日々を紡ぐと何になる





「まだ電車あるね。駅まで少し歩こうか」
「ああ」


 諸伏と別れてから自然と繋がれていた手は、五指が交互に絡んでいる。安心する。落ち着く。陣平がちゃんと、ここにいてくれているのだと。

 にぎにぎと手に力を込めては抜き、陣平の手の感触を確かめていると、ふと周囲の景色に違和感を覚える。


「あれ、駅ってこっちの通りだっけ?」
「違えけどいーんだよ、こっちで。お前明日休みだろ?」
「⋯⋯? うん、土曜日だから」


 小首を傾げつつ頷いた名前の手を、陣平が導くように引く。もしかするとこの方角に店でもあって、名前と飲み直しでもするつもりなのだろうか。恐らくは和泉との間に起こったことを聞きたいはずであるし、陣平も話したいことがまだあるだろうし。

 そう思い込み陣平に従っていると、視界が先程よりも更に見慣れぬ雰囲気に包まれる。独特の空気感とでも言おうか。普段の生活では何となく意識の外に追いやっている感覚を不思議に思い周囲を見回すのと、陣平が足を止めたのがほぼ同時だった。

 目の前の建物を見上げて、刹那。掠れた喉の音と共に、名前は息を呑む。

 
「じ、陣平くん⋯⋯?」
「何」
「な、何って⋯⋯ここは⋯⋯?」
「ラブホ」
「らっ、ぶ⋯⋯や、あの、それは知ってるんだけど⋯⋯」


 名前は頬を一気に朱に染めて目を伏せた。ここがどういう場所なのか、来たことのない名前とて知ってはいる。知ってはいるのだが。
 
 
「色んなことあったからよ⋯⋯名前のこと抱きたくて仕方ねえんだよ。家までなんて待てねえ。駄目か?」
「だ、だめかって、そんな」


 シメにラーメンでも食ってかねえ? くらいのノリで問う陣平はしかし、その両の瞳に異様な熱を湛えていた。

 ──吸い込まれる。

 抗いようもなくその熱っぽさに吸い込まれ、狼狽える。頬が熱い。浮かされるように泳いだ視線は、宙をあてもなく彷徨いながら今一度爪先のあたりへと落ちていく。
 
 そんな名前の反応を具に観察していた陣平は、その口の端を意地悪く持ち上げ、笑った。笑みには確信が含まれていた。「だめじゃない」という、名前の返事を読み取った確信だ。


「──来いよ」
「っ、」


 緩く手を引かれ、尻込んでいた足が蹈鞴を踏む。逡巡しながら二歩ほど踏み出した足は、迷いなく進む陣平の後を躊躇いがちに追った。

 すぐに画面とタッチパネルのある無人のフロントへと到着する。独特の空気感だ。少し、不安になる。陣平の手を握る指先に力を込めると、強かな弾力が握り返してくれた。
 
 
「⋯⋯わたし、こういうところ来るの初めてなの」
「そーか」


 ピッ。ピッ。陣平の指が画面をタッチする小さな音が、やけに耳を付く。──緊張しているのだ。五感が鈍ったようにも、変に研ぎ澄まされたようにも感じる。何も陣平との初夜という訳でもあるまいに、身体を重ねることを目的とした場所に行くということに、酷く緊張している。

 ふわふわと覚束ない足取りで、ひたすら陣平を追う。誰も乗っていないエレベーターに運ばれた先。一見普通のホテルと変わらないように見える廊下の、五番目のドアを開けて。恐恐と室内に入った名前は、間の抜けた感嘆を漏らした。


「わ⋯⋯わあ、すごーい! 綺麗!」


 初めて見るキングサイズのベッド。部屋自体も広く、大きなテレビやソファも置かれている。ただ、よく見てみればおもちゃが用意してあったり、照明の調整が異常な数だったり、お風呂がガラス張りだったりするのだが、それに気が付くのはもう少し後のことだ。

 想像していたよりも数段綺麗な装いに思わず目を輝かせた名前が、振り返る。
 
  
「ね、陣平くん、すごく──っ」


 振り返って、息を詰めた。
 スーツのジャケットを鬱陶しそうに脱ぎ去った陣平に、とす、と。縺れる間もなくベッドに押し倒されていた。間髪入れず首筋に吸い付かれる。


「⋯⋯っじん、ぺ⋯⋯くん?」


 どこか乱暴さの混じる性急さに、名前は身を捩りながら語尾を上げる。陣平は唇を名前の肌に当てたまま、口惜しそうに絞り出した。
 
 
「⋯⋯あいつの前で泣いたりしやがって」
「それは⋯⋯陣平くんのせいですが⋯⋯」
「あーそうだよ。だから許せねえんだ。お前は⋯⋯俺んだろ」
「ん⋯⋯っ」


 首元が痛い。肌表面にぴりぴりとした痛みが走る。陣平自身に対する苛立ちが、名前への独占欲として表れているようだ。

 その証のように幾つも真紅の痕を付け、陣平は次第に鎖骨から胸元へと降りて行く。


「あのっ、わたし、飲み会行ってたしシャワー入り、た⋯⋯っ」
「うるせ、黙ってろ」
「⋯⋯っ、もう」

 
 陣平が上体を僅かに起こしネクタイに手をかける。身体に被さっていた陣平という枷がなくなったこの一瞬の隙に、身体の下から素早く抜け出る。陣平に文句を言われる前に、そのがしりとした体躯に体重を掛けまくり、懸命に押し倒す。そのまま大腿のあたりに跨る。

 名前の行動に、陣平は目を丸くした。

 
「おい?」 
「⋯⋯逆だよ、陣平くん」
「あ?」
「陣平くんが、わたしのものなんだよ」


 陣平が和泉に嫉妬したように。名前も嫉妬しているのだ、あの女性に。いや、名前の方がずっと嫉妬している自信がある。

 陣平は、名前のものなのに。

 先程陣平から貰った言葉だけでは到底晴れぬ嫉妬が、未だ胸の奥で燻っている。名前だって。名前だって、独占欲をかたちにしたい。

 ネクタイの解けたシャツのボタンを一つずつ外し、肌を露にする。指の腹で自分のものよりも少し固い肌をなぞると、陣平の身体がぴくりと反応した。
 
 困惑しているのか、陣平はさして抵抗することなく成り行きを見ている。肌を撫でながら、腰に巻かれたベルトにも手を掛ける。カチャリ。金具が擦れるちいさな金属音が響き、男性物の下着が現れる。

 ここで急に我に返ったのか、この先名前がしようとしていることを悟ったのか、陣平は慌てた様子で名前の肩を掴んだ。


「──ッ、待て、俺もシャワー浴びてねえ」
「⋯⋯うるさいです、黙ってて下さい」


 し、と人差し指で陣平の唇を押さえる。
 
 今しがた自分が発したものと同じ台詞を返され、陣平はむぐりと口を噤む。力ずくでもやめさせたい気持ちと、このまま身を委ねる未来への期待とが、鬩ぎ合う。



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