22.こっちとそっちの真ん中なんだ


 帰り際、着替えをする選手たちを控え室の外で待っていると、国友監督がゆっくりと近付いてくる。凭れていた壁から背を離し、姿勢を正す。

 わたしの手前で足を止めた監督は、いつもの表情で口を開く。一介の他校のマネージャーにもこうして声を掛けてくれることが本当に嬉しい。
   
 
「今日はありがとう。選手への声掛けや心配りは流石だった。選手の緊張は微塵も途切れさせず、それでいてベストを尽くせるようリラックスさせることができる。それは君の人柄ゆえなのだろうが⋯⋯丁寧で見やすい記録といい、感謝する」


 監督の口元が僅かだけ弛緩する。それを見て、込み上げる。国友広重。この人がいたから、わたしの夢は実現した。

 深く頭を下げる。

 
「本当に夢みたいな時間でした。一生忘れません。⋯⋯ありがとうございました」


 こうして、夢の時間は終わりを告げる。
 終わらないことは存在しないのだ。どんなに願えども、永遠は訪れない。今日が終われば、皆戻る。それぞれの想いを懸けた、短い夏を生きに戻る。

 兄も。一也くんも。
 
 それでいいのだ。

 皆で球場を後にし、駅からは各々の帰路につく。稲実組と同じ電車に乗り込む。わたしたちは次の駅で降りるから、一緒に乗っていられるのは一駅分だ。


「それにしてもお兄ちゃんのチェンジアップ、どこまで進化するのかな。わたしも真正面から見たかったなぁ」


 その言葉に一也くんは神妙な面持ちでわたしを見て、それから兄を見た。何かを決心をするように吊り革を掴んでから、彼は口を開く。


「鳴。言うべきか迷ったけど、お前クセが出てたぞ」


 兄と、そしてわたし。揃って目を見開く。それから兄は不敵な笑みを浮かべ一也くんを見返した。

 兄の口から“クセ”の真意が告げられる。騙されていたのだ。わざと仕込まれたクセなのだ。もし二人がバッテリーを組むことになった際に、「チェンジアップにはクセがある」という嘘の情報を持ち帰らせるために用意されていたトラップ。稲実組からのささやかなお土産。

 それを明かされた一也くんが、兄とやんややんやと言い合いを始める。その姿を笑いながら眺めていると、視線に気付いた兄が「名前は?」と話を振ってきた。
 

「ん?」
「名前はあのクセどう思ってたの?」
「また面白いことやってるなーって。ふふ」
「あ、やっぱバレてた? ハハハ」


 けたけたと笑い合う兄妹を、一也くんの呆れた眼差しが映している。

 
「お前なぁ⋯⋯罠だって分かってたんなら教えろよ」
「だって、わたしは一也くん、お兄ちゃんに言うと思ってたもん。一也くんが言ってきたら、お兄ちゃんたちは本当のこと教えるだろうし⋯⋯あとわたしが言わないほうが面白そうだったから。わたし二人が仲良く言い合ってるの見てるの好きなの」
「はぁ?」


 にこにことそう告げると、一也くんは面食らったように瞬いた。そこに白河くんが不機嫌さマックスな面持ちで口を挟む。

 
「俺は言うとは思ってなかったね。随分丸くなっちゃって、気持ち悪い。素直にファーストの守備についたりしてるし」
「あはっ、白河くんは相変わらず一也くんのこと嫌いなんだ」
「当然」

 
 きっぱりと首肯する白河くんを、笑いながら見る。原田さんといい白河くんといい、一也くんは本当に敵を作るのがお上手だ。

 ちなみに当の一也くんは、「あのー、俺ここで聞いてるんだけどー⋯⋯」と零していた。

 電車は定刻通りに街を駆ける。
 一駅分の時間はあっという間で、すぐにわたしたちが降りる駅に着いてしまった。
 
 降りがけに夏大に向けてバッチバチに宣戦布告しあう二人。その一也くんの隣で「みんな、今日は本当にありがとう。またね」とにこやかに手を振る。

 一也くんには好敵手としての鋭い目。わたしには朗らかに「またねー、名前」と。兄は甚く器用に二つの顔を使い分けながら、扉の向こうに姿を消した。兄の清々しい態度差にわたしも一也くんも笑ってしまった。

 そうして兄たちと離れ、少し経った頃。駅の雑然とした空間の中、わたしはぽそりと呟いた。

 
「一也くん」
「⋯⋯ああ」
「どうしよう、我が兄ながら大変な球を投げる⋯⋯」
「ああ⋯⋯けど、」


 彼が言葉を区切る。その一瞬。真っ直ぐに前を見据える瞳に、宿る。音もなく燃えゆく確かな決意と闘志が。その双眸に宿る。

 
「──俺が打つ」


 静かに静かに燃えゆくそれを、わたしは静かに見つめた。

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