行く年くる年。
もうすぐ新年を迎えようといういつもと変わらぬはずの夜空は、どこか厳かな静謐さでわたしたちの頭上を覆っていた。
玄関を出て夜空を仰ぎ、それから現実へと振り返る。
「⋯⋯お兄ちゃん、お留守番しててよ〜〜。お姉ちゃんの年越し蕎麦美味しそうだよ」
「いーやーだーね! 蕎麦はあとで食うけど」
「それはわたしも食べるけど⋯⋯」
せっかく一也くんと初詣デートだというのに。なぜ、どうして、わたしたちの間に我が物顔で兄がいるのか。
「お前そんなに俺らといたいの? 実はめちゃくちゃ寂しがり屋か?」
「キショいこと言わないでくれる? 二人の邪魔したいだけだし」
「や、ほんと邪魔だから家戻れよ」
「その嫌そうな顔イイネ!」
「ほんっと性格わりー」
「ふふん。まあ一也ほどじゃないけどね」
この二人に口喧嘩をさせては埒が明かない。どちらかといえば一也くんが軽く流したりあしらったりして終わりそうなものだけれど、どうやら兄に対してはそういうわけにもいかないらしい。
やいのやいの。
小学生のような言い合いを続ける二人の間にむぎゅりと身体を押し込む。まずは物理的に距離を取っていただこう。
「もうわかった! わたしが真ん中を歩きます! 二人は一定距離を保って、喧嘩しないこと! いい? せっかくの初詣なんだからハッピーに行くよ!」
「へーい」
適当な返事を返した一也くんは、たぶん兄の死角であろう場所でそっとわたしの手を握った。盗み見るように彼の表情を窺うと、口元に人差し指を立て「(ナイショな)」と唇が動いた。
──これは、やばい。めちゃくちゃドキドキする。
さて、兄にバレずに神社まで辿り着けるだろうか。道のり半分まで行けたら上々かな。なんて考えた、その瞬間だ。
わたしのときめきは、あっけなく散るのだった。
「って一也おまっ、何手繋いでんだよ離せ! 一定距離を保つことっつったろ!」
「すっげー、なんで気づくんだよ変態め。てかそれ保つのは俺と鳴だろ。なんで名前とまで距離取んなきゃなんねぇんだよ。お前やっぱ留守番してたら? ウルサイから」
「やだったらやだね。一也こそ留守番してたら?」
「あのー⋯⋯わたしが間に入った意味なくない?」
溜め息とともに零した言葉の虚しさのそこはかとなさといったら。加えて、わたしと一也くんの手は兄の「ふんぬっ!」というチョップであえなく離断されてしまった。
結局わたしが間に入った意味を見い出せぬ状態のまま、神社へと向かう。その途中、ふと思いつき口にする。
「高校入るとき、お兄ちゃんが一也くんを誘ったことあったでしょ。あのときはライバルが似合うなって思ってたけど、もし今二人がバッテリー組んでるところなんて見たら、わたしきっと泣いちゃうな。この二年でいろんなこと、変わったもんね」
「「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」」
「あ、いま、バッテリー組んだらどんなかなって考えてるでしょ」
双方満更ではなさそうな微妙な表情をしていて、笑ってしまう。もはやよくわからない関係の二人だけれど、本気で認め合っているのだ。最高。
「⋯⋯でもまあ、高校生のうちはそんな機会もねえからな」
「そうだよね。死ぬまでの楽しみに取っておく。わ、想像だけで最強すぎて鳥肌立ちそう」
「すげぇ想像力だな」
「ふふ。お褒めにあずかり光栄です」
皆の笑い声とともに、ほつり、ほつり。それぞれから立ち昇った吐息の先へと視線を泳がす。
泳がせて、わたしはもう一度、息を吐いた。
「わ⋯⋯雪だ」
晴れているはずの夜空から、綿のような雪粒が舞い落ちる。ざりっ。誰かの足音を最後に、音が途絶える。あんなに止めどなかった会話が嘘のような静寂だ。
「⋯⋯──」
なんだか泣いちゃいそうだな。
気を緩めれば理由もわからずに視界が滲んでしまいそうな気がして、唇を結ぶ。
それぞれの無言を乗せた綿雪がアスファルトに溶けるまで、誰も言葉を発さなかった。
ここらで最も大きな神社──この時間の初詣は初めて来た──は、見たこともないほどの賑わいだった。雑踏。屋台。雑踏。鐘の音。雑踏。とにかく人がすごい。他人様のことは言えないけれど、皆お正月くらいお家でゆっくり過ごしてればいいのに。
「人、すご⋯⋯!」
「すげぇな、こんなに人いんのか⋯⋯さすがに手繋ごうぜ、はぐれちまう⋯⋯って」
のちに聞いた話だ。
一也くんが手を差し伸べた先、わたしがいたはずの場所には、きょとんと目を見開いた兄がいた。二人は揃って頭を抱えたという。
「「名前のやつもういねえ⋯⋯」」