21.きみがみた幻日


 珍しく大人しく話を聞いていたらしい沢村くんの、ぽかんと呆れたような声が瞼の上にかかる。


「奥村、何言ってんだお前? そんなんで幻滅してたらここで生きていけねーぞ! なんといっても相手は御幸一也だからな! ふははは!」


 フォローなのかフォローじゃないのかわからない沢村くんの言葉に、なぜか少し、救われる。そっと目を開けると、土に汚れた自分のスニーカーが目に入った。いつの間にか随分と俯いたものだ。


「⋯⋯奥村くん。場所を選ばなかったのは本当にごめんなさい。これからは気を付けます。でも、一也くんのことはこれからちゃんと見て。ちゃんと知って。⋯⋯幻滅するのはそれからだっていいでしょ」


 顔を上げる。静かにわたしを見返した双眸を、しっかりと見つめ返す。


「わたしは別に何て思われてもいいけど⋯⋯一也くんをそういうふうに言うのだけは、放っておけない。それにわたしは、強豪校だからって恋愛しちゃいけないとも思わないし、うつつを抜かしてるとも思わないよ。⋯⋯当事者が言っても説得力ないんだろうけど」
「⋯⋯」
「⋯⋯じゃあ、わたしはこれで」


 何も言わない奥村くんに背を向け、その場を小走りで離れる。「おい苗字!」と沢村くんの声が追いかけてきたけれど、止まるわけにもいかない。今日はもう帰ろう。そう思い、私物を取りに行こうと進路を変えた、その時だった。


「おい苗字ってば!」
「ひ⋯⋯っ!」
「ったく、無視すんなよな」

 
 突然腕を掴まれ、驚きよりもどちらかというと恐怖に近い声が出た。まさか追いかけて来ていたなんて、まったく気が付かなかった。それ程周りが見えていないということか。

 自戒。自重。嘲り。

 今は自分に対して負の感情しか出てこない。それがよくないのはわかっている。けれど、少し時間が必要だ。

 掴まれた腕には構わずに沢村くんと目を合わさないようにしていると、彼は空気を読まずにわたしの顔を覗き込んできた。そして、ゲッ! と声を漏らす。人の顔見てそんな声出すなんて。失礼です。


「⋯⋯なっ、何泣きそうな顔してんだお前」
「だ、って⋯⋯わたしのせいで一也くんが悪く言われてるのに⋯⋯悔しいよ〜〜〜」
「なっ、泣くな! 困る! 俺が困る!」
「別に泣きはしないもん⋯⋯それはそれで悔しいし⋯⋯」


 眉に力を込め、眼球にたっぷりと滲んでしまったものが落ちないように努める。瞬きをしてしまえば落ちてしまいそうで、懸命に一点を凝視して、耐える。

 対してわたわたと焦ったふうの沢村くんは、「ハンカチ⋯⋯なんてもん持ってねぇし、ティッシュ⋯⋯はさっき俺が鼻かんだやつしかねぇし⋯⋯あーもうどうしろってんだ」などと言って笑わせにきていた。

 意図せずわたしの表情が和らいだのを見てか、彼は少しほっとした顔を見せた。気を遣わせてしまったな。そう申し訳なく思う。


「お前、笑っ⋯⋯だ、大丈夫なのか」
「うん、ありがとう」
「使いかけのティッシュならあるぞ!(?)」
「あ、謹んでお断りします」


 丁重に首を振ってお答えする。彼もいつもの調子を取り戻したようで、顔にぱっと明るい笑みが咲く。これぞ沢村くんだ。そして未だ掴まれたままの腕を、くいくいと引かれる。


「まぁアイツの言うことなんて気にすんな! 難癖つけたい年頃なんだろ! ほら、戻るぞ!」
「え、ど、どこに」
「練習場に決まってんだろ!」
「待って、沢村くんもあの場で話聞いてたよね⋯⋯? やだ、戻れないよ」
「だって今日はお前も俺の球見てくれんだろ? それともお前まで俺を蔑ろにすんのか?!」
「へ⋯⋯」


 丸々と目を見開いてしまった。本当にこの子は。お腹の奥から笑いがこみ上げてくる。悩んでるのがなんか馬鹿みたい、そんなふうに思わせられるのは一種の才能だと思う。


「あは、ふふっ、しません」
「だよな! お前にまで見捨てられたらどーしようかと思ったぜ!」
「あはは、その時はその時で沢村くんはなんとでもなるから大丈夫だよ」
「褒め⋯⋯られてんのか? てかそんな時なんて来んのか⋯⋯?」
「ふふ、さあ。ところでそろそろ手を離してもらえるでしょうか」
「やだね、脱走は許さん!」
「しないってば」


