一也くん抜きで臨んだ神宮大会は準決勝で敗退を喫し、わたしたちは長いオフシーズンへと突入した。
そんな日の、練習後のことだった。
空が宵闇へと落ちゆく。仄かな夕陽の残光が、雲の片隅を染め上げる。時々空を見上げながら球拾いをしていると、背後から足音。その音に気づいた直後、声がかかる。
「なー、名前ちゃん」
「はあい」
振り返り際、腕の中から球がひとつ転がり落ちる。それを拾い上げ、もっちー先輩は問うた。
「あのヤローどこ行った?」
「あ、クリス先輩のとこです。最近通ってて」
「ふうん。⋯⋯ま、それがいいかもな。俺らには話さないだろうし」
拾った球を右手の中で転がしながら、先輩は視線を落としたまま呟いた。その表情を、わたしはじっと見つめる。
何か話したそうだけれど、最後の一歩を躊躇しているような。自分の内を晒すべきか隠しとおすべきか、逡巡しているような。
三歩分あいたわたしたちの間を、さわりと風が抜ける。ちいさく肩をすくめる。随分と冷たい空気になった。秋から冬へと移ろう匂いだ。
「あ⋯⋯悪ぃ、寒いよな。さっさと拾って戻ろうぜ」
「全然、大丈夫です」
抱えた球をひとまず籠へと放り込む。ぱんぱんと汚れをほろって、芝の隅で膝を抱える。
「もっちー先輩。ここ、座ってください」
「⋯⋯」
わたしを見て、手の中の球を見て、それからわたしの隣の空間を見て。口は噤んだまま、やはり少し迷ってから先輩はドサッと腰を下ろした。
その手の中で器用に回り続けている球を横目に、首を傾げる。「どうしましたか」そう問おうとして、やめた。代わりの言葉が口を衝く。
「⋯⋯寒くなりましたね」
「な」
頷く先輩からそっと視線を外し、空を仰ぐ。雲が夜へ向かってゆっくりと流れる。グラウンドはいい。空はいい。どんな沈黙も、どんな言葉も、いつだって変わらずに見ていてくれる。
「⋯⋯あのよ」
「はい」
「⋯⋯アイツ、いつもこれやってんだな。俺らには何も言わねぇで」
一也くんが治療に専念する間、もっちー先輩がキャプテン代理を務めていた。キャプテンが変わると、部の雰囲気も変わる。慣れぬ役割も多く、先輩も色々思うことがあるのだろう。
「名前ちゃんには何か話すか?」
「わたしにもあんまり話してくれないです。もう少し力になりたいんですけど⋯⋯意地っ張りですよね、ふふ」
さわりさわり。風が揺れる。
しばらく互いに無言でいると、先輩の手からぽん、と球が放られた。空に浮いた球は、一直線に手のひらへと戻っていく。何度やっても狂わぬコントロールは見事なものだった。
籠へと手を伸ばす。一球を取り出し、真似てみる。ぽいっと放った球は──真上に投げたつもりだったのだが──、予想よりも遥か手前へと放物線を描き、慌てて翳した手の間をすり抜けわたしの額へと着地した。
情けなく上がったちいさな悲鳴と、無情に転がった球。一瞬の間ののち、先輩が笑う。
「ヒャハハハ! ハズさねぇな名前ちゃん! 大丈夫か?」
「いたた、硬球痛い⋯⋯大丈夫です、ごめんなさい」
額を押さえる。冷えてきていた指先が程よく心地いい。調子に乗って慣れぬことはしないに限る。
額から落ちた球を掬い、先輩は先程より穏やかな口調で言う。
「⋯⋯この空気がいーんだろうな。話す話さないじゃなくてよ」
「? 秋とか冬とか? 一也くんって寒いの好きでしたっけ」
「ヒャハハ、違ぇよ。ホント贅沢だよな、アイツ」
「⋯⋯?」
「あんな性格のヤツだし、俺らじゃ力不足なこともあるからよ。これからもウチのキャプテン頼むぜ」
キャプテン代理の悩みや辛さではなく、一也くんを案じての行動だったということか。本当に、不器用に優しい人だ。わたしまで嬉しい気持ちになって、笑みで返す。
ついでに、一言。
「⋯⋯もっちー先輩って、一也くんのこと結構好きですよね」
「はぁ?!」
「一也くんも、もっちー先輩のこと大好きだと思います」
「気色悪ぃこと言うな!」
「あはっ」
ブツブツ文句を言ってから、先輩はすっくと立ち上がった。球の入った籠をさり気なく持ってくれる。
「そろそろ行こーぜ、冷えただろ。たいした用もないのに付き合わせて悪かったな」
ふるふると首を振り、その背を追う。今頃クリス先輩のところにいるはずの一也くんに、この時間を切り取って見せてあげたいな、と思った。
「あ! やっと戻ってきた! 何イチャついてんすか! キャップにチクリますよーー!」
遠くから沢村くんの大声が響く。
「誰がイチャついてんだよ、誰が!」
すかさず駆け出し光の速さで沢村くんのもとへ到達した先輩は、その勢いを活かしタイキックを炸裂させた。
「痛って! なんかいつもより痛くないっすか?!」
「うるせぇよ!」
「ヒドイ! 二回も蹴るなんて!」
雲に残っていた夕陽の色は消え、夜に浮かぶ灰白色へと変化していた。