18.綿雪に黙す


 そんなわけで、冬合宿を終えたわたしと一也くんは、一旦帰宅してから待ち合わせをしていた。


「名前ー、こっちこっち」
「ごめん、電車一本遅くなっちゃった。待たせちゃった?」
「いや、なんも」


 こんなベタな会話さえ新鮮で、頬が緩んでしまう。まるでカップルのようだ。

 そして彼の首元に巻かれているマフラーを見て、頬がより一層弛緩する。


「それ、使ってくれたんだね。やっぱり似合ってる、すごく」
「お前もな。可愛いぜ、なんか子どもみたいで」
「こどっ」
「ははっ、ウソウソ。やっぱこっちにしてよかったな」


 冬合宿中に訪れたクリスマス。隙をみてこっそりと彼にプレゼントを渡した。まさか多忙な彼もプレゼントを用意してくれているとは思わず──そもそもクリスマスにプレゼント、なんて柄でもないと思っていたし──嬉しさのあまりラッピングは暫く開けられず、寮に持ち帰ってとりあえず拝んだ。

 ──ぼっこ手袋と五本指手袋と。動かしやすさとかで迷ったけど、そっちのほうが名前には似合うと思ってさ。

 だなんてサラッと言う彼を、手袋を履いた手でもう一度拝む。


「? 俺拝んだって何も出ねぇぞ」
「ふふ、いいのいいのこっちの話。⋯⋯ね、お父さんって何が好き? お酒飲む人? お土産気に入ってもらえるかな」
「んなもんいらねぇよ。気遣うなって」
「一也くんはいらなくてもお父さんはいるの。それに、その⋯⋯変な彼女と思われたくないし」


 後半の台詞をごにょりと付け加えると、彼は、ほんの一瞬だけ驚いた表情を見せてから、笑ってわたしの手を握った。


「ダイジョーブだって、もとから少し変なんだし」
「⋯⋯一也くんには言われたくない」
「なんだって?」
「あはっ」


 戯れつきながら混ざり合う笑い声。年末特有のどこか覚束ない街中の雰囲気も相まって、心が浮き立つ。


「あ、忘れるとこだった。家行く前にスーパー寄っていいか?」
「うん、もちろん」
「味噌汁の具買いたくてさ」
「おみそしる」
「そ。親父さ、寿司用意してくれてたんだけど、その他になーんもねえの。冷蔵庫ん中マジでビールばっか。仕方ねぇから味噌汁くらい作ろうかと思って」
「え、やば⋯⋯わたし一也くんが作ってくれたお味噌汁食べれるの?」


 え、やば、最高。

 そんな気持ちが全面に出た顔をしていることが自分でもわかる。案の定、一也くんは可笑しそうに笑っている。

 だって仕方がない。彼の料理がおいしいことを、わたしは既に知ってしまっているのだ。


「せっかくだし一緒に作ろうぜ」
「⋯⋯わたしお野菜洗う係やります! お料理は得意じゃないので!」
「おう。洗い方ですべてが決まるっつっても過言じゃねえからな、頼むわ」
「えっ」


 彼は笑いながら、繋いでいた手をそのまま自分のコートのポケットに突っ込んだ。手袋で充分あたたかかった手が、よりおおきな温もりに包まれる。

 面映い。嬉しい。幸せだ。
 幸福で、心臓が切に痛い。


「⋯⋯何?」
「⋯⋯わたし一也くんのおうちつく前に死んじゃいそう、心臓痛い⋯⋯」
「はは、死なねぇ死なねぇ、幸福で人は死ねねぇんだよ」
「⋯⋯急に真理みたいなこと言う」
「みたいじゃなくて、そうなんだって」


 きっとこのちいさなポケットの中には、手を差し込むだけで溢れるほどの幸福が詰まっているのだ。次から次へと溢れて止めどないほどの、幸福が。たっぷりと。







 スーパーに入り、順に見て回る。「カゴ俺持つから」とか、「あ、一也くんお豆腐あった! これって安いの? 高いの?」「普通じゃね? どっちがいい? 絹と木綿」とか、「食後に食いたい果物あるか?」とか。

 なんだろうこれ。
 ご褒美新婚ごっこタイム?


