19.月に溺した亡骸の、


 ベッドサイドに間接照明の暖色が灯る。お気に入りだったのだけれど、寮の狭さに持っていくのを諦めたものだった。


「へえ、あの部屋の家具って備え付けのなんだな」
「そうなの。だから机もベッドも置きっぱなし。週末はここに帰ってきてるしね。⋯⋯ここ座る?」


 床は冷えるし、適当な椅子もないのでベッドの端を示す。


「よくここで一也くんに電話してたんだよ。なんだか懐かしいな」
「名前がウチに入学してからは毎日会うし、寮に来てからは夜遅くまで顔見れるからな⋯⋯なあ、何で電話だったの?」
「?」
「メールとかもあんのに、お前いっつも電話かけてくるんだもん」


 思い出す。手の中のちいさな機械を握りしめ、彼への想いを紡いでいた不安定でまばゆい日々。

 陽炎のように。揺らめく日々。


「わたし、一也くんとの電話好きなんだ。もちろん会えるのが一番だけど」
「ふうん。なんで?」
「うーん⋯⋯電話してる間だけは、世界中に一也くんとわたしだけみたいだから。かな? 独り占めっていうか、なんか特別みたいでしょ」


 隣に座り片膝を立てていた彼は、ぱちぱちと瞬いてから徐にわたしを抱き寄せた。

 何か言葉が続くのかと思い彼の腕の中で暫く様子を窺っていたけれど、わたしを抱きしめるのみで一向に言葉を発さない。

 ので、わたしから話を振る。


「あの⋯⋯話って、さっきの真田さんの?」
「ああ、うん」


 これには普段通りに頷いた彼は、腕を緩めてわたしを見下ろした。


「アイツの言う通りなんだよな。俺さ、案外独占欲強いみてぇなんだわ」
「案外⋯⋯?」


 わたしは首を傾げる。

 案外、とは。

 確かにドライな部分は備えているし、恋愛には執着しなさそうなタイプにも見えるけれど、その実そんなことはない。彼もとっくに承知だろうに。案外なんて言っちゃって。

 それに、わたしだってそうだ。

 今のところ彼が他の女の子と“特別に”親しくしている場面を見たことはないけれど──昼間の中学の同級生はちょっと違う気がするし──、もしそういう人がいたら。そう考えるだけで、心の中からどろっとした何かが溢れてくる。

 それは信じ難く暗い色をしていて、目を背けたくなってしまう。しかし確かにわたしから生じるものなのだ。目を背けるわけにもいかない。

 今の彼も、そんなわたしと同じ所に立っているのかもしれない。


「だから、真田と⋯⋯つーか他のヤツと親しくなんのは、正直良い気はしない。いつ誰に攫われちまうか分かんねぇし。けど、それを俺に決める権利はねぇからな。何と言ってもただの独占欲だし」
「⋯⋯ふふ、一也くん、真田さんに言われたこと根に持ってる」


 控えめに笑ってみせると、彼はわたしの額にちいさくキスを落とした。肩口に頭を預ける。


「一也くんは、知らないかもしれないけどね」
「?」
「わたしは出逢った時から一也くんのことが好きだし、一也くんがいるから青道に来たし、一也くんがいるから野球部にいるんだよ」
「⋯⋯知ってる」
「あら、それはよかった。でも改めて振り返ると、ストーカーみたいでちょっとアレだね」
「⋯⋯まあ、それは否定はしねぇけど」
「あはっ」


 いつだって、わたしには。
 一也くんばかりなのだ。


「真田さんと仲良くなる未来も、どこかにはあるのかもしれない。でも一也くんに嫌な思いをさせるくらいなら、その未来はいらないよ。っていうかあんなふうに言われて仲良くなんて出来ないし⋯⋯それにわたしには、野球が好きな男友達百人くらいいるし」
「はは、部員のことそんなふうに言うヤツ初めてだわ」


 けど部員にだって妬くことあるんだぜ、と続けたその唇に、そっと唇を合わせる。

 一也くんの嫉妬も、それをこうして伝えてくれることも、嬉しいものでしかない。しかし、そんな気持ちを抱かせないような日常を送れる自分でありたいとも思う。そして、もし逆の立場になった時に彼のように振る舞える自分でも在りたいと思う。


「一也くんが大好きなの。自分でも呆れちゃうくらいに、大好──っん」


 一旦離れた顔がすっと手のひらで包まれた。そう認識した時には、口内に彼の舌が入り込んでいた。なんたる早業だ。

 感心している間にも絡め取られるばかりなのが切なくて、彼のやわらかな舌を弱く吸う。今まで以上に舌の感触がありありと感じられて、身体の芯が火照る。数度吸ってから離すと、間髪入れずに吸い返される。


「⋯⋯っ、⋯⋯っ!」
「⋯⋯なに? 名前と同じことしてるだけだけど」
「ん、ん⋯⋯っ」


 これは、だめだ。

 知らなかった。出来心だった。いつも一也くんにリードしてもらってばかりだし、自分からは上手くキスが出来ないから、だから。何か、出来ることはないかと思って。なのに。

 これは、──欲しくなってしまう。


「まって、」
「待たない」
「でもっ」
「やめない」
「もう、──っぁ」


 首筋に舌が這う。服の上から五指がやわりと乳房に沈む。それだけで身が震える。

 待って。これ以上は。そう、ここ家だし。お兄ちゃんたぶんまだ起きてるし。ね。お願い。我慢できなくなっちゃう。

 途切れ途切れにそんなようなことを口にする。しかし彼は止まらない。それはそれは全然止まらない。一瞬で服の中でホックが外され、彼の指が直に乳房に触れる。溢れてしまいそうになった声を、両手で覆う。苦しげな彼の声が降る。


「⋯⋯愛おしくて堪んねぇんだよ」
「⋯⋯っ」
「いま抱かせて。じゃなきゃ俺の気持ちの行き場が無ぇ」


 きゅう、と抱き締められて、わたしのなけなしの理性は呆気なく底を尽いた。

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