 と問答しているうちに、ずるずると室内練習場に戻って来てしまった。その瞬間、「沢村! いるんだろ、入ってこい」と一也くんの声が聞こえ、わたしはほっと息をつく。奥村くんと顔を合わせるのは、今はまだ気不味い。だから一也くんが呼んでくれてよかった。

 待ちに待った出番に中に入っていく沢村くんと、アップに付き合うと申し出た奥村くんを見て、一也くんは「あれ? 何? お前ら揉めてたんじゃねぇの?」と口角を上げた。「るっせ!」と後輩にあるまじき態度で応じた沢村くんは、思い出したようにわたしを振り返る。


「つーかたった今も揉めてましたよ! 苗字と!」
「は? 名前と? 誰が?」
「コイツ以外誰がいるっていうんですか!」


 びしりと指を差された奥村くんは、素知らぬ顔でその手にグローブをはめている。ある意味沢村くん並みのその肝の座りように感心する。それと同時に、自分の肝が冷えるのを感じた。

 ──しまった。口止めするの忘れてた。

 時既に遅しだけれど、後悔せずにいられない。揉めていた内容が内容なのだ。一也くんには話せないし、話したくない。自分の中でもまだ考えが纏まっていない。

 奥村くんに言った通り、全国制覇に恋愛が邪魔をするとは思っていない。好きという気持ちは絶対に揺らがないし、一也くんとのお付き合いを止めるなんてこともない。それは断言できる。

 しかし、部活中の距離感はどうだろう。

 わたしたちの関係を良しとしてくれる周囲の優しさや理解に甘えてはいなかっただろうか。付き合う以前から一也くんのことをよく知っている人たちに囲まれて、安心していなかっただろうか。

 自問して、心の中で項垂れる。

 答えは出ている。だからこそ、奥村くんはわたしたちを見てああいうふうに感じたのだ。

 だから、これからのことを考えなければいけない。部活中、そして皆の目が届く場所にいる間、どんなふうに一也くんに接すればいいのか。どうしたら、自分との関係のせいで御幸一也という人間を下げることなくいられるのか。

 考えなければならない。


「何、お前名前にもつっかかってんの? 何が気に食わねぇのか知んねぇけどやめろよ。生意気すんのは俺と沢村で十分だろ。俺と名前の事で何か言いてぇなら俺に言え」
「⋯⋯」
「そして沢村、お前はその手を離せ」
「いっで!」


 沢村くんの右手根部橈側に一也くんの手刀が炸裂する。お陰様で晴れてわたしの腕は解放されたわけだけれど、何よりも沢村くんのおててが痛そうで仕方がない。


「ちょっと! 俺の大事な右手に何かあったらどーしてくれんですか?!」
「左利きなんだからどーもしねぇだろ。つーか名前に触んなって前も⋯⋯ああ、あの時は言ってはいねぇか」
「? なんすか?」
「や、何でもなかったわ」


 しらばっくれた一也くんは、しっしと片手を振った。さっさとアップしてこいということだろう。その間にわたしは、ネット裏へそそくさと移動する。無論一也くんに詮索されたくないからだけれど、この程度で逃げさせてくれる彼ではない。

 こうなったら。やるしかない。


「で? 何揉めたって?」
「その⋯⋯おにぎりで」
「おにぎり?」
「奥村くん、おにぎりの塩加減にこだわりがあるんだって(適当)。それで自分の分だけきっちりご飯と塩を計量して作って欲しいって(適当)。ご飯に苦労してる子だし、できるだけ叶えてあげたいけど、さすがにそこまで手が回らなくて⋯⋯それで話してるうちに喧嘩みたいになっちゃった」
「は?」
「だって頑固なんだもん。細かいし」


 適当極まりない嘘をでっち上げた挙句、付け加えた最後の一言はわたしなりのささやかな嫌味である。

 距離からして奥村くんにも聞こえていると思うけれど、彼は完全無視を徹底していた。今に限っては、その感情の読めなさと寡黙な気質に心の底から感謝を申し上げたい。


「何だそりゃ。幼稚園児かっての」


 呆れた一也くんの一言で、この話題に終止符が打たれる。よかった。何とか切り抜けられた。安堵で落ちそうになった溜め息を、細く細く吐き出した。

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