05.邂逅



「どこここ⋯⋯」


 わたしは迷っていた。
 物理的に迷っていた。

 入部届の記入を終え職員室へ行ったのだけれど、高島先生は既にいなかった。おそらくグラウンドや部室にいるのではないか、とのことで、足を運んでみた。

 グラウンドにはまだ誰の姿もなく──入学式で午前だけの登校だったから、今は昼食時間なのだろう──、部室とやらを探しに来たのだけれど。

 完全に迷子だ。


「なんかパンツ干してあるし⋯⋯」

 
 目の前にぶら下がる男物の下着を見る。

 きっとここが、青心寮なのだろう。部員の約半数が暮らす場所。一也くんもここで生活をしている。

 彼もこんなふうに洗濯したりするのだろうか、なんて。パンツを前にしみじみとしていた、その時だ。


「オイ、こんなとこで何やってる? 新入生か?」
「っ!!」


 突然聞こえたドスの効いた声に、わたしは飛び上がった。知らない人が見たら、わたしはただ下着を前にボケっと突っ立っているだけの女生徒だ。

 ごめんなさい。別にパンツを見てたわけじゃないんです。どなたのパンツか存じ上げませんが、ごめんなさい。

 どんな言い訳をしようかマッハで考えながら、振り返る。そこには、強肩強打の。お髭が生えたおっかない顔の。


「あ⋯⋯伊佐敷先輩」
「ん? 俺んこと知ってんのか? つーかどっかで見た顔だな」


 じりじりとにじり寄って来る伊佐敷先輩の影からは「どうしたの?」と顔が覗く。ああ、この人も知っている。鉄壁の二遊間を支える、もっちー先輩の相棒ともいえる人。小湊先輩だ。


「ああ、この子、御幸の」
「あん? 御幸の何だよ?」
 伊佐敷先輩は小湊先輩に問いかけて。


「何なの?」
 それを受けた小湊先輩は、そのままわたしに問うた。


「な、何なんですかね、はは⋯⋯」


 この状況、一体どうしたら⋯⋯と焦っていると、更に「どうした?」と声が増える。みんなどうしたどうしたって、どうもしないからそっとしておいてください。


「オウ、哲」


 結城先輩だ。青道の四番。近くで見るのは初めてだ。他の先輩たちももちろんそうなのだけれど、なんだか大きい。

 身体的なものもあるけれど。圧というか、オーラというか。溢れる凄みに圧倒され、足も動かなければ口も動かない。

 その他にも、口振りから三年生なのだと思われる部員が、わらわらと集まってきてしまった。皆ジャージを纏っているから、まだ練習が始まっていないという予想は合っていたワケだ。

 しかし困った。非常に困った。
 自力で突破しようにも、包囲網がすごい。抜け出す隙間もなければ、切り抜ける達者な口もない。

 誰かお助けください。
 そう願った、その刹那だった。

 ぐい、と力強く、しかしどこか控え目に手を引かれ、囲いから救出される。


「名前、お前何してんだ?」
「か、一也くん⋯⋯よかった」
「⋯⋯先輩方、コイツちょっとお借りしますね」
「オイ御幸!」


 呼び止めた伊佐敷先輩に、彼は「まあまあ、後で話しますって」と笑みを返し、そのまま手を引いて歩き出す。


「一也くん」
「いーから。一先ずあそこから離れんぞ、色々聞かれても面倒くせえし」


 一也くんも、あの先輩たちと違わず大きいな。わたしの前を歩くその背中を見て、そう思う。

 なぜだか胸がぎゅうと締まった。

 階段付近まで来たところで、彼はようやく歩みを止めた。


「⋯⋯ったく、あんなに囲まれてたら潰されんぞ。カラスに囲まれた仔猫みたいな顔しやがって」
「どんな顔なのそれ⋯⋯ていうか高校球児ってなんか大きいね。圧迫感がすごい」
「そうか? まあ、身体もそこそこ出来てくるからな。そんで? こんなとこでどうした?」
「そうだった。高島先生探しに来たら、迷子になっちゃって」


 てん、てん、てん。

 訪れた束の間の沈黙。互いの視線が交差して、実に三秒。拍子抜けした顔で三秒固まってから、彼はぷくくと笑い出した。
 

「⋯⋯迷子ってお前、高校生で、ぷっくっく」
「あ、笑ってる。真剣に迷子になったのにひどい!」
「真剣に迷子ってなんだよ、ははっ」


 ひとしきり笑ってから、彼はもう一度わたしの手を引いた。そこで気が付いた。彼にまだ、手首を掴まれたままだということに。

 その事実に、遅ればせながら頬のあたりが熱くなる。胸がくすぐったい。なぜ今まで平気な顔をしていられたのだろう、わたしは。


「礼ちゃん、職員室じゃねえならスタッフルームにいんじゃねぇかな⋯⋯あ、因みにあそこが俺の部屋。奥から三つ目」


 階段を昇って、彼が示した一角。
 あそこが、彼の部屋。朝を迎え、疲れた身体を休め、眠りにつく場所。誰とどんなふうに空間をともにしているのだろう。

 兄は寮生活を始めてから、しょっちゅうわたしに電話をくれるようになったけれど──おかげで稲実の内部事情にはそこそこ詳しくなってしまった──、一也くんは寂しくなったりしないのだろうか。


「⋯⋯寂しくなることある?」
「いや⋯⋯思う存分野球に打ち込めるしな」
「そっか。そうだよね」
「それに誰かさんがしょっちゅう電話かけてきてたし」


 悪戯っぽい笑みを向けられて、わたしは「え?」と返した。


「え? って⋯⋯いや、お前だよ」
「あははっ。あとね、一也くん」
「ん?」
「もう手離してくれて大丈夫だよ」
「お、ホントだ。悪りぃ」


 彼は、わたしに言われて初めて気がついた様子だった。少しだけバツが悪そうにして、パッと手が離れる。

 掴まれていた手首が寂しい。
 彼の熱を失った手首に、春風が滲みる。

 せめてスタッフルームの前に到着するまで言わなければよかった。そんな邪な気持ちが過る。

 コンコン。
 彼の手の甲が戸を叩く。キィと扉が開いた。





 ◆邂逅◇

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