいか?」
「なっ、はあ?!」
思わず自分の二の腕を鼻に近付ける。
確かに一晩を名前の家で明かした。朝風呂もついうっかり楽しんだ。使用したシャンプーやボディーソープも勿論名前のものだ。しかし、だからといって。この短髪に顔を埋めたわけでもあるまいに、この距離で、こんな一瞬で、分かるものだろうか。
そう考え自身を嗅ぐ陣平に、萩原がにっかりと笑む。
「はは、やーい引っ掛かってやんの」
「は⋯⋯」
「まあこうして嗅げば確かに名前ちゃんと同じだけど。もう一緒に風呂入ったのかよ?」
「違えし嗅ぐな離れろ!」
「へいへい。けどさ陣平ちゃん、皆心配してたんだぜ。何も話さないなんてそりゃねえだろー」
萩原の言葉に押し黙る。陣平とて話すつもりが無いわけではないのだ、決して。しかしどうにも小っ恥ずかしい。大学生の頃のように「あー、彼女出来たわ」と何も考えず適当に口にする事が出来ない。
やや暫く口を噤んでから、漸く唇を開く。
「⋯⋯付き合うことになった。名前と」
ぽかりとひと間。萩原が理解するまでの空白が挟まる。それから瞬く間にぱあっと顔を輝かせ、「うっわ! マジで?!」と興奮しながらバッシバッシと陣平の背を叩いてくる。
「痛って⋯⋯おい萩、いてーって!」
「いやー、良かった良かった! そーか、あの数時間でそこまで⋯⋯俺が思ってたよりあの頃から好きだったんだな、お互い。じゃなきゃこうはなんねえもんな」
「⋯⋯」
肩を組んだまま隣を歩く萩原は、いつかの日々を思い返すように束の間虚空を眺めた。それから再度陣平を見遣る。
「ほんとさ、頼むから名前ちゃんのこと送るだけ送って帰ってきたりすんなよ、って俺ら全員で念送った甲斐あったなー」
「なんつーものを送ってんだよコラ」
さっき名前がやたら俺の周り手で払ってたけど、その念が纏わり付いてたからなんじゃねえの。と毒吐いていると、談話室の前に差し掛かる。
そこに恰も陣平と萩原を待ってました、というように伊達、諸伏、降谷の三名が集まっているのを認めた瞬間、自ずと「げ」と声が漏れていた。萩原に余計な事を言われることを危惧してのものだったが、その期待通り、止める間もなく萩原が「おい聞けよお前ら! 陣平ちゃんたち付き合うことになったって!」と盛大にバラしてくれる。
「萩お前、デリカシーとかねえのかよ」
「俺と陣平ちゃんの間にそんなのあったか?」
などと言い合っている間にも、「本当か?!」「よかったな、松田」「俺のいねえ間に随分楽しかったみてえじゃねえか」と口々に言葉が飛んでくる。
自分の事のように喜んでくれる諸伏、降谷とは対照的に、昨夜あの場にいなかった伊達はこの事を非常に楽しんでいるようだった。悪戯を覚えたばかりのような表情で笑いながら問うてくる。
「聞いたぜー? お前送り狼になったんだって?」
「はぁ?! どいつもこいつも⋯⋯だから違えって」
「え? 違えの?」
驚いたように問うたのは萩原だ。
それも仕方のないことではある。意中の女の家で一夜を明かし、陣平には似つかわしくないフローラルな匂いを纏って帰寮し、しかもその女とは付き合うことになったという。酒も入っていたし、男女のあれこれがあったと考える方が自然な流れなのかもしれない。無論、陣平が萩原たちの立場であれば「あー、ヤッたんだな」と当たり前のように思う。
昨日今日で手ぇ出さなかったのでマジ尊敬するぜ⋯⋯と自分へ惜しみのない賞賛を送りつつ、口を開く。
「違うっつの。あいつは⋯⋯大事にしてえんだよ」
「陣平ちゃん⋯⋯いつの間にか大人になって⋯⋯」
わざとらしくじーんと感慨に浸る萩原の頭をはたいてから、「⋯⋯オメーらにも今度飯奢るから、今は少し休ませてくれ。寝てねーんだよ」と今度こそ踵を返す。「⋯⋯松田、寝ないで我慢してたんだな」と笑う諸伏の声だけが背を追ってきたが、呼び止められはしなかった。
自室へと向かう道すがら、今しがた言葉となって落ちた気持ちが陣平の心を満たしていた。
──大事にしてえんだよ。
大事にしたいのではない。大事にするのだ。あの笑顔がずっと、隣にあるように。