「名前今さ、新婚みたいとか思ってんだろ」
「えっ、バレた」
「顔に書いてあるぜ。てか顔緩みすぎ」
「ちょ、やだ、見ないで⋯⋯」


 なんて言い合いながら、終始緩みきった顔で会計を済ませスーパーを出たときだった。


「あれ?! 一也じゃない?!」


 背後からかかったその声に、彼と同時に振り返る。

 四人⋯⋯いや、五人か。同年代の男女のグループだった。そのうちの一人の女の子が、一也くんに向かってぶんぶんと手を振っている。


「帰ってきてたんだ! ていうかメールくらい返事してよねー!」


 他の人たちも「え、御幸?」「うわ、久しぶりじゃん」「ちょっと話そうよ」と口々に近寄ってくる。

 そっか。地元だもんね。同級生の四人や五人と遭遇したっておかしくない。


「一也くん、わたしここで待ってる。ゆっくり話してきてね」


 そう言って繋いでいた手を離そうと力を抜く。しかしそれに反し、彼の手は「ここにいろよ」と言わんばかりに、一層強くわたしの手を握った。そのことで場を離れるタイミングを逃し、二人揃って彼らに取り囲まれることになる。


「二年ぶり? うわー、なんか全体的に大きくなったね。てか大人っぽくなった」
「一緒にいんのは彼女? ってそうだよな、手繋いでるし」
「この前さ、なんかの雑誌でお前の名前見たよ。相変わらず活躍してんだな」


 次々と浴びせられる言葉に、一也くんは「あー」とか「うん」とか「そう」とか、そんな相槌を打っている。

 そこまで仲の良くなかったグループの子たちなのだろうか。彼の返答や表情から、何となくだけれどそんな印象を受ける。

 そしてわたしはわたしで「こ、こんにちは」とか「えっ、あ、一つ年下です」とか、受け答えのしどろもどろさがすごかった。部員の父母や他校の選手、観客のおじさんたちとは普通に話せるのに。何故だろう。

 落ち着かぬ心地でそれぞれの顔を見回していると、最初に一也くんに声をかけてきた女の子と目が合った。綺麗な人だ。すごく。


「⋯⋯ねえねえ、どうやって一也と付き合ったの?」
「え?」
「一也って昔からモテたけど、誰からの告白も受けたことなかったんだよ。なのに彼女になっちゃうなんて、すごいなあって」
「あ⋯⋯そうだったんですね」
「うんうん。けどさ、一也ってばメールも全然返さないし、話しかけてもいっつも素っ気ないし、野球ばっかだし⋯⋯付き合ってからも大変でしょー」
「⋯⋯?」


 首を傾げつつ、隣の一也くんを見上げる。確かにメールはあんまりマメなタイプではないし──けれど返事が返ってこないことはない──、物腰柔らかく人当たりがいい性格ではないし、野球が大大大好きな彼だけれど。それらが彼と付き合う上で大変なことなんてあっただろうか。

 一也くんの顔を見ながらあれこれ考えてみるけれど、やはりピンとこない。彼女の言う“一也”と、わたしの知る“一也くん”が上手く一致しない。

 故に首を捻り続けていると、彼はわたしを見下ろして眉を下げて笑った。その笑顔に、何故だか胸が切なく締め上げられる。

 まるで。

 ──だから、お前は特別なんだってば。

 そう言われたように思えて。 


「そろそろ行こーぜ、名前」
「⋯⋯うん」


 不覚にも視界が滲んでしまって、俯く。おそらく私服用なのであろう初めて見る彼の靴が、わたしの靴のすぐ隣に並んでいる。


「あ、待って待って! せっかく再会したんだしさ、皆で初詣行かない?」
「悪ぃ、初詣はコイツと行くから」
「だから彼女も一緒に──」
「ごめん、無理だわ」
「っ、」
「じゃーな」


 柔く手を引かれ、踵を返す。この場を離れられることに、ほっとした。ほっとしてしまった。

 ──嫌だな。わたし。

 だって、嫉妬した。あの女の子に。わたしの知らない一也くんを自分のもののように話す彼女に、嫉妬した。


「悪ぃ。嫌な思いさせちまったな」
「ううん⋯⋯けど、ちっちゃい頃からの一也くん、わたしも知ってたかったな」


 思わずそう呟いてしまっていた。
 それからすぐに我に返り、赤面する。恥ずかしい。幼稚な嫉妬心丸出しもいいところだ。


「うわ、わたし何言って⋯⋯なんでもないの! 聞こえなかったことにして!」
「ムリムリ、聞いちゃったもん。なに、お前妬いてんの?」
「っや、その」
「ははっ、そっか、お前も妬いたりすんだ」


 羞恥で消えて無くなりたいわたしとは対照的に、彼は上機嫌で足取りも軽い。年末のくすんだ空を見上げながら、「そうかそうか」と満足そうに歩いている。

 そうかそうかって。
 そうに決まっているではないか。


「さっきの人、『大変でしょー』って言ってたけど⋯⋯確かに、かっこいい彼氏だと大変です」
「はっはっはっ」


 その横顔を複雑な気持ちで見つめてから、彼に倣って、わたしも空を見上げてみる。師走の空気が、少し、揺らいだ。

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