灯火を織る人





「⋯⋯っ、ん、ぅ」


 雪崩込みながらも唇が塞がれる。陣平に覆い被さられるだけで、既に身体中がぐずぐずと疼く。真上から落ちてくる口付けを受け止めながら、この先に待ち受けるのであろう情事を思い描く。

 思い描いて、名前ははっと目を見開いた。まだ伝えていない事があった。陣平とて知っておいた方がいいと思われる事だ。慌てて陣平の胸を軽く叩き、唇を解放してもらう。

 首を傾げる陣平を見上げると、キスで艶やかに濡れた唇が目に入る。思えばまだ日も沈んでいない時間帯だ。警察学校に通っている間は一緒に長い夜を過ごすことが出来ないとはいえ、初めての逢瀬が日のもとというのも気恥ずかしい。何せ名前にとっては、陣平が初体験である。まあだからといって“今”以外の選択肢を選ぶことにはならないのだが、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。


「あっ、あの、一応言っておいた方がいいかもだから言わせて!」
「何だよ。言っとくけど、今更待てっつーのはちとキツイぜ? まあ名前が待てっつーんならいつまでも待つけどよ⋯⋯」


 陣平は名前の顳顬を撫でながら些か唇を尖らせた。
 
 ずっとこの時を待っていた。
 
 何度も名前を抱く事を考えては、己の欲を己で発散させていた。そうでもしなければ名前を壊してしまいそうで、嫌われてしまいそうで、下手に手を出してしまわぬよう敢えて自宅以外でのデートを提案していたまである。

 だから、名前が待って欲しいと言うのであれば勿論待つが、出来ればお預けはご容赦を、というのが陣平の本音である。

 
「あ、違くて、わたし、その⋯⋯」
「?」
「⋯⋯初めてなの」
「⋯⋯は、何が?」
「こ、こういうことするのが! 一応陣平くんも知ってた方がいいかと思って! お好みじゃなかったらごめん! ⋯⋯それだけ!」


 言うだけ言って、名前はその身に掛布を被ってしまった。ベッドの上にあったタオルケットを、頭から。すっぽりと。

 名前の形に膨れた布を見下ろす陣平を、驚きと嬉しさが支配する。

 名前と陣平が再会したあの日。萩原たちと飲みながら、「これまでに付き合ったこと? ⋯⋯あるよ」と答えた名前の声。その時陣平は思ったのだ。名前を抱いてきた男たち全員を殴ってやりたいと。名前に関する記憶が無くなるくらい、殴ってやりたいと思ったのだ。

 ──まだ恋人にもなっていなかったくせに。
 

「だってお前⋯⋯彼氏いたんだろ?」
「うん、でも出来なかったの。なんか身体が⋯⋯いや、心が、なのかな」
「⋯⋯?」
「陣平くんじゃなきゃ、だめだったの」


 掛布の中でくぐもった名前の声が、静かに陣平に届く。
 
 ちく。たく。時計がひっそりと時を進める。束の間秒針の音を聞いて、それから陣平はくつくつと肩を揺らし出す。なんて可愛いのだろう。なんて愛おしいのだろう。

 こんなにも胸を締め付けられ、そのくせ不思議と笑みが零れる愛おしさというものを、陣平は知らない。知らなかった。

 ぽふ、と布の上から名前の頭を撫でる。


「ほら出て来い」
「だって⋯⋯恥ずかしい」
「ほら、名前」
「うー⋯⋯」
「名前」


 そのやわらかな声に愛で包まれた心地がして、名前は目だけを覗かせる。気付けば「未経験の女の子、嫌じゃない?」と問うていた。
 
 
「バァーカ、嬉しいに決まってんだろ。今までお前に触った男達のこと、全員殴り飛ばしたいって思ってたくれーなんだから」
「え⋯⋯そう、なの?」
「⋯⋯そうなの、じゃねえよ。そんぐれえ好きなんだって。クソ恥ずいこと言わせんな、ったく」
 

 決まり悪そうに視線を逸らす陣平を見て、名前はおずおずと掛布を取る。その口元では唇が隠し切れない弧を描いていた。
 

「⋯⋯んだよ、その顔は」
「ふふ、ううん、何でもなーい」


 名前を見下ろす陣平の頬を撫でる。
 以前にどこかで、処女を相手にするのは面倒だ、という台詞を聞いたことがある。それが記憶に残っていたからこそ先の問いが口を衝いたわけだが、陣平は「嬉しい」と言い切ってくれた。

 
「初めてを陣平くんにもらってもらえて、わたしも嬉しい」


 こつり。
 目を細める名前の額に、陣平の額がこつりと重なる。

 
「⋯⋯優しくする、から。いや、極めて努める⋯⋯っす」
「ふふ」


 はにかむように笑った名前がやけに可愛くて、陣平は顔を離して側頭部をがしがしと掻いた。

 
「あー、こんなん優しくなんて出来っかなー⋯⋯」

 
 先程のキスで既に勃ち上がっている物に意識を向け、陣平はひとりごちた。