日々を紡ぐと何になる





 陣平は焦っていた。

 無駄にカオスとなった事態をやっとの思いで収集させ、すぐに名前を探した。店内全域を歩き回り、席を間違えたフリをして全ての席の暖簾を上げた。勿論名前達の席にも行ったのだが、この時名前は既に店外に出ており、加えて顔を見知っている都は通路に背を向けていたため、陣平は気付くことが出来なかった。その途中、何度も電話をしたが名前が出ることはなく、名前から連絡が来ることもない。


「どこ行きやがったあいつ⋯⋯」


 焦燥が募る。一刻も早く名前と話して誤解を解かなければならないのに。その姿が、見つからないのだ。手掛かりさえ掴めないのだ。
 
 店内は探した。あとはトイレに長時間篭っていたり、厨房に隠れてでもいない限り、名前はもうこの店にはいないということになる。
 
 こうなったら名前が行きそうな場所を潰しながら家に向かうしかないか。と、出口へ早足で向かう。途中、視界の隅に映った陣平達のテーブル。そこに居座っている女達は、陣平がどんな色仕掛けにも、どんなに一時的な火遊びにも乗ってこないと分かるや否や、一気に興味を失ったようで、陣平が居なくなっても微動だにせず、今なおこの会を楽しんでいるようだった。

 マジで来るんじゃなかったな。舌打ちと共に口の中で呟いて、店を出る。その、刹那のことだった。

 陣平と入れ違いになるように店に入ろうとした男。すれ違いざまに互いの顔を認識した瞬間、陣平はその男に大声で詰め寄っていた。


「ッお前、名前の職場の──名前は?!」


 和泉だった。
 名前と別れたのち店に戻ってきた和泉が、陣平と出くわしたのだ。

 陣平を認めた途端に酷い渋面を作った和泉は、陣平の横柄な態度や言葉遣いに更に顔を顰め、「⋯⋯何で苗字さん、こんなヤツのこと⋯⋯」と呟いた。

 その聞き捨てならない言葉に、陣平の怒りスイッチが入る。只でさえ苛立っている感情が逆撫でされる。


「あ? オイ、今何つったよ」
「聞こえてただろ。何で苗字さんはアンタみたいなヤツと付き合ってるんだろうな、って言ったんだ。苗字さんがいながら他の女寄せ付けて、あんなに⋯⋯あんなに、苗字さんのこと泣かせて⋯⋯」


 和泉の心を占めたのは、悔しさだった。
 何故、陣平なのだろう。何故、自分ではないのだろう。自分なら、名前をあんなふうに傷付けたり泣かせたりなんて、絶対にしないのに。

 あまりにも歯痒く、苦しい。
 
 そうしてきつく手を握り締めている和泉を見て、陣平は束の間、口を閉ざす。

 名前が泣いていたということも。それを和泉が知っているということも。名前が今回のことを和泉に話したということも。全ての事実に頬を打たれる。名前を守る側ではなく傷付ける側にいる自分を客観視させられ、そんな自分に失望する。

 加えて和泉のこの様子。やはり、名前に気があることは間違いない。そんな相手に名前を縋らせてしまう状況を作ってしまった自分を、とことん恨んだ。
 

「テメーやっぱ名前のこと⋯⋯」
「当たり前だろ。あんな女の子が目の前にいて、好きにならずにいられるわけないじゃないか。それに、彼氏はとんだ人でなしときた。チャンスがあれば手だって出すさ」
「──ッお前、名前に何しやがった! 名前はどこだ!」


 ダンッ! という鈍い音。直後、和泉が痛みに眉を寄せる。陣平に襟元を掴まれ、背を壁に打ち付けられていた。先程名前と話していた際に凭れていた、店先の壁だった。

 数秒、血みどろな視線が交わって。和泉は溜め息を吐き、襟を掴み上げている陣平の手首を払う。
 
  
「何もしてないって⋯⋯いちいち喧嘩っ早いやつだな。⋯⋯苗字さんなら、(俺の)知らない男についてったよ」
「⋯⋯⋯⋯は?」


 随分と間の抜けた、阿呆な声だった。
 知らない男について行った、だと? まさか、陣平が浮気をしていると勘違いした名前が「わたしもそこらへんの人と浮気してやる!」などとは言うまいし。和泉のこの落ち着きようも合点がいかない。だが、“知らない男”とは一体。その単語の持つ不穏な雰囲気が、陣平の心をざわつかせる。
 
