06.涙の降る音


 そしてあろうことか、彼はそのままわたしの足首を──つんつんとつついた。


「〜〜〜〜〜〜っ!! な、何でつっつくの」
「強がるもんだからつい。⋯⋯捻ったか?」
「っううん、大丈夫」
「へえ、そう」
「〜〜〜〜〜〜っ!!! な、何で二回も」
「ほれみろ、大丈夫じゃねえだろ」


 降参です。白旗ひらひら。
 だからもうイジメないで。


「ご、ごめんなさい御幸先輩! 名前ちゃんが怪我しちゃったの、私のせいなんです⋯⋯!」
「春乃ちゃん、わたしが鈍くさかっただけだよ。気にしないで」
「そーそー。コイツが鈍くさかったせいだから」
「⋯⋯一也くんに言われるとすごく否定したくなる」
「なんでだよ」


 歩けるか? と問われ、痛めた足に恐る恐る体重を掛けてみる。痛い。しかし痛い。眉根が寄らないよう努めるので精一杯だ。

 歩けないことを認めたくなくて、唇を結ぶ。選手を支えるマネージャーが怪我をしてどうするというのだ。


「しゃあねぇな、おぶってやるよ」
「えっ」
「ほら早くしろよ。その足、早めに冷やさねぇと」


 その上、選手に運んでもらうなんて。情けないにも程がある。そして、想い人にこんな形で背負われるというのは、非常に恥ずかしい。

 できれば謹んでご遠慮したい。
 ケンケンで頑張るとか。せめて肩を貸してもらうとか。


「いや、でも、」
「ったく、何意地張ってんだよ」


 呆れ顔の彼が、突然わたしの腰あたりを掴んだ。え、と声を発する暇もなく、ひょい! と身体が宙に浮き、そのまま彼の肩に担がれる。


「っわあ! ちょっ、ちょっと一也くん!」
「はっはっはっ、お前が素直におぶさらないからだよ! 思ったより重たくないから安心していいぜ」
「な、一也くんのバカ〜〜〜〜!」


 絶叫が、青空に吸い込まれた。

 お尻のあたり、というかもうほぼお尻に回された力強い腕を意識してしまうのは、わたしだけだろうか。彼の様子を肩越しに窺うけれど、まるで気に留めた素振りがない。

 それが少し切ない。

 不安定な身体を支えようと彼のユニフォームの背にしがみついた手に、その切なさを上乗せして。より強く、ぎゅうと握る。

 程なくして、手近なベンチに案外優しく降ろされた。優しいのか意地悪なのかどっちなんだ、と思ったけれど、体重のくだりさえなければ優しさでしかないような気がする。

 体重のくだりさえなければ。

 あっという間に靴下を脱がされ、どこから持ってきたのかアイシングがあてがわれる。

 素肌に触れる彼の指先に。足を支えてくれる彼の大きな手のひらに。緊張して、ドキドキして、鼓動が速くなる。

 一也くんがわたしの足に触れている。
 目の前のその光景に現実味が持てない。彼が触れたところから、表し難い感覚が背筋を駆ける。

 それに耐えることができず、わたしは口を開いた。


「一也くん、ごめんなさい。これじゃ立場がまるで逆だね」
「別に謝ることじゃねぇだろ。まあ鈍くさかったことには変わりないけどな。だからそんな顔すんな」


 思い返しても本当に鈍くさかった。春乃ちゃんのことをとやかく言える立場ではない。

 俯いたわたしの前髪に、彼の声がかかる。


「⋯⋯結構腫れてきちまったな。痛いだろ。一応病院行っとくか?」
「ううん! 大丈夫です! もう大丈夫!」
「けど、しっかりしたテーピングしないと歩けねぇだろ? 俺、あんま上手じゃないし」


 誰か上手いヤツいたかな、と彼が顔を上げるのと。ベンチに近づいて来ていた人物が声を出すのが、ほぼ同時だった。


「⋯⋯俺がやろう」
「クリス先輩。⋯⋯すんません、頼んでいいスか」
「ああ。御幸は練習戻っていいぞ、そろそろ休憩終わる頃だろう」
「ッス!」


 わたしは物珍しい心地でその遣り取りを眺めていた。一也くんがすごく素直だ、と。

 滝川クリス優。
 それがこの人の名前だ。シニア時代、一也くんが唯一勝てなかったチームで捕手をしていた人。兄とも対戦したことがあるし、その強さは抜きん出ていたから、知っている。

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