22.こっちとそっちの真ん中なんだ


 青天の霹靂。

 耳にスマホを押し当て、わたしは目をまるまると開いていた。


「東京⋯⋯選、抜?!」
「そーそー。一也からまだ聞いてない?」
「何それー! 聞いてない! なんで一也くん教えてくれないの?!?! こんな凄い話なのに! ひどい!」
「あはは」


 突然の話題に興奮しながら捲し立てていると、電話相手の笑い声がそこに混ざる。電話の向こうは無論、兄である。兄のその笑い声に揶揄の含みを感じ取り、わたしは頬を膨れさせる。


「⋯⋯なあにお兄ちゃん」
「いやお前がさー、そうやって騒ぐからじゃん? 一也が言わないのって」
「むぅ⋯⋯」


 兄に向かってぶうたれながら、薄々は思っていた。そうなんじゃないかと。だって脳裏には呆れた顔で「お前ぜってぇ騒ぐもん」と言う一也くんがありありと浮かんでいるし。

 いやしかし、騒ぐなという方が無理な話だ。

 成宮鳴と、御幸一也。
 禁断の二人が同じチームでプレーをするなんて。高校野球界きっての大事件──勿論苗字名前調べだけれど──である。


「ちょ、ちょっと自分に都合いいように聞き間違ってるかもだからもう一回確認していい? アメリカとの親善試合にお兄ちゃんと一也くんが呼ばれてる、で合ってる⋯⋯?」
「だからそー言ってるじゃん」
「うわあ大変! 絶対観に行く!!」


 飛び上がりながら宣誓していた。

 兄と一也くんは、投手と、捕手なのだ。
 そのポジションに類を見ない魅力を見出し全霊を掛けている二人だからこそ、今の関係がある。誰にも譲れない、自分だけの特別な場所。グラウンドの上で味方二人が真正面から向き合う、唯一無二の場所。

 投手と。捕手。

 国友監督が指揮を取るというから二人がバッテリーを組むことはないのかもしれないけれど、そんなの、どうなるかわからないし。

 そもそもバッテリーを組む組まない以前に、二人が同じチームにいるところを見れないなんて、そんなの一生の後悔になってしまう。


「あっはは。だからさぁ、名前がそうやって言うから黙ってたんだろ、アイツ」
「⋯⋯? どういうこと?」
「だって一也以外の部員は全員ソッチに残るわけだし。この時期だからどーせ練習試合でも組んでんじゃないの? お前だけ観に来れんの?」
「は⋯⋯!」


 金槌で頭を打たれた。ような衝撃だった。突き付けられた現実は容赦がない。俄には受け入れられず、その場で硬直する。

 改めて考えてみる。わたしだけ親善試合を観に行くことはできるのか、と。答えは否。観に行くことはできない。

 仕方のないことだ。

 一個人の我儘を許してしまえば、乱れる。皆で一丸となって只ならぬ何かを達成しようとしている中で、そんなものは罷り通らない。

 理解はしている。甲子園を目指すチームの一員として。自分の役割をチームのために果たす。

 チーム。
 チーム。
 チームのために。

 それが如何に大切なことか、理解はしているつもりだ。しかし、心がついてこない。すぐに諦めることなどできない。聞き分けのあるいい子になれない。

 だって、──お兄ちゃんと、一也くんが。

 わたしの野球人生はいつだって二人の野球と共に在るし、二人によってわたしが作られてきたと言っても過言ではないのだ。


「⋯⋯名前?」
「⋯⋯」
「おーい、聞いてる?」
「⋯⋯」
「まぁそんなヘコむなって。俺がきっちり一也のことヘコましとくからさ」
「⋯⋯ふふ、なんでそうなるの」


 兄の言葉に少しだけ笑みが落ちた。しかしその声には驚くほど力が入っていなくて、自分で苦笑してしまう。

 ああ、わたし、本当に二人が好きなんだな。

 そう、思う。


「⋯⋯じゃあさ、名前。お前が元気になるもしもの話をしようか」
「⋯⋯?」
「もし親善試合の日、名前が球場まで来れたら、そん時はさ。俺が何が何でもお前のことベンチに引き摺り込んでやるよ。記録員でもなんでも、もうめちゃくちゃな理由付けて」
「え⋯⋯どう、して?」


 そうなればいいなとは心底思う。

 しかし、東京を代表する有力選手を集めての、野球の本場、アメリカとの試合。夢がぱんぱんに詰まった特大スケールの話だ。しかも指揮を執るのは冗談のひとつも通じなさそうな国友監督で──薬師の轟監督あたりならワンチャンあったかもしれないけれど──、とても兄妹の我儘に取り合ってくれるとは思えない。下手したら兄の出場すら危なくなり兼ねない。

 そんな気持ちを込めて訊ねると、わたしの言外の言葉に気付いているのかいないのか、兄は溌剌と答えた。


「どうして、って、そんなもん決まってんじゃん! 高校でお前と一緒に野球できる、最初で最後のチャンスだから」
「──⋯⋯っ」


 どくり。波打ったのはどこだろう。心のどこかか。或いは全身か。

 身震いがして。鳥肌が立つ。

 何だろう、これ。感動。興奮。どちらも当て嵌まる気がするけれど、少し違う気もする。上手く言葉にできない。球場で兄の渾身の一球を目の当たりにした時のような。そんな感覚が全身を巡る。その感覚を享受するために、気付けば拳を硬く握っていた。

 こんなふうに言ってくれる兄を持てて本当に幸せだ。その気持ちに、わたしも──応えたい。


「⋯⋯わたし、何とかしてみる」
「ん?」
「絶対何とかするから。だからお兄ちゃん、わたしのこと絶対ベンチに入れてね。約束」


 束の間、ぽっかりと静寂が落ちて。次の瞬間には兄の笑い声が静寂を満たす。


「あはは、そうこなくっちゃ! 名前最高! 一緒に野球しよーぜ!」


 兄の声が弾む。嬉しそうに綻ぶ兄の顔が想像できてしまった。まるで少年の頃のようなその声音に、胸の奥が、ぎゅっと。掴まれた。

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