18.綿雪に黙す


「⋯⋯一也くん」


 息を切らしたその姿に、ああ、自分が思っている以上に心配をかけてしまったのだと胸が痛む。

 「あらま」と言って戯ける真田さんを一瞥してから、一也くんはわたしの鼻頭をむぎゅっと摘んだ。


「お前はどーしていつもいつも⋯⋯心配すんだろ。大丈夫だったか?」
「ごめんなひゃい、何ともないれす⋯⋯」
「うん。⋯⋯ま、詳しくは後だな。先にアイツに知らせてやんねぇと」


 鼻先から離した手で、携帯を取り出し電話をかける。たぶん一コールで兄が出た。


「鳴? 俺。そう、見つけた。うん、大丈夫、絵馬んとこにいるわ」


 手短に要件を伝え、ぱこりと携帯を閉じる。そうして彼は、ゆっくりと真田さんへ向き合った。


「⋯⋯真田、どういうつもりだよ」
「どうもこうも、迷子になってたコイツが大学生にナンパされてたから助けただけだよ。なんか俺、つくづくそういう場面に立ち会うよなー」


 ぴくりと一也くんの眉が動く。それを見て、わたしは咄嗟に割って入った。


「あのっ、ほんとなの、甘酒のとこで──」
「名前は黙ってろ」
「っ」


 割って入ったのだけれど、一瞬で場外へ追い出されてしまった。一也くんはわたしを見ずに、じっと真田さんを見ている。強い瞳だった。


「そういうことを聞いてんじゃないってことくらい分かってんだろ。名前に俺がいるって知ってて名前に触ろうとすんのは、一体どういうつもりだよって聞いてんだ」


 一也くんを見返す真田さんの瞳は、不敵で好戦的だった。

 どうしよう。一也くんは知らないのだ。真田さんがわたしのことを「妹みたい」と思っていて、なんなら呼び方まで「妹」なのだということを。だからさっきのだって深い意味はないのだ、きっと。

 どれもこれもわたしが悪い。

 一也くんに誤解されるような場面を生み出してしまった──そもそもぼけっとしていてはぐれてしまったのが全ての原因だ──し、真田さんに言われたことを伝えていなかったし。


「一也くん、真田さんは──」
 黙っていられず挟んだ言葉を、真田さんが手で制する。

「御幸も言ってたけど黙っててくれよな。そんでよく聞いとけ」


 双方から黙ってろと言われ、わたしはしゅんと口を閉ざす。しかも、聞いとけって言われても。目の前でこんな不穏なやり取りが為されていて聞かない人なんていません。


「⋯⋯御幸、お前こそそれ聞いてどうすんの? 俺がコイツのこと気になってるっつったら、ちょっかい掛けんの許してくれんの?」
「さ、真田さん? 何言って⋯⋯」


 黙ってろと言われたばかりでアレだけれど、真田さんの言葉に呆気に取られ、ほぼ無意識で呟いていた。それをまるで無視し、真田さんは続ける。


「違ぇだろ。なのにそれ確認してどうすんだよ。言っとくけど俺はやめないぜ。コイツがどういうヤツなのか知る権利は俺にもあるし、俺とどんな関係を作っていくのか決めるのはコイツでもあるんだ。ただの他校の部員ってだけで終わるかもしんねぇし、ただのダチで終わるかもしんねぇし、何か進展すんのかもしんねぇし。⋯⋯つい手が出ちまったのは謝るけど。悪かった」


 わたしは呆然と真田さんの顔を見上げる。冗談かと思ったけれど、目の前の顔を見る限りそんなわけではなさそうである。

 気になってる、というのは。一体どういう意味でのそれなのか。以前言っていた「どんなやつなのかなーみたいな」とは、少し違う気がする。

 ああでも、それでは、自意識が過剰すぎる。

 他者の意見を求め視線をずらすと、あの時と違って、一也くんもめちゃくちゃ怖い目をして──


「か、一也くん!」


 一瞬のことだった。
 真田さんを睨めつけていた一也くんの手が、次の瞬間には真田さんの襟元を掴みあげていた。

 こんなふうに手を出して怒る一也くんは見たことがないし、聞く限りでもクリス先輩のことで沢村くんに怒った時だけだ。

 ⋯⋯逆は何回もあるけど。

 物凄い剣幕にあてられている真田さんは、「降参降参」とでも言うように両手をひらひら振り、「お〜〜〜こっわ」と懲りずに口元に笑みを浮かべている。


「なあ御幸、お前のそれは何? 独占欲? いいの? それで」


 さらにはこの煽りである。ただ初詣に来ただけなのに、一体どうしてこんなことに。わたしが口を挟むと却って収集がつかなくなりそうだし。どうしよう。

 おろおろと狼狽えていると、背後から声がかかる。

 長年ともに生きてきた声だ。この時ばかりは救世主のように思った。


「ちょっとー、何これー? 名前の前で喧嘩とか野蛮なことやめてくんない?」

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