06.涙の降る音


 テーピングと自然経過で、受傷時と比べると随分動き回れるようになったものの、まだ治癒したとは到底言えない。これ以上迷惑をかけるわけにもいかないので、あまり動かずにできる仕事をやらせてもらっていた。

 今はティーバッティングの補助をしている。

 時刻は全体練習のあとの、自主練の時間。誰に言われたわけでもないだろうに、皆それぞれ自主練に打ち込み、遅くまで汗を流す。あのハードな練習の後なのに、本当に尊敬する。

 ポン、と球を放る。それをバッドが捉え、次の瞬間にはネットに吸い込まれる。ただ放ればいいわけではない。各選手に応じたそれぞれのやり方がある。打ちやすい球を。望む位置に。望むスピード、望むテンポで。

 最近それを把握できるようになってきた。今打っている先輩は、二軍の二年生。夏が近づき、一軍へ上がるチャンスをものにしようと焦りが出始め、最近は調子を崩していた。苛立っている様子が、見ていて辛かった。

 この状況を打開する糧に少しでもなれば、と。この数日近くで見ていて気付いたことを、思い切って伝えてみる。


「先輩。その軸足の角度って、あともう少しこっち向きだとどうですか? 最近、少しだけ窮屈そうな打ち方に見えて──」
「うるせえな」


 わたしの言葉を遮ったのは、鳩尾に響くような重たい低音だった。うるせえな。その一言に、さあっと血の気が引く。


「自分で野球したこともないようなヤツに、そんなこと言われたくねぇ。黙って球放っときゃいいんだよ」
「⋯⋯そ、うですよね、ごめんなさい⋯⋯出過ぎたことを言いました」
「なんか気分悪りぃ、もういいわ」
「⋯⋯はい」


 痛い。先輩の言葉が突き刺さる。
 その棘は身体のあらゆる場所に刺さって、視界を歪める。指先の感覚がない。恐怖なのか羞恥なのか、よくわからない感情に支配される。

 その場にいることができなくて、室内練習場を飛び出た。外はすっかり暗くなっていた。それが今はありがたい。こんな顔、誰にも見せられない。

 逃げるように走る。

 泣かない。
 泣かない。

 全部本当のことだ。
 わたしはずっと見ていただけで、自分で野球をしたことはない。兄とした、お遊びのキャッチボールくらいだ。

 すべてを懸けて野球をしている。
 それでもレギュラーになれるのは、ほんのひと握りの選手だけ。皆それはわかっているはずだ。

 しかし理解と受容はまったくの別物だ。

 努力しても、努力しても、報われない。苦しい日々の連続。先の見えない真っ暗なトンネルを、毎日毎日走り続ける。

 そんな時に、ぽっと出のマネージャーに指摘されれば腹も立つ。軽率だった。他の選手を通じて伝えてもらうとか、もっと言い方を変えるとか、やり方はあったはずなのに。


「でも⋯⋯悔しいな」


 力になりたかった。ただそれだけが、相手を傷つけてしまう。こんなふうに思われてしまう。悔しい。


「悔しいよ⋯⋯」


 ずきん。ずきん。
 足首が痛む。心臓が痛む。こころが痛む。

 指先の震えがおさまらない。ぐぐっときつく拳を握る。爪が手のひらに食い込んで、痕を残す。

 おさまれ。おさまれ。


「おさまって⋯⋯」


 拳を抱え込むようにして、その場にしゃがみ込んだ。

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