チクリ。タクリ。
秒針の規則正しい音だけが時を刻んでいる。この部屋には二人も人間がいるというのに、まるでそんな気配がない。二時間は変わらぬこの状況についぞ痺れを切らした片方の男が、ベッドに横たわるもう片方に声をかける。
「なあ陣平ちゃん」
「あん?」
「今何時か知ってるか?」
「いや?」
「じゃあ教えてやる。十二時だよ、夜中の十二時! 一体いつまで俺のベッドで天井と睨めっこしてるつもりだ?!」
「もうそんな時間か⋯⋯しゃーねえ今日は泊まってくか」
「いや帰れ! 家近いだろ! 俺眠いんだけど!」
「ああ、お前は寝てていーぞ」
「いやベッド占領してんじゃんよ⋯⋯部屋主に床で寝れってか?」
突然陣平が訪ねてきたのが、夕飯も風呂も終えた二十一時半頃。部屋に入るや否やベッドを占領し、物言わぬまま天井を見つめ続けるという奇行。その間、雑誌を捲ったり漫画を捲ったりして辛抱強く“陣平からの言葉”を待っていた萩原だったが、時計の針が二本仲良く天を指したあたりで辛抱が堪らなくなった。
そうして満を持して声をかけたわけだが、陣平ときたらこの傍若無人さである。萩原は長い溜め息をついてから、フローリングに横になり同じように天井を見つめてみる。
「なー、じんぺーちゃーん」
「何だよ? つかハート付いたみてえな甘ったるい呼び方止めろって」
「ははっ、まあまあ。ところで俺に何か相談事あんじゃねえの? こんな時間まで入り浸っちゃってさ」
「んなもんねーよ」
陣平のつれない返答に、本当に天邪鬼だな、と萩原は思う。
そこそこ長い付き合いだ。陣平のことはそれなりに分かっているつもりであるし、そもそもこんな奇矯を見せられては、何かあったと思わない方が稀有だろう。
それなのにこうしてしらばっくれてみせる陣平に、萩原の悪戯心が擽られた。
「あっそう。じゃあ俺が名前ちゃんと遊んだりしてもいいんだな」
「ハァ? 駄目に決まってんだろ!」
「アハハ、ほれみろ」
何を言わずとも名前の名を出されてしまい、陣平は仏頂面で萩原を見る。
萩原に名前といる場面を見られたのは失態だった。萩原は昔から目敏いのだ。自分の教室に取りに来させるのではなく、名前の教室に渡しに行けばよかった。そうしていれば。萩原の口から名前の話題が出ることもなかっただろうに。
──いや、違うな。
萩原に見られたからこそ、陣平はここに来たのだ。御託を並べてはいても結局のところ、深層心理としては萩原に話を聞いてもらいたいのだろう。
自分でも自分のことをこう思う。つくづく天邪鬼な奴だよ、お前は、と。
「⋯⋯つーかいつの間に“名前ちゃん”だよオメーはよ」
「ああ、陣平ちゃんがタメで話してんのに、俺だけ敬語なのしっくりこないからやめてくれってさ。生徒会やってんのにフランクな人だよな」
「⋯⋯まあ」
まあ、立入禁止も守ってねえしな。
心の内でそう呟いて頷く陣平を、萩原はじっと見遣る。わざわざ自宅まで押しかけてきたのだ。洗いざらい話す気は勿論ないだろうが、一つとして話さないというわけでもないだろう。
チクリ。タクリ。
秒針が進む。もう今日となったはずの時間を三百六十度進んだ頃、萩原がやおら口を開く。
「どーしたよ、陣平ちゃん。聞くぜ」
促された陣平は、ふう、と息を吐く。重たかった唇が少し、開く。
「⋯⋯なんつーか⋯⋯モヤモヤする」
「うん」
「モヤモヤして、腹立つ」
「そっか」
「自分の
ココ、と言いながら自身の胸倉を掴む陣平の姿を、萩原の穏やかな瞳が映す。
こんな陣平の姿も珍しい。というか萩原は初めて見た。
これまで、誰が可愛いだとかキスはどんなものだとか、思春期男子らしい会話はいくらでもしてきたし、それぞれ初恋と呼べるようなもの──陣平ならその相手は萩原の姉だが──もあった。
しかしこれ程陣平の心が乱されることはあっただろうか。
そう問うて、萩原は自答する。こんなの初めてなんだよなあ、と。そして、いつの間に俺の知らないとこでそんな面白えことになってんだよ、と。
「陣平ちゃんさ、もう分かってんだろ、自分の気持ち。あとはそれを認めるかどうかだと思うけど」
「──⋯⋯」
今日はむすっとへの字を作ってばかりの陣平の唇が、またしてもへの字に結ばれる。暫しそうして口を噤んでから、再度開かれる。
「なあ萩原。それ、認めるメリットは?」
「は?」
「この気持ち認めたら、何かいいことでもあんのか?」
萩原はぽかんと口を開けた。
恋愛感情を認めるために損得勘定が必要な思考回路って、どんなだよ。自他ともに認める女好きである萩原には、俄には理解し難い。
「ありまくりだと思うけどなー、俺は。逆にデメリットは? 何かあんの」
「ありまくりだバーカ」
「へえ、何?」
「だってよ、自分以外のこと考える時間増えるだろ、他人の気持ちなんて分かんねえのによ。そしたら自分で制御できねえモンが身体の中で暴れて気持ち悪りいし、なんか、自分が恥ずい」
ぱち、くり。
陣平を見つめる双眸が、ぱちくりと瞬きを繰り返す。それから萩原は肩を揺らして笑い出した。
「ふっ⋯⋯はは、」
「⋯⋯何だよ」
「いや、俺の幼馴染が可愛くて⋯⋯馬鹿だなあ陣平ちゃんは。恋愛は理屈じゃねえんだよ」
「あ? バカだ? 今すぐその口塞いでやろうか」
「悪いな、俺、男とそういうことする趣味はねえんだ」
「バァーカ、俺だってねえよ!」
ギャーギャーと騒ぎながら、陣平は自覚した。理屈じゃない、と言われたときに、胸の真ん中で蠢いていた気持ちの悪い感情がすとんと正しいかたちに落ち着いたのを。
心にきちんと正座するそれは妙にむず痒くて、陣平はおおきな溜め息を落とす。
自分にこれが正しく扱えるのだろうか、と。
「じゃ、そろそろ帰るわ。用済んだし」
「はあ? 盛り上がるのはこっからだろ?! 朝までとことん話そーぜ! ベッド使っていいからよ」
「悪いけどお前一人で盛り上がっててくれ、俺はもう腹いっぱい」
「いっぱいになるほど話してねえじゃんかー」
引き止める萩原を無視し、陣平が身を起こす。数時間ぶりに重力の中で動かす自分の身体は、これまでよりも軽く感じた。