日々を紡ぐと何になる





 それから、陣平は頻繁に名前の家に出入りするようになった。名前としては嬉しい限りであるし、いっそのことこのまま住み着いてくれれば、いや、なんなら広い家に引っ越して一緒に暮らせたらどんなに良いか⋯⋯なんて思っていたりするのだが、それを口にするのは躊躇われた。

 陣平が変わった理由は、十中八九、萩原のことがあったからだ。自分のためなのか。名前のためなのか。無意識なのか。定かではない。が、少なくとも、ぽっかりと空いてしまった心を何かで埋めようとしていることだけは、確かであると思う。

 そしてもうひとつ。

 恐れているようなのだ。まるで名前が萩原のようにいなくなってしまうことを。それを裏付けるように、仕事終わりに名前の家に来ては、名前がいることを確認して溜め息を吐く。夜勤明けには、近くのネットカフェで仮眠を取り、名前の職場まで迎えに来る。

 恐れているなんて、そんなの──名前の方なのに。

 萩原と同じ仕事をしている陣平にこそ、同じ運命が訪れてしまう可能性が高いはずなのだ。名前の方こそ、陣平の顔を見るたびに、声を聞くたびに、安堵している。

 故に、躊躇われるのだ。

 互いにそんな状況である時に、将来を左右しかねない提案──名前には、同棲というのは結婚を前提にした男女がするものという先入観がある──をしても良いのかと。

 しかしその迷いとは裏腹に、一緒に暮らしたいという気持ちだけが日毎、ひとりでに大きくなっていく。

 この矛盾した胸のうちを、名前は上手く処理出来ずにいた。


 
 ──以上のことを掻い摘み、名前は都に相談していた。休日のショッピングモールの一角、全国チェーンのカフェで一息ついていた時のことだった。


「一緒に住みたいから住むでいいじゃん」
「ええ⋯⋯そう?」


 あっさりと言い切った都を、名前は拍子抜けした表情で見る。

 
「そうそう。私も彼氏とほぼ一緒に住んでるけど、結婚の話とかしたことないよ」
「! そうなんだ」
「お互い頭のどこかでは考えてるんだろうけど、まだタイミングじゃないのかなって。勿論それを前提に同棲する人達も沢山いるんだろうけどね。婚約したからって上手くいくってもんでもないし、駄目になったらなったでなんとかなるんだから。お互い社会人だし、別れた瞬間に路頭に迷うわけでもあるまいし」
「そっかあ⋯⋯わたし考え過ぎ?」
「あ、ううん、全然、そういうことじゃないの。私みたいに考える人間もいるってことだね」
「うん」
「でも話を聞いた限りでは、言ってみたら良いんじゃないかなと思うよ。何となくだけど、名前の彼氏も名前と似たようなこと考えてそうだから」
「⋯⋯」


 ズ、とグラスの底でストローが音を立てる。アイスカフェモカが無くなった音だ。

 ──そうだと良いな、と思う。

 陣平も同じことを考えてくれていたら、どんなにか嬉しい事だろう。そうであれば、こうして悩んでいた時間も可愛いものに思えるのに。

 怖いのは、陣平がこういったことを微塵も考えておらず、名前ばかりが空回りしていた場合だ。

 この恐怖も恐らくは、名前を躊躇させる一因となっているのだろう。


「ありがとう、都。話聞いてくれて」
「ううん、なんもだよ」
「わたしきっと、話すと思う。陣平くんに」
「うん。──さ、次は下着見に行くよ! すっっっごいやつ!」
「よーし! すっっっごいやつ!」


 これは先日、ロッカールームで帰りがけにした約束である。それを都が律儀に覚えており、名前もそれならばと腹を括ってショッピングに繰り出てきた。

 ──はずだったのだが、勇んで踏み入ったランジェリーショップで、名前は顔をこれまでになく真っ赤にしていた。

 
「ひいっ⋯⋯あ、あいてる! 大事なところに穴あいてるよ⋯⋯!」
「すっっっごいのって言ったらやっぱオープンショーツでしょ。うわあ、いい感じにエッチだねえ」
「ちょっ、流石に、色んな意味で待って⋯⋯陣平くんに見せれないよお⋯⋯せめて紐に⋯⋯」
「うん、勿論紐は可愛いから買いな。⋯⋯で、それじゃあこれは私からのプレゼントってことで。絶対可愛いし絶対似合うから大丈夫!」
「な、何が大丈夫なの?!」
「何でもよ。それにどーーーしても着るの無理だったら飾っておけばいいしさ」
「どこに?!」
「そんなのそのへんに。あ、いっそのこと着て帰っちゃえば?」
「いっそのことって?!」


 などと言い合いながら、結局「着てるうちに抵抗感なくなるかもしれないしさ」と良く分からぬ論理を展開する都と、そして参戦してきた店員の笑顔に負け、心許ない下着を纏い帰路を辿る事になったのだった。







「あれっ? 陣平くん?!」
「おー、おかえり」


 自宅玄関に並んでいた男物の革靴を目にした名前は、その目を丸くした。

 陣平には、合鍵を渡してあった。
 
 ネットカフェで身体を休めるくらいなら名前宅で横になって欲しいとの気持ちからだったが、合鍵が使われたのは今回が初めてだ。

 陣平がいることに驚く名前に、「悪い、連絡は入れといたんだけどよ」と陣平が謝る。名前は慌てて携帯を確認した。

  
「わ、ほんとだ。ごめんね、わたし今日都とお買い物行ってて気付かなくて⋯⋯待たせちゃったね」
「いや全然。見てみろよ俺のこの体たらく」
「ふふ。お寛ぎいただけて良かったです」


 既にスウェットに着替えソファに横たわっている陣平のもとに、上着を脱いで寄る。陣平が横向きになってくれたので、腹部のあたりに出来たスペースにちょこりと腰を掛ける。


「世間は休日なのにお仕事お疲れ様。夜ご飯食べた?」
「おう、ここ来る途中で済ませた。お前は楽しめたか?」
「うん! 戦利品もたくさん──」


 と思わず口にしかけて、慌てて口籠る。

 
「? 何買ったんだ?」
「その、お化粧品と、服などを!」
「?」


 しどろもどろに答えた名前の視線が、自身の身体をなぞるように不自然に動く。その事に気が付かない陣平ではない。第六感とでも言おうか。無性に“そこ”に“何か”が隠れている気がして、名前が着ていたオーバーサイズのニットワンピの裾をぐいっと捲ってみる。

 その刹那のことだった。


「きゃーー!!! 陣平くんのえっち!」


 素晴らしい反射速度で飛び上がった名前は、今しがた陣平が捲った裾を懸命に引っ張っている。その反応に陣平の唇は、意地が悪く且つ楽しげな弧を描いた。その服の下に何かを隠していること間違い無しである。

 陣平の中で期待と、そして僅かばかりの不安──陣平の知らぬキスマークが付いているとか──が頭を擡げる。


「えっちってお前⋯⋯おら、来い」
「やっ! やだ!」
「んでだよ」
「何でも! だめなの!」
「見ーせーろー」
「やっ、まっ、いや〜〜〜!」


 ぐ、と陣平に手首を引かれ、抗うことも出来ず雪崩落ちるようにソファに組み敷かれる。頭の上で両手を纏められ、それを陣平の片手がいとも容易く固定する。そしてもう片方の手が、──ワンピースの裾を躊躇なく捲り上げた。