 
「知らない男って誰だよ⋯⋯何してんだよお前!」
「だから誰なのかは知らないし、そもそも苗字さんが自分からついて行ったんだって。危険はなさそうだったし、アンタのことも知ってるふうだったけど。⋯⋯てか“何してんだよ”はこっちの台詞だっての」


 都度、陣平の自責の念に拍車を掛けてくる和泉の言葉に言い返したくなる気持ちを、ぐっと堪える。──いや、違う。言い返したいのだが、言い返せないのだ。全ては陣平のせいなのだ。そう言われると、正論過ぎて何も言い返すことが出来ない。

 苦虫を噛み潰す心地で、問う。

 
「⋯⋯そいつ、どんなヤツだった。場所は」
「これ以上教える義理はないね。何で俺がアンタの手助けしなきゃなんないんだ」
「⋯⋯ああ、そりゃそーだ」


 最も過ぎる和泉の言い分に思わず頷いてしまう。それもそうだ。破局こそ望めど、関係の修復など欠片も望みはしないだろう。

 故に、これ以上の情報は期待出来ない。

 しかし幸いにも、先程和泉は口を滑らせた。「アンタのことも知ってるふうだったけど」と。陣平と名前、共通の友人は非常に限られている。その情報さえあれば、辿り着くのも容易いはずだ。

 和泉も陣平がこれ以上は問い質してこないと分かったのか、早々と店内に足を向けている。その背に向かって、一言。


「あいつは、渡さねえよ」
「⋯⋯言ってろ」


 格好悪い捨て台詞を吐いて、和泉の姿を見送ることもせず、繁華街の雑踏へと足を踏み入れる。ポケットから携帯を取り出す。伊達。降谷。諸伏。名前が警戒心を持たずついて行くような共通の男友達など、この三人くらいだ。順番に掛けていけばすぐに居場所が分かるはずだ、とボタンを押そうとした、その時だ。

 手の中の携帯を震わせるバイブレーション。それと共に画面に表示された発信者の名。陣平はすぐに通話ボタンを押し、耳に当てる。


「ああ、松田。俺だけど」
「──諸伏」


 その穏やかな声が届いた瞬間、図らずも安堵の溜め息が漏れていた。電話の向こうは車で移動でもしているのだろう。諸伏の声の奥で、無機質な機械音が鳴っている。

 
「迷惑かけて悪い」
「ん? なんだ、もう事情は把握済みか?」
「いーや、ちっとも。あとで一から説明願いたいね。それより名前は?」
「大丈夫。寝てるよ、可愛い寝顔で」
「オイ⋯⋯オメーまでそんなこと言ってくれるなよな⋯⋯」
「ははっ、何だ、随分参ってるのか?」


 可笑しそうに笑いながらも、そこには陣平を慮る優しさが滲んでいた。ああ、諸伏が一緒にいるなら安心だ、と荒れていた心が徐々に凪いでいく。
 

「⋯⋯お前、任務中だったんじゃねえの」
「ああ。任務のことは大丈夫だ。それより、名前ちゃんタクシー乗った瞬間寝ちゃったからさ、家の場所聞けなかったんだ。俺の今の拠点が近くだったから、取り敢えずそこに向かってたんだけど──ああ、もう着くな。どうする? このまま松田達の家まで送るか?」
「いや、お前さえ良ければそこで休ませてやってくれ。その方が早く名前と話せる。すぐ迎えに行くからよ」
「分かった。携帯に情報送っておくよ」
「ああ、恩に着るぜ」


 電話を切りながら、陣平の横を通り過ぎようとしていたヘッドライトを止める。後部座席に乗り込み、名前のもとへと急いだ。



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