22.こっちとそっちの真ん中なんだ


「確かに理由は私情なんでしょうけどねぇ。そもそも野球に関わってる理由なんて各々の私情ですし。まぁ偵察みたいなものだと思えば別に⋯⋯幸いウチには優秀なマネージャーが揃っていますし、練習試合の運行や選手のサポートには差し障りないでしょう。何より多様な野球に触れるというのは、苗字にとってもプラスになる⋯⋯良いモノを持って帰ってきてくれると思いますけどねぇ」
「落合コーチ⋯⋯」
「ああ、あと御幸も嬉しいんじゃないですか? 知った顔がいると」
「お、落合コーチ⋯⋯」


 それは一体どういう意味ですか。その目配せは何ですか。別に今回は色恋沙汰ではないのですけれど。

 と、その時、今度はコンコン! と勢いのあるノックが響いて。ほぼ同時にバン! と扉が開く。


「いた名前! あ、失礼します!」
「さ、幸子先輩?! え、他の皆も⋯⋯」


 慌てた様子で部屋に入ってくるマネージャー陣の姿に、わたしのみならず監督たちも目を丸くした。

 それにはお構いなしに、幸子先輩は監督のもとに駆け寄る。いや、躙り寄る。


「監督、名前の話もう聞いたんですか?! 行かせてもらえるんですか?!」
「⋯⋯話は聞いた。だが、苗字だけを特別扱いには出来んと話していたところだ」


 その瞬間、幸子先輩の中で何かが弾けた。ような音がした。


「っ、誰も特別扱いなんて思ったりしません! そんなふうに思う部員はいません!」
「⋯⋯梅本、一旦落ち着け」
「す⋯⋯みません。名前が、この一週間毎日悩んでたから放っておけなくて⋯⋯私たち知ってます。名前がどんなに⋯⋯どんなにあの二人のこと⋯⋯っ」
「幸子先輩⋯⋯」
「それに! 名前なら夏に当たるかもしれない選手の微妙な癖とか気付くかもしれないし⋯⋯名前にならどこかのチームが裏事情ぽろっと出しちゃうかもしれないし⋯⋯あと、あとは⋯⋯とにかく行かせてあげてください!」


 感情が昂り、瞳に涙さえ浮かべている幸子先輩を中心に、マネージャー陣が真っ直ぐに監督を見上げる。その光景に。

 わたしは、──涙が止まらなかった。

 次から次へと溢れる涙と。そして嗚咽。仲間がくれた言葉と想いが、きらきらと舞って部屋を満たしている。

 ああ、わたしは。こんなにも素敵な仲間に恵まれているのだ。


「⋯⋯苗字」
「⋯⋯、はい」
「こんなふうに慕われていることを、誇りに思え。お前の人柄と野球への想いが集めた人望だ」
「⋯⋯っ、⋯⋯はい」
「これを一個人の我儘とは⋯⋯俺も言えんな」


 ぐちゃぐちゃに塗れた顔を上げる。滲む視界で捉えた監督の表情は、何故かわたしよりも──誇りを湛えているように見えた。

 ひと瞬き、わたしを見て。それから監督は高島先生を振り返る。


「悪いが、在籍中の部員の観戦が可能かどうか確認を取ってくれないか」
「分かりました」


 電話へと向かいながら、高島先生はわたしを見る。よかったわね。そう瞳で語りかけた。

 高島先生が受話器に手を伸ばそうとした、その時だ。プル、と着信音が鳴り始め、高島先生がそのまま受話器を取る。


「はい、青道高校野球部⋯⋯ええ、お世話になっております⋯⋯はい、ええ⋯⋯え? ⋯⋯あ、いえ、ちょうどこちらでもその話題になっていて、観戦を許可したところで⋯⋯ええ、はい。大丈夫だとは思うのですが、念の為確認してから折り返します」


 そっと受話器を置いた高島先生に、監督が問う。


「どうした」
「稲実の部長の林田さんなんですが⋯⋯急な話で申し訳ないが、今回の親善試合、苗字さんに記録員をお願いできないだろうか⋯⋯とのことでした。何でも『うちの成宮と国友監督の一週間に及ぶ闘いの末、ついに監督が折れた』と。成宮くんも成宮くんで色々動いていたみたいね?」
「は⋯⋯お兄ちゃん⋯⋯?」


 監督たちの前だということも忘れて、呆然と呟いていた。話が違う。だってあのとき兄は。

 ──“名前が球場まで来れたら、そん時はさ。俺が何が何でもお前のことベンチに引き摺り込んでやるよ”

 確かにそう言っていたのだ。それなのに。

 国友監督が、折れた⋯⋯?
 一週間に及ぶ闘い⋯⋯?

 な、何してるの⋯⋯?

 目を白黒させるわたしを笑ってから、高島先生は続ける。


「今回の親善試合は“試験運用”的な意味合いもあるので、あちらとしても色々試みてみるのは悪くないと一応の理由を付けたようですね。運営側からの要望となればこちらも動きやすいと成宮くんは考えたのかもしれません。ただ、いくら身内とはいえ学校を異にしていますし、時期も時期ですし、成宮くんの我儘だから遠慮なく断ってくれて構わない、と酷く恐縮した様子でした。⋯⋯フフ、あなたのお兄さん凄いわね」
「すみません⋯⋯」
「いや〜〜〜それはそれは。どんな決闘だったのか是非詳しく聞いてみたいところですねぇ。面白そうだ」


 顎髭を弄りながら、落合コーチはさも楽しげに言う。高島先生も笑みを浮かべながら、「⋯⋯どうでしょうか? 監督」と首を傾げた。

 皆が固唾を呑み、監督を見つめる。こくり、誰かの喉が微かに音を立てた。


「これで何も問題はなくなったな。⋯⋯記録員、頼めるか。苗字」
「は、はい⋯⋯!」
「御幸のサポートも頼んだぞ。ついでに成宮のチェンジアップも穴が開くほど見てきてくれ」
「ふふ、はい、──うわあ、っ?!」


 不意に、ぎゅうっと。何かに抱き付かれる感覚がして振り返る。幸子先輩、唯先輩、春乃ちゃん。三人がわたしを潰す勢いで抱き付いてくれていた。一歩離れたところからは一年生二人が見守ってくれている。


「名前〜〜〜! よかったね!」
「わーん、皆さんどうしてここにいるんですかぁ〜〜〜」


 あふれる涙は、止めどなく。
 わたしの真ん中に、ぽつりぽつりと降り積もった。







「本当に、ありがとうございました。今まで以上に日々頑張ります」


 深々と頭を下げ、スタッフルームの敷居を跨ぐ。途端、夜風にやわく撫でられる。胸がいっぱいで、手のひらで胸元を擦った。その手を唯先輩が掴み、手を繋ぐようにして階段へと導かれる。


「さ、帰ろ」
「ありがとう、ございました⋯⋯わたし、皆のことだーい好きです!」
「うん。私達も名前のことだーい好き!」
「⋯⋯っ、ぐす」
「あーもー! また泣く!」
「だって⋯⋯」


 この後、「もういーって!」と怒られるまで、ぐちゃぐちゃに泣きながらお礼と愛を伝え続けることになるのは言うまでもない。

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