日々を紡ぐと何になる





 *

 名前との同棲生活も、二年と半分程が過ぎようとしていた。そんなある夜のことだ。


「あーーーー分っかんねえ⋯⋯」


 諸伏と降谷行きつけだというお忍び──公安にとっての、ということだが──のバーで、陣平は頭を抱えていた。癖のある髪をくしゃくしゃと混ぜる陣平に、伊達が視線を寄越す。

 
「? 何がだ?」
「⋯⋯アイツに渡そうと思ってよ」
「だから、何をだよ?」


 伊達、諸伏、降谷。久し振りに顔を揃えた面子から揃って向けられる視線を一瞥して、陣平は逡巡する。コイツらに話しちまっていいもんかね、と。だが一人で行き詰まっているのも確かであるし、この三人以外に話せる相手もいない。

 陣平は深く息を吸ってから、溜め息を落とすようにして告げた。

  

「──婚約指輪」



 平仮名にして実に七文字。
 そのたった七音を聞いて、陣平を除く三人は驚愕と言っても良い表情を浮かべ、まじまじと陣平を見た。

  
「あ? んな驚くことかよ?」
「いや、だって、傍若無人を絵に描いたような松田が⋯⋯? 指輪を誂えてプロポーズを?」
「オイ、何笑ってんだ」


 陣平を揶揄いたがるきらいのある降谷が、含み笑いで陣平を見る。それにぶすりとした表情で返す陣平の肩を叩いて、伊達が笑う。
 

「俺もびっくりだ。まさか俺らの中で一番早く、お前がこんなことで悩む日が来るとはな」
「明日銃弾が降ったりして」
「コラ、公安お前らなら起こり得そうなこと例えにすんなバーカ! ったく縁起でもねえ」


 皆それぞれ危険な場所に身を置いているが、今の台詞を言った諸伏と、そして降谷のそれは段違いだ。冗談抜きで銃弾の雨を浴びることが有り得るのだ。

 縁起でもない。

 出来ることなら。ここにいる三人は、いつまでもこのままで在って欲しい。
 

「でもそうか、二人は一緒に暮らしてもう随分になるのか」
「ああ。俺はあと一年で決着付けるって決めてるしな」
「⋯⋯萩原のことか?」


 陣平は頷く。萩原の仇を取るため、捜査一課特殊犯係に転属希望を出し続けて久しい。未だにその希望を受理しては貰えぬが、そうしている間にも決戦の日は徐々に近付いている。
 
 萩原の命日、十一月七日。毎年警視庁に送られてくる数字が書かれたファックス。

 恐らくは、来年が。

 
「本当なら決着付けてから名前に言うのが筋っつーか、アイツの為でもあるんだろーけどよ。なんせ来年、例のカウントダウンが“ゼロ”になる時、何が起こるか分かんねえし⋯⋯けどこのままも良くねえかと思ってよ。男はともかく、女にとっちゃ大事な時期だっつーし」
「名前ちゃんがそうやって?」
「いや、アイツは何も言わねえけど。きっと⋯⋯」


 名前は、言わない。聞かない。 
 将来の道筋や、結婚のこと。考えるはずだ。こんな陣平ですら考えるのだから。しかし名前は決して自ら訊ねようとはしない。遠慮しているのか、何かを、察してでもいるのか。そんなところさえ健気に思えて──、いや、違うか。
 

「いや⋯⋯違えかもな。そうやって勝手な理由探して、でも俺がただ、あいつと約束された未来が欲しいだけなのかもしんねえ」
「⋯⋯どうした松田? やけに弱気じゃないか。似合わないぞ」
「⋯⋯そーだな」


 たまに、考えてしまうのだ。
 自分の前から、名前がいなくなってしまう可能性を。萩原のように。ある日突然。当たり前に隣にあった存在が、消えて無くなってしまう未来。

 不意に“それ”に襲われると、陣平はどうしようもなく、名前を自分のものにしたくなる。たった紙切れ一枚。指輪ひとつ。それだけの変化が、まるで名前を繋ぎ止めてくれるもののような気がしてしまって。

 本当に、似合わないことを考えるものだ。
 

「まあごちゃごちゃしたことはいーとしてよ。指輪ってどんなのが良いんだ? つーかそもそも店が多過ぎだし、指輪の種類も多過ぎんだよ」


 そもそもの前提としてジュエリーショップが多過ぎるのだ。名前に好きなブランドでもあれば迷わずその店で選ぶのだが、その点名前は無欲なためまるで見当が付かない。

 それならば取り敢えずは話だけでもと思い、見かけた店に入ってみたものの、ダイヤモンドのカラットや、リングの色に形状、材質。そして何より、リングの号数。

 試練が多過ぎるのだ。

 ただ、生涯を添い遂げたいと伝えるだけのはずなのに。
 
 はあ、と吐かれた煙草の煙。重たい溜め息と反対に軽やかにくゆる煙が、落ち着いた色味の照明へと上っていく。その煙の遥か先を仰いで、陣平は、ぼそりと呟く。

 
「⋯⋯こんなとき萩がいりゃあなあ。オメーらときたら女の影もありゃしねえ」


 アイツなら。萩原なら。

 今回に限ったことではない。萩原がいたら。そう思う出来事は日常のあちこちに転がっていて、ふとした瞬間に萩原の存在の大きさと、その喪失とを突き付けてくる。

 誰かを亡くすとは、こういうことなのだと。何年経っても身を持って思い知る。 

 
「オイオイ、相変わらず失礼なヤツだな。俺だってナタリーがいるだろーが」
「ああ、そういやそうだったか。なあ班長は? 何か考えたりしねえの?」
「俺もまあ、追い追いだな。指輪のことは何も知らん」
「ほれ見ろ、役に立ちやしねえ」
「俺らに聞いたお前が間違ってんだよ。実体験したヤツいねえんだから」
「違いねえー」


 そう言って酒を煽った陣平に、諸伏が穏やかに言う。

 
「大丈夫だよ。松田が選んだ物なら、名前ちゃん何だって喜ぶさ」
「そりゃ⋯⋯そーだろうけど」 
「ハハ、そこは自信あるんだ」


 勿論名前は、喜んでくれるだろう。たまの仕事帰りに偶然見かけた新作スイーツを買って帰るだけで、両手を上げて抱き着いてくるような、そういうヤツだ。知っている。分かっている。何を贈ったところで、名前は喜んでくれるのだ。

 だからこそ。名前の心に一生残るような。その心に何が起こっても廃れてしまわないような。そんな物を用意したい。
 
 笑った諸伏の隣、降谷が「松田も松田だけど、彼女も一途だよな」と呟いて、それから不敵に陣平を見る。

 
「もし断られたら報告してくれ、皆で慰めるから」
「うるせェ。んなことあるわけねーだろ」
「分からないぞ? 女性の心は複雑だから」
「何で楽しそうなんだよオメーは」
 
  
 こうして結局、指輪に関しては何の収穫も得られぬまま──何なら考えてもいなかった“プロポーズを断られる”という余計な可能性を植え付けられて──、懐かしく安らげる面子との夜は更けていったのだった。
   


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