「あれ、部品足んねえじゃん。これで全部か?」
「うん、全部持ってきてる。きっとどっか行っちゃったんだね。それがないと直んない?」
「そうだな、要のパーツだし」
「そっかあ⋯⋯じゃあ諦めるしかないね」
しょぼり。名前の肩が落ちる。まるで幼子のようだった。その光景に、名前も顔も知らぬ名前の弟の姿が重なる。そしてそれは、陣平の良心を刺激した。
「⋯⋯なあ、これ一日預かってもいいか?」
「預かる⋯⋯って?」
「ウチに代用できそうな部品あるから、直しといてやるよ」
「ほ、ほんと? いいの? 直せるの?」
「ああ、こんなもんちょちょいのちょいだぜ」
「わーい! 陣平くんすごい! ありがとう!」
名前が手を広げて喜ぶ。その姿がまた、重なる。直った玩具を手にして喜ぶ名前の弟の姿に。
何故だろう。胸のあたりが、妙に擽ったい。自分の胸なのに自分のものではないみたいで、陣平はむすりと自分の胸を見下ろす。
「ほんとにありがとう。今度陣平くんの好きなおかずたくさん入れてくるね」
「お、気が利くねー、サンキュ⋯⋯って、あれ、何、弁当って名前が作ってんの?」
「うん、お父さんが必要な日についでに一緒に作ってるだけだけど。うち父子家庭なの」
「⋯⋯ふーん」
返答までに挟まった絶妙な間には、「母親は?」という誰しもが抱く疑問が、隠しきれずに含まれていた。
名前も心得ている。
気になるけれど聞くに聞けない。なんて声をかけたらいいか分からない。そんな葛藤を抱かせてしまう前に、自分からさらっと話してしまうのだ。
そうすれば、相手に変な気を遣わせなくて済む。
──というのは建前で、こうしておけば不用意に自分が傷付かずに済むということを、名前は学んでいる。
「お母さんはね、二年前に病気で」
「⋯⋯そーか」
「だから結構色々作れるんだよー、何がいい? コロッケ? 肉巻き?」
「⋯⋯この間の唐揚げ超うまかった」
「唐揚げね! 承知した!」
次のお弁当は木曜日だったかなあ、と指を折って思い返している名前を、陣平はまじまじと見る。
「お前⋯⋯アホそうに見えてすげえんだな」
「あはは、すごくないよ、簡単なのばっかりだし。そして陣平くんは一言余計です」
“アホ”呼ばわりに言及した名前だったが、陣平は露ほども気にした素振りを見せずに続けた。
「いや、簡単とかそういうことじゃなくて」
「?」
「⋯⋯頑張ってんだな、名前」
ぽす、と乗ったのは陣平の手。
そう認識できるまでに数秒を要してしまった。
そして認識してしまったが最後、頭の上に不意に乗ったそのあたたかさに、どうしようもなく涙腺が刺激されてしまって。名前は慌てて瞬く。
しかし、くしゃりと。撫で撫でのおまけまで付いてきて、名前は「ふふ、やだ、目からなんか出てきちゃった」と頬を拭う。
「⋯⋯これだけで出て来ちまうとか、お前頑張り過ぎなんだよ。もっと力抜け」
「大丈夫だよ、陣平くんが急に優しくするからびっくりしちゃっただけ」
そうだ、いつも我儘で意地悪ばかりで。それなのに急にこんなふうに優しいところを見せるから。驚きすぎて涙が出ただけだ。
言い聞かす名前の鼻頭を、陣平の手がむぎゅりと摘む。春にどこかで見た光景である。
「バァーカ! 何強がってんだ。名前、辛いとき家でちゃんと泣けてねーんだろ。ここでも意地張っててどーするよ」
「い⋯⋯っ、いひゃい⋯⋯」
陣平くん、さては本気で摘んでるな?! と心の中で叫びながら、陣平の言葉を反芻する。
⋯⋯だって、泣けないよ。
母を亡くした痛みは癒えることを知らない。それでも父は悲しみを抱いたまま懸命に働いてくれているし、まだちいさい弟は日々成長していく。名前が。名前だけが。泣くわけにはいかない。
泣くわけに、いかないのに。
「あれ、な、んで⋯⋯」
泣いてはいけないと思うほど、涙が零れ落ちてくる。ぽろぽろと。頬を転がり落ちては、スカートを濡らしていく。
思わず顔を覆った名前の背に、陣平の手が回る。その感覚に名前の身体がぴくりと反応する。しかしそれに構わず、陣平は名前の体躯を抱き寄せた。
「⋯⋯しゃーねえ、今日は特別に俺の胸貸してやるよ。いっつも屋上使わせてもらってるしな」
「⋯⋯っ、」
はじめて包まれた男の子の身体。名前を包めるほどおおきくて、頼もしくて、安心感に満ちていて。名前よりもゆっくりと刻む鼓動に、閉じ込めていた心が否応なく溢れてくる。
生きていてほしかった。家族みんなで過ごす普通が、ずっと普通であってほしかった。何も悪いことなどしていないのに、何故わたしたちだったのだろう。
それ以来、家事や弟のお世話に費える時間は、かつては自分のためだけのものだった。時折それを惜しく思ってしまって、そしてそんな事を思ってしまう自分が心底嫌いだった。
本当は、もうずっと、ぐちゃぐちゃの心を抱えているのだ。
ひと度溢れてしまった涙は止めどなく、陣平は名前の涙が止まるまで「おー、泣け泣け、泣いとけ」と名前を抱きしめてくれていた。