21.きみがみた幻日


 両腕を彼の首筋に回し、後頭部にこつりと額を預ける。

 わたしたちは、野球で出逢い、野球を通じてたくさんの想いを交わしあった。今も、そしてこれからも、あまりにも大切な共通項として野球は君臨し続ける。けれど、もうそれだけではない。

 そう彼は言ってくれたのだ。

 例えわたしと一緒にいることで、野球に纏わる自分の評価が揺らぐことがあるのだとしても。それでも一緒にいることを選ぶと。そう言ってくれている。

 心がきゅっと苦しい。

 幸せで、──くるしい。


「選手としての俺なら、ちゃんとプレーで示すさ。誰にも文句なんて言わせねぇくらい。⋯⋯主将としてはちょっとわかんねぇけど、これは恋愛関係なく俺個人の問題だしな」


 回していた腕に、彼の指が重なる。今日も何度も球を投げ、バットを握り、硬く豆だらけの手。

 一也くんの、積み上げた努力の手だ。


「わたしも認めてもらえるように、全部をね、頑張るんだ。頑張るんだけど⋯⋯無意識に一也くんと接する時間が長いとか、一也くんを見る時間が長いとか、そんなふうになっちゃってそうで」
「ああ、そこは大丈夫。野球に関わってる時のお前なんて、誰がどう見てもただの野球バカだぜ。遍く部員、なんならそのへんに転がってる球にさえ分け隔てなく同じ態度、同じ熱量、同じ愛情を向けてる。二、三年生なら全員そう思ってるし、一ヶ月も一緒に野球してりゃ奥村だって嫌でもわかるさ」
「球にも⋯⋯」
「そう。球磨きしてるときのお前の顔、お前に見してやりたいぜ」
「ふふ、何それ」


 笑いながら腕に力を込め、一層彼に抱きつく。うなじに頬ずりをすると、くしゃりと後頭部を撫でてくれた。


「⋯⋯名前は今まで通りでいろよ。この間はちょっと咄嗟にあの場所で話しちまったけど、別に普段は堂々とイチャついたりはしてねぇし」
「そ、う? だってわたし、今となっては好きな気持ち全開でいるし、敬語も使ってなければ堂々と“一也くん”って呼んでるし⋯⋯」
「それはだな名前」


 やけに神妙な声色。それに反してわたしを撫でる手はますます勢いを増していく。わっしゃわっしゃと髪が混ざる。


「入学したときからお前はそうだった。好きっつー気持ち全開だったし、タメ口名前呼び。今更どうこうって事案じゃねぇ。諦めろ」
「は⋯⋯そうか」


 そうか。そうだった。入学理由からして一也くんであるし、確かにクリス先輩や高島先生にもバレてしまっていたし。今更「御幸先輩」だなんて呼び始めたら、却って周囲に気を遣わせてしまいそうだ。

 皆に良く思われるなどということは不可能だと理解しているつもりだ。しかし、それにしても何故、人間関係とはこうも難しいのだろう。

 つい溜め息が出てしまいそうになった、その時だ。今となってはわたしの体重を大いに支えている体勢となっている彼のほうから、溜め息が零れた。


「それにしても、なんでお前はこう次から次へと目ぇつけられるかね。アイツ⋯⋯奥村さ、この先絶対お前に興味持つぜ。はぁ〜〜〜気休まることねぇわ」
「奥村くんが⋯⋯? ないない、わたしのことすごく嫌いだよ、あの子。っていうかそれわたしの台詞です! 一也くんこそ、センバツ終わってからは特にだけど、女の子の黄色い声がそれはもうあちこちから⋯⋯」


 一也くんはわたしに悟らせないけれど、きっとわたしの知らないところで、声をかけられたり、写真をせがまれたり、影では「御幸くんて格好いいよね」なんて話題になったりしているのだろう。

 だって兄が──兄はそれを前面に自慢するタイプだから筒抜けだ──、そうだから。


「⋯⋯そんなの妬いちゃう」


 そう呟いてしまってから、声に出てしまっていたことに気付く。わたしははたりと動きを止めた。時を同じくして彼も同様に停止し、──ひと呼吸。そしてふた呼吸。


「あ、はは、なーんて言ったりして⋯⋯ごめん、聞かなかったことにして」
「つったって、聞いちまったしな」


 けろりと答えた彼が振り返る。その双眸に浮かんだ茶目っ気さ、そして共存しうるのかと驚くほどの男らしさに、わたしはたじりと手の力を解く。


「名前」
「⋯⋯はい」
「俺がどんだけ名前のことしか見てねぇのか、教えてやろうか?」

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