05.邂逅


 んぐぐ、と悔しさを滲ませている沢村くんの横を通り、入り口へと駆け寄る。周囲の視線をちらちらと感じた。


「どしたの一也く、あっ違うか⋯⋯どうしたんですか、み、御幸先輩?」
「ははっ、なんだそりゃ。いーよ、そんなんじゃないだろ」


 そんなんじゃないということは、どんななんですか。そう聞いてみたかったけれど、やめておいた。どうせ「鳴の妹」だとか「俺のファン」だとか適当に言われるのがオチだ。


「お前がB組でよかったよ、二つ目で見つかった」
「クラスひとつずつ探してくれたの?」
「だってお前携帯繋がんないし。⋯⋯アイツと同じクラスなんだな。苦労すんぞ、くくっ」


 その笑い方を見て、ああ、沢村くんて、一也くんのツボなんだ、と思う。ということは──まあ今日の様子だけで大方予想はできるけれど──、単純で破天荒で、きっとお馬鹿さんなんだろう。
 
 そいえば何の用だった? と問うと、ああそうだった、と彼は一枚の紙を差し出した。


「これ、入部届。礼ちゃんが渡してくれって」
「わざわざありがとう。⋯⋯わたしが入部すること、一也くんが伝えてくれたの?」
「いや、俺は誰にも言ってない。『どうせ入部してくれるんでしょ? あの子』って言ってたぜ」
「わ、読まれてる」


 副部長の高島先生が眼鏡をくいっと上げ微笑する姿が目に浮かんだ。彼女と対峙するのは、緊張する。いろんなことを見透かされているような気分になる。


「今日中に出してほしいってさ。後で職員室にでも持ってってみろよ」
「わかった」
「あと名前、お前、沢村に気軽に触ったりすんなよ」
「え?」


 もしかして、沢村くんは彼にとって、ツボではなくて非常に大切なピッチャーだったのだろうか。わたしが兄の左手に触れられないように。彼も、大切な選手に触れてほしくないと思うのだろうか。

 なんて変な危惧をしたのも束の間。


「さっき背中触ってただろ。バカが伝染るぞ」
「⋯⋯こんなの聞いたら、沢村くんまた泣いちゃう」


 あっけらかんと笑う彼を見て、沢村くんを少し不憫に思った。


「一也くん、沢村くんと仲良しなの?」
「は? 俺が? なんで?」
「御幸一也! だなんて呼んで、ふふっ」
「ほんとオカシーよな、アイツ。俺先輩だってわかってんのかね。⋯⋯俺に球受けて欲しいらしいんだけどさ、アイツ今、練習参加すんの禁止されてて」
「え」


 一体何をやらかしたら、入部早々練習参加禁止などという措置が下されるのだろう。想像もできない。

 出で立ちから厳格さが醸し出されているあの監督に、何かをやらかすなんて。とんだ大物だ。


「それで朝早くから走ってるって言ってたんだ⋯⋯ね、マッサージかストレッチ、沢村くんと一緒にする人誰かいるかな。沢村くん、もしかして関節変なんじゃないかなって思って」
「変って言い方⋯⋯柔いとか言えよ。つーかお前、沢村のフォーム見たことあったんだ?」
「うん、ついこの間」
「ふうん。まあ監督も気づいてるだろうし、そのうち倉持あたりが気づくんじゃね? 同部屋だし。ほっとけほっとけ」


 誰かが廊下の窓を開けたのか、ふわふわと風が入る。あたたかい。穏やかでいい天気だ。

 風とともに、春の光も舞い込む。
 彼の周りをぴかぴか舞って、眩しい。


「それにしても一也くん」
「何?」
「⋯⋯制服がかっこいいです。とても」
「そう? そういやお前と野球以外で会うの初めてかもな」
「うん。ね、わたしは? 似合う?」
「馬子にも衣装、つってな」
「!」
「はっはっは! ウソウソ、ちゃんと似合ってるよ」


 ぽん、というか。
 ぼすん、とひとつ。

 頭に大きな手が乗る感覚。おずおず見上げると、意地悪く笑った顔がそこにあった。

 じゃあな、と告げて歩き出した彼の背に、遅れて声をかける。


「⋯⋯うん。ありがとう」


 なんだ、今の。ぼすんって。
 顔があつい。すごくあつい。

 きっと、普通はできない。女の子に対して、さらっとできることじゃない。もしかしてわたしのこと、妹かなんかだと思ってるんじゃなかろうか。

 実際、兄をきっかけに出逢ったわけだし、兄を抜きにしてわたしを見ることは、──きっとない。

 つまり、全然有り得る。妹説が全然有り得る。

 複雑な気持ちで席へ戻ると、目を丸くした沢村くんに詰め寄られた。


「苗字! お主一体何者?! あの御幸一也があんな顔するなんて!」
「あんな顔って⋯⋯いつもあんな顔でしょ?」
「いーや! アイツはもっとこう、意地クソ悪く笑うやつだ!」
「あはっ、沢村くんよく見てる」


 わたしには、沢村くんこそ一体何者ですか、って気分だ。監督を怒らせ、一也くんを呼び捨てにし、初対面のわたしに対してこのコミュ力である。

 この子が同級生か。なんだか面白くなりそうだな。そう思いながら入部届に記入をしようとしたところで、今度は数人の女の子に話しかけられた。


「ねえねえ名前ちゃん! 今のかっこいい人だれ? 彼氏?!」
「ううん、部活の先輩だよ。前から顔馴染みなだけで⋯⋯」
「え〜〜〜アヤシ〜〜〜〜〜! だって名前ちゃん、顔赤いよ?」
「えっ」
「うふ、ひっかかった」


 きゃいきゃいした女の子たちの声にたじろぐ。一也くんて、野球してなくても目立つのか。それを初めて思い知った。

 あまり詮索されたくない、と正直に思う。

 一也くんに対する想いは、わたしにとっては宝物のようなものなのだ。わたしの真ん中で、きらきら輝き続ける。

 彼の野球を見られることが至福であり、彼のそばにいられることが幸福であり、彼に纏わるすべてが、──わたしの源となる。

 宝箱にそっと仕舞って。

 誰にも気づかれないようにそっと開ける。

 そういうものなのだ。

 うまく言葉にはできないし、誰かに伝えるようなものでもない。

 どうか、どうか。
 誰も触れないで。

 ぎゅっと目を瞑り、この場から逃げ出したくなる衝動を堪えた。

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