20.花の散るらむ


 投手戦となった巨摩大戦で敗退を喫し、ベストエイトという結果でわたしたちのセンバツは幕を下ろした。

 本郷正宗。強かった。青道は一点も取ることができず、ヒットは主将の僅か一本。降谷くんの投球も味方ながらに震えるほど凄まじかったけれど、初回の失点を取り返すことはできなかった。

 ここに、全国を見た気がした。

 しかし同時に、強く実感したことがある。ああ、これが、春と夏の違いなのかと。“最後”という言葉が懸っていないだけで、“まだ夏がある”という未来があるだけで、熱量が桁違いだった。良し悪しではなく、ただその差異をありありと実感した。

 各々に後悔や課題を植え付けた甲子園球場をあとにし、帰京する。夏にまた、ここに戻ってくることを誓って。

 そして息つく暇もなく、──新学期が始まった。







 浮足立った春の空気に包まれ、制服を纏って校舎へと足を向ける。自分が入学するわけでもあるまいに、どことなくそわそわと落ち着かない。

 春のせいだ。

 掲示板に貼り出されている新しいクラスの名簿を確認する。やや暫くしてB組に自分の名を見つける。今日からの校内生活を共に送ることになる野球部の愉快ななかまたちは⋯⋯春乃ちゃんに、沢村降谷の投手コンビ、そしてお世話係の金丸くんだった。この面子に間違いがないことを、少なくとも三回は確認してしまった。しかし幾度見ようとも同じ面子が並んでいる。

 ⋯⋯な、なんてメンバーだ。

 この心境を分かち合いたくて、新しい教室に入るや否や一直線に金丸くんの元へ駆け寄る。視界の隅っこで捉えた降谷くんは幾人もの生徒に囲まれていて、有り体に言えばちやほやされていた。

 が、そんなことに構っている場合ではない。


「か、金丸くん⋯⋯!」
「苗字⋯⋯!」


 視線で瞬時に交わされる会話。この一年、金丸くんと二人で沢村くんのテスト対策をしたり、彼の教室での奇行をなんとかかんとか鎮めたり──出来ていたかは甚だ疑問だけれど──してきたのだ。

 それが、今年も。
 しかも降谷くんも一緒ときた。


「これからも頑張ろうね⋯⋯」
「おう⋯⋯」


 この光景を見たクラスメイトが、「ねぇなんであの二人泣いてるの? 嬉し泣き? 名前ちゃんって金丸と付き合ってるんだっけ?」「いや、三年生の人じゃなかった? イケメンの」「じゃあ何で泣いてるの⋯⋯?」「さあ⋯⋯」なんて会話をしているとは知る由もない。

 明日には新入生も入ってきて、そして。あっという間に春大が始まる。一也くんにとって最後の高校生活。わたしにとっても、一也くんと過ごせる最後の高校生活。何ひとつとして思い残すことがないように過ごしたい。

 時間は決して、戻らないから。







 迎えるは新入生の入寮日。
 続々とやってくる新入生とその保護者を、一也くんの部屋の前の手摺りから見下ろす。


「わあ⋯⋯一也くんもこうやってここに来たの? こんなふうに初々しかったのかなあ。今じゃこんなにふてぶてしいけど⋯⋯あれ、昔からか」
「オイ」
「あはっ」


 期待。不安。気概。緊張。
 新入生の肩に乗っているそれらは、わたしの目にも明らかだった。初めて親元を離れ、一人になる時間がほぼ皆無の寮生活。強豪校での部活。レギュラー争い。想像するだけで胃が痛む。当事者への負荷は図り知れない。

 まあ、一也くんのようにあまり堪えない少数派もいるのだろうけれど。


「あ⋯⋯あの子のお母さん泣いてる⋯⋯」
「⋯⋯」


 大切に育ててきた息子の門出。
 その心境は、わたしにはまだわからない。しかし高校生なりに胸に込み上げるものがあった。

 兄やわたしが家を離れたとき。一也くんが家を出て、彼のお父さんが一人になったとき。見送る側の人たちは、何を想っていたのだろう。広くなった家には、どんな温度が残るのだろう。

 この先の人生で、わたしにも。それを知る日がいつかはやって来るのだろうか。


「⋯⋯ねえ、一也くんのお部屋にくる子って誰?」
「まだ知らね」
「あ、そうなの? ドア開けて初めてわかる感じなんだ。わ、すごいドキドキする、わたしが」
「ははっ、なんでだよ。せっかくだから面白ぇやつだといいなー」


 現在同室の木村くんは、どこかの誰かさんと違い落ち着いていて波風立たないタイプの子だ。一也くんと木村くん、お互い部屋ではストレスの少ない時間を過ごせていることと思う。ちなみにたまーにわたしが顔を出しても、快く迎え入れてくれる。

 さて、どうなることやら。

 すぐ先の未来に思いを馳せるわたしたちの間を、散った桜の幻影がよぎった